34話 確信
家の前に車をつけた。葉月のバッグを漁り玄関の鍵も開けた。
しかし、葉月が呼んでも揺すっても起きない。
せっかく良く寝ているところを動かしてしまうのはばかられたが、やはり布団でちゃんと休ませた方が良いだろうとは思う。二階に抱いて運ぶしかないな。
身体に触ることに覚悟でも必要だったのか、我知らず漏れた決意の溜息を自覚しながら、葉月のベルトを外した。
また今になって雨が降り始めていた。
布団は二階に敷きっぱなしになっていた。
流石に運ばれている途中で起きてしまうかと思ったが、余程疲れているのか、肩にぐったりともたれかかる葉月はここまで目を閉じたままで、身体に回した腕を通じてかすかな寝息が感じられた。
足で薄い掛け布を退かし、一向に力の入らない葉月の身体を横たえようと尻を布団に下ろしたところで手を止めた。
上着脱がせた方が良いのか?
サイズが合わないと言っていた上着はきつくはなさそうだが、蒸し暑いし、その上今車から運んでくる際に雨で濡れてしまっていた。
高校生じゃないんだ。服を脱がせる最中に襲いかかりたいような気分になったとしても、我慢は出来る。
脱がせることをためらっているのはただ、我慢を強いられる事態を避けたいからだ。
我ながら子供じみた理由だな。
溜息を吐いて、自分の腕と内腿にもたせ掛けるようにして座らせた葉月の上着のボタンを外しにかかった。
自分の足の間に凭れる柔らかい身体から、湿った暖かさが伝わって来る。流石に変な気分になりそうだ。
上着と中身の間に余裕があって助かった。今ふれているボタンが、サイズの合わないスーツの上着のものではなく、普段の仕事着である柔らかいブラウスに重ねられたぴったりしたカーディガンのものだったなら。
また激しく降り出した雨がトタンを叩き酷い音を立てているが、俺の心臓も同調してえらいことになっていた。
出来る限り急いでボタンを外し、起こさない様にそっと葉月の肩と上着の間に手を入れた。
緩い上着はそれほど抵抗なく肩を現した。
細く頼りない肩の肌色が白いシャツの中に透けて見える気がした。
意識して肩から目を逸らし、上着から片方ずつ腕を抜いて、ようやく葉月の身体を布団に横たえた。仰向けに一直線になった身体の柔らかそうな凹凸やら、スカートを持ち上げるなだらかな曲線から続く肌色やらが視界に入った瞬間、咄嗟に動いた自分の手が布団を掴んで広げていた。
危険物が布団によって覆われ、思わず詰めていた息を吐く。
やりきった感に安堵しながら布団から出ている葉月の顔を確認しようとすると、せっかく香織先輩が外してくれていたシャツの一番上のボタンがまた、苦しそうにきっちり留められているのが目に入った。
細かいことに気付いてしまう自分にウンザリしながら、首元に手を伸ばした。
何故か手が強張り、小さなボタンが掴みにくかった。葉月を起こさないようにと思えば一層上手く行かない。
こんなに不器用じゃないはずだ。片手で服を脱がせるのにも今まで困った覚えはない。
この年になって初めて経験する純情少年じみた緊張に戸惑いもあり、情けなくもおかしくもあった。
何とかボタンを外すことには成功したが、息を詰めて頑張った甲斐なく襟が肌にあたってしまい、閉じられた瞼がかすかに揺れた。
少し後ろに下がり様子を見ていると、葉月は仰向けのままゆっくりと目を開いた。
しばらくぼんやりと天井を彷徨っていた視線が、周囲を確認する。
ついに俺の姿をとらえた葉月が、その寝ぼけ眼でじーっと俺を見つめたまま今の状況を考えているのが見て取れた。
可愛い。覆い被さりたい。
今にも表に出てきそうな衝動をこらえて、立ち上がりながら状況を説明した。
「起こしても起きないから運んだぞ。まだ着いたばっかりだから、あいつら帰ってくるまで寝てろ。じゃあな」
「だめ!」
寝ぼけ面からは想像できない叫び声に驚いて顔を上げると、葉月が膨れていた。
「何だよ。びっくりするだろ」
「行ったら駄目です」
「分かったよ。じゃあ居るから寝ろ」
中腰になっていた身体を畳に戻し、布団から半分出てきていた葉月に戻れと手で促す。
葉月は俺の方に身体を向けて布団に横たわった。
掛け布団はお構いなしで、膝下しか覆えていない。
「何で帰るんですか?私泣きますよ、一人で」
睨まれてはいるが、寝っ転がって可愛いふくれっ面で見上げられてもベッドで甘えられている様な気分にしかなれない。
「だからまだ居るって言ってるだろ。寝ないなら起き上がれ。それかちゃんと布団被って寝ろ」
溜息を吐き、葉月から視線をずらしてそう言うと、葉月が俺を呼んだ。
「藤堂さん」
仕方なく葉月に目を向ける。
しばらく間が有り、煩く響く音が、トタン屋根を打つ雨音なのか、自分の心臓の音なのか良く分からなくなってきた。
暗い。大雨の窓の外が暗いせいでこの部屋は暗すぎる。電気をつけておくべきだった。
「藤堂さん」
「何だよ、寝ろよ」
この馬鹿は、自分がどんなに可愛いのか自覚がないのか。勘違いさせた近所の兄貴に襲われて後悔する気か。
寝っ転がって俺をじっと見上げる殺人的に可愛い葉月が、唇を小さく動かした。
「チャンスですよ」
なんだって?
