3話 未練の消化
深江さんが落ちていく俺に気付いたのか、ふざけた顔をして俺の眼鏡を指した。
「大体この眼鏡の選び方からして捻くれてんのよ。こんなガラじゃない真面目眼鏡かけて。今日の恰好が素なんでしょ。眼鏡だけ異様に浮いてるわよ。ねえ」
深江さんが香織先輩に同意を求めると、香織先輩も頷いた。
「浮いてるわね。外せば?」
「良いんですよ」
「会社で目立ちたくないのは聞いたけどさ、今日は別にいいじゃん。プライベートなんだし。それに眼鏡一個で大して何かが変わるとは思わないけど」
深江さんが面倒臭そうに言う。
ダサい眼鏡一個で騙されるような、くだらない女が多いんですよ。
それに今日も会社の人間いるでしょ、俺と関係ない奴が。
席を立ち深江さんの母親と話している、ヒラヒラした女の後姿を眺めながら思う。
学生時代から前職を辞めるまで、ああ言う種類の女にターゲットにされがちで面倒だった。
「あんた目立ちたくなくて眼鏡かけてんの?」
香織先輩が初耳だと言うように俺に尋ねて来る。
「そうですね。目立つと面倒臭いでしょ」
「あんたねえ、そこそこ良い男だとは思うけど、眼鏡外したくらいで女が群がってくるとでも思ってんの?」
深江さんが俺を心底馬鹿だと思っている顔で言うので、ムカついた。
「実際そうでしたから」
行儀悪くテーブルに頬杖をついて俺を見ている花嫁の目の前に、頬杖を突き返して言った。
眼鏡越しに深江さんの目を見つめる。
俺の中身が分かりますか。
何故か深江さんと間近でガンを飛ばし合っていると、香織先輩に横やりを入れられた。
「ほら、あんた達、タイムアップよ」
声と同時に深江さんが椅子から浮いた。
「痛いわね。ちょっと放してよ!」
空いた手で川瀬さんのわき腹をがんがん殴りながら、腕を掴まれた深江さんが引きずられて行った。
ようやく中庭に見つけた灰皿脇のベンチに座りぼんやりしていると、店内へと続くガラスのはめ込まれた木の扉が開かれる音が聞こえた。
現れた川瀬さんの姿に、座ったままだが一応会釈をする。
恋敵だったが、結局俺はこの人のことも好きなのだ。
じゃなきゃ、わざわざ深江さんをけしかける様な馬鹿な真似をしたはずがない。
だからこそ今日、当て付けの様にこの場に呼ばれたことは腹立たしかった。
見せつけられなくても、最初から川瀬さんに敵うなどとは思っていない。
実際川瀬さんにもそう言ったはずだ。
近付いてきたその姿から目を逸らしたまま煙草をくわえていると、低く落ち着いた声が降って来た。
「吸うんだな」
意外にも、全く嫌気を含まない声だった。
「え?はい、まあたまにですけど、今日は欲しくなりそうだと思って。持ってきてて良かったですよ」
情けなくもこっちの方が嫌味な感じになってしまった。
「東子に面白くないこと言われたか」
ベンチをきしませて隣に腰を降ろした川瀬さんを、ちらりと窺う。
川瀬さんもこっちを見ていた。
「そうですね、何でお前がいるんだっていう風なこと言われました」
無愛想な俺の返答に川瀬さんが笑い声を上げた。
「そりゃ悪かったな、あいつなりにお前を気遣ってるんだ。惚れた女の花嫁姿はきついだろ?」
笑われたことが心外で大人げなく声を荒げてしまった。
「分かってるんなら呼ばないでくださいよ。思ってた以上に深江さんの花嫁姿見てるのきつかったし、深江さんは・・・、あれだし」
面と向かって文句を言われても面白そうに笑い続けている川瀬さんの顔に、苛立ちを腹のうちに押し込めてもやもやしているのが馬鹿らしくなって来た。
「深江さんに気遣われてるのは分かってますよ。俺が面白くないのは深江さんの台詞じゃなくて、ここに呼ばれた事です。わざわざ見せつけられなくても川瀬さんが愛されてるのは分かってます。俺、深江さんに手出したりしませんし。俺をここに呼ぶ必要なんてなかったんじゃないですかね」
あーあ情けねえ。全部本人に吐露してしまった。
「何言ってんだ。見せつけるために呼んだんじゃない。せっかく式挙げるんだからお前には祝って欲しかったんだよ」
俺にとっては気まずくて居た堪れなかった沈黙の後の、あからさまに呆れた調子の川瀬さんに拍子抜けした。
「え?あ、ああ。そうなんですか?いやでも、俺前に、深江さんのことで川瀬さんすげえ怒らせたし」
「だからって今日呼ばなきゃ今後わだかまりなく付き合えないだろ?お前は自分が辛いからって俺らの結婚を祝えないような男じゃないしな」
また楽しそうな笑みを浮かべる、いつになく柔らかい川瀬さんの表情を眺め、しばらく考えて、結局溜息を吐いた。
何だ。当て付けで、牽制のためにこの場に呼ばれた訳じゃなかった。
「そうですか。ありがとうございます。信じられてるんですね俺」
ああ何か、すごく嬉しいな。自分が誇らしい気すらする。
「祝いますよ、心から。可愛い嫁さんとご結婚おめでとうございます。深江さんがふらふらしないようにしっかり捕まえてて下さいよ。ふらふらされると、俺手え出したくなるかも知れませんから」
目頭が熱くなると言う何十年振りか分からない感覚を逃すため顔を伏せながらそう言うと、川瀬さんがその固く重たい腕で、がっちりと俺の肩を絞めた。
力強い抱擁が嬉しかった。