28話 失敗
再び婆さんに呼ばれ、程なく戻った葉月は元気を取り戻していた。
婆さんに罵られて気分転換にでもなったのだろうか。
「で?育児がきついのは分かったけど、何で髪なんだよ?子供らから離れる時間が必要だって事には賛成するけど、別に髪じゃなくても、しかも前の男のとこじゃなくても良いだろ?」
俺の隣には戻らず、斜めに向き合って腰を下ろしていた葉月が呆れた顔をした。
「まだ言ってるんですか?切ってやるって言うから?只だし、気分転換になるし、見すぼらしくなくなるし、うちにいない理由に、隆達を連れて行かない理由になるし」
「向こうから連絡してくるのか?」
「そうですけど?」
ふてぶてしい態度で言われてやけに腹が立った。
「ふーん。都合が良い女扱いされてんのか」
「どうしてですか?向こうが連絡してきたってこっちの都合の良い時にしか会わないもの」
「ああそう」
俺に対して明らかにムカついている葉月に白けた顔でそう返してやると、葉月が憎たらしくも可愛い顔を歪めた。
どうやら先ほどのお兄ちゃん発言の衝撃で、俺は葉月に仕返しをしたがっているようだ。
以前葉月に言われた通り大人げないが、腹が立つ。
自分への呆れも感じながら腕を組み見下ろすように葉月を眺めていると、葉月は唇をぎゅっと引き結んで歪んだ顔をさらに引き攣らせた。
「どうして急に意地悪に戻っちゃう訳?ずっと優しかったじゃん!藤堂さんのばーか」
泣くかも。そろそろ止めた方が良い。葉月を思う自分が頭の隅で警告しているのは自覚していたが、俺じゃない奴に身体を安売りされていることにムカつき過ぎていた。
こんなに腹が立ってんのに、声を荒げずさとしてやろうとしている自分を褒めても良いぐらいの気分だった。
「お前が馬鹿なんだよ。気分転換なら男じゃなくて他でやれ。何が只だよ。身体で払ってるようなもんだろ」
俺の言葉に一瞬驚いたように目を見開いて固まった葉月が、大きな音を立てて椅子から立ち上がり、怒鳴った。
「男じゃない!髪型変えるのが気分転換なの!」
ああ、これはちょっとまずいんじゃないのか。
「触らせてんのは髪だけなのか?」
「当たり前でしょ!」
さっきの驚いた顔とこの激昂振りを見れば嘘を吐いているとは到底思えなかった。
「信じられねえ。何でわざわざ只でそんなこと申し出てくるんだよ」
俺のつぶやきにかぶせるように葉月が押し殺した声で叫ぶ。
「向こうが未練たらたらなのよ!より戻そうって私の機嫌取ろうって必死なの!信じられないのは藤堂さんよ!馬鹿にしないで!」
やばい。前の男とやってる訳じゃないと分かってほっとしたかわりに、自分のしでかした失敗がようやく身に染みてきた。
「悪かったよ。また勘違いしてた。落ち着けって」
葉月を宥めようと握りしめた小さな拳に手を伸ばすが、届く前に叩き落された。
「いい加減にしてください」
低い声でそう呟いた葉月は、溜息を吐いて椅子に身体を戻した。
「もう良いわよ。勝手にそんな女だと思ってれば?もう、なんかどうでも良くなってきた。聡もそう思ってるの?」
「いや、」
「やらせてなくたって結局そう思われてるんなら一緒ね。より戻す気もないのに気を持たされて気の毒だなと思い始めてたから、もう良いことにする」
俺の言葉を聞こうともしない葉月は、心底疲れたようにそう続けた。
「良いって何がだよ?」
また無視されるのかと思ったが、ゆっくりと、馬鹿じゃないの、という様な視線が返って来た。
「身体がよ。もう触りたそうだったら触らせるわ。それで藤堂さんの思う通りの女でしょ。それで満足ですか?大好きな深江先輩に頼まれなきゃこんな女の相手なんかしたくなかったですよね。ごめんね」
最初の頃のきつい葉月が戻って来た様だったが、今回も明らかに俺のせいだった。
「ちょっと待て」
「今日は話聞いてくれてありがとうございました。もう帰ってください。ばいばい」
葉月は俺ににっこりと笑いかけて席を立ち、台所から出て行った。
階段のきしむ音が聞こえる。
ああやっちまった。大人げなく挑発して、また嫌われた。
テーブルに肘をつき目元を覆うと、溜息が出た。しばらくそのまま固まっていたが、葉月が降りてくることはなかった。
「ミサちゃん機嫌悪くなんかないけど?普通にしてるわよ」
「そうですか」
深江さんが酎ハイのグラスを持ちながら怪訝そうにした。
「少しずつ家のことと自分のこと話してくれてるわよ。知らなかったけど、お婆ちゃん痴呆で大変なんだってね。あんたが耳栓くれたって笑ってたけど、相当しんどかったみたいね」
肯定すると、深江さんは溜息を吐いた。
「弟達の世話と老人の介護してるってだけで大変だろうなって思ってたけど、やっぱり思うだけで何も理解出来てなかったわね。あんたが言うようにもっと早くに踏み込んで話聞いとくべきだった」
「まあでも、深江さんに話せる様になったみたいだから安心ですね」
「そうねえ。で、あんた今度は何やったの?」
睨まれた。
「いつでも俺が悪い前提ですね。まあ、確かに俺が悪いんですけど。失敗して怒らせたんですよ。前みたいな胡散臭い笑顔に逆戻りですよ。顔合わせてもお疲れ様ですしか言わないですからね」
視線を緩めた深江さんが呆れた顔をした。
「あのミサちゃんをどうやったらそこまで怒らせられるのか教えて欲しいわよ。また何かくだらない噂信じたりしたんじゃないでしょうね?」
鋭いな。
「まあ、そんなもんですね。情報源もはっきり言ってた訳じゃないから、勝手に思い込んだ噂ですけど」
聡も、美容師と姉ちゃんがやってるとは言ってなかったよな。
「より最悪ね。あんたそう言うの多すぎるわよ。自分の目をもうちょっと信じたら?」
深江さんの顔を見ると、今度は可愛そうな奴を見る目で見られていた。
「あんたの目にも、ミサちゃんは健気で良い子の頑張り屋さんに映ってるでしょ?」
深江さんの言葉に内心項垂れる。
「そうですね。確かに」
「あんな可愛い子の悪い噂が事実かもなんて思えるあんたの気が知れないわよ」
深江さんの可愛いが、本当に紛れもなく葉月の中身に対するものだと今なら良く分かる。
俺は外見の今時の可愛らしさに惑わされ、くだらない印象を持って葉月を信じなかった。
それも何度となく。
「死ぬほど反省してます」
邪魔な眼鏡を外して片手で目元を覆うと、深江さんがぽんと肩を叩いてくれた。
「根は優しくて良い男なのよ。ミサちゃんも良く分かってるわよ。あんたみたいに上っ面の事に惑わされる子じゃないもの」
その言葉を信じたくて頷いた。