雨音か心臓の音のせいで良く聞こえなかったようだ。
聞こえなかったはずなのに、心臓は更に煩くなった。
少しだけ葉月に近付く。
「何。外がうるさくて聞こえなかった」
葉月は変わらず真顔で、艶やかで淡く清潔に色付いた唇を開いた。
「藤堂さん。うちに二人きりなんて、きっと、もうずっと、ありませんよ」
何を言われている?
盛大に怪訝な顔をしてるだろう俺に、葉月が続けた。
「帰っちゃうんですか?」
誘われている。間違いないよな?
葉月の小さな声が聞き取りにくく、徐々ににじり寄っていた様だ。
気付けばすぐ傍から、葉月がじっと俺を見上げていた。
「いやなの?」
いや?いやなはずないだろう。
我に返った時には、葉月を仰向けにし、自分の腕で葉月の両腕を押さえ圧し掛かっていた。
まだ駄目だと、欲求にあらがう努力をしたつもりだったが、間近にあった死ぬほど魅惑的な唇に目が囚われてしまえば忍耐も長くは持たず、結局は自分のそれを押し付けてしまっていた。
唇をずらして、すり合わせて、食んで、感触を確かめたいという衝動をきつく目をつぶることでこらえ、一切動かさずにじっと重ねていたが、残りの理性を振り絞って顔を離した。
腕一本分の距離が出来る。
俺の腕に頭を囲われた葉月は、まだじっと俺を見上げていた。
「やっぱり、駄目ですか」
「やっぱりって何だ」
平静な葉月に比べ、返す自分の声がやけに強張って聞こえる。
「いや何となく?嫌そうだし」
軽く睨まれる。
間近で見つめ合うことに耐え切れなくなり、また顔を寄せてしまうが、寸でのところで唇を外した。
頬にふれるかふれないかの場所で息を吐く俺の耳元に、葉月が呟いた。
「どうしてそんなに我慢してるの?深江先輩のお気に入りだから気軽に手は出せない?」
深江さんの名前が出て少し頭が冷え、身体を持ち上げ確認した葉月は、情けない顔をしていた。
「本気じゃないのに手を出しちゃったら、先輩に合わせる顔がない?」
口をへの字にした葉月のその顔を眺めていると、徐々に物が考えられる様になってきた。
相手が何を考えているのか分からず不安だったのは、お互い様だったようだ。
「違う。お前が、何考えてるか分からなかったからだよ」
だけどこの顔はあれだな。葉月は、おそらく、俺のことが好きなんだろうと思う。でも、じゃあ、兄貴みたいだって言われたあれは何だったんだよ?
疑問を口に出す前に、葉月の両手に顔を挟まれた。
そのまま、眉を下げた情けない顔の真正面まで緩く引っ張られる。
お互いの鼻先が触れそうな程の距離で葉月が口を開いた。
「わたしは、」
吐息が唇にふれる。近すぎる。
息が吐けない。
「近い」
驚いたように丸くなった目が、ぎゅっと眇められた。
「何なのよ、やっぱり嫌なの?」
眉を寄せ覗き込んで来るまっすぐな目に、こちらが視線を揺らすことになった。
「ちょっと藤堂さん。ちゃんとこっち見てください」
「無理。離れろ」
葉月が溜息を吐いた。
「離れろって何なのよ。覆い被さってんのそっちじゃん」
葉月が言うように、身体を起こしてみると葉月の手に大した力など入っていなかった。
葉月も同時に、布団の上に身体を起こした。
乱れた髪を撫でつけながら、俺から顔を逸らすようにした葉月がもう一度溜息を吐いた。
「分かりました。引き留めてごめんなさい。休みますから帰っていいですよ」
そう言った葉月は俺に背を向け、もう一度ごろんと転がって布団を被った。




