23話 小さな手の中に
お互いそっぽを向いて茶を飲み始めた姉弟に尋ねる。
「お前らあんなに大声で怒鳴り合って婆さん大丈夫なのか?」
葉月がこっちを見た。
「殆ど聞こえてないから。声は大丈夫。振動は伝わるみたいですけど」
「そうか。そりゃ良かった。耳まで良くちゃかなわないもんな」
隣に座る葉月が膨れた顔をするので、頭をぐしゃぐしゃと撫で回した。
「止めてってば」
非難の視線を俺に向けて乱暴に手を払おうとする。
「服のことは謝るよ。悪かったな。大人のお前が隣のお下がり着るほど家計が逼迫してんのか?」
「最初っから極貧だって言ってる」
まだ不貞腐れている。
「そうだったな。信じてなかった、悪かった」
椅子の背に下ろしていた手でもう一度頭を叩くと今度は無抵抗だった。
「この頭は何なんだよ?カットモデルか?」
葉月が目を逸らして押し黙った。
「また黙る」
聡を見ると、こちらもまたイラついた顔をしていた。
「何だよ。また喧嘩になるような話題か?」
ウンザリとそう言ったところにバイブ音が聞こえた。
「お呼びだな」
ポケットに手を入れる葉月にそう言うと、ふくれっ面で俺を見てから立ち上がった。
「ほら」
座ったまま手を差し出すと怪訝な顔で首を傾けた。
「手」
小さな手が怪訝そうな表情のまま差し出される。
いつか飴を貰った時と逆だ。葉月の手のひらに、買ってきていた小さなものを落とした。
葉月が手の中を覗き、顔をほころばせた。
「使わないし」
俺を見ておかしそうに笑う。
「何で。丁度良くなるだろ、婆さんも聞こえてねえんだし。音楽聞ける方が良いかと思ったけど好みも分からなかったし、取り急ぎそれな」
笑ってそう言ってやると、一層面白そうな顔をして、それを手のひらに握ったまま台所を出て行った。
「何だったんですか、あれ?」
聡が物凄く怪訝な顔で尋ねて来た。
「耳栓だよ。高性能の」
聡が目を見開いた。
「耳栓!?あー、思いつかなかったな。耳栓か」
少し悔しそうだったのが笑えた。
「どうせ姉ちゃんは使わないよ」
「え?じゃあ何で」
婆さんの怒鳴り声はテレビのおかげで殆ど聞こえない。
「いざとなったら聞かなきゃ良いって思えれば、少しはきつさが違うかと思ってな。実際どうかは葉月にしか分からないけど」
「ふーん」
「何だよその返事」
適当な返事に苦笑すると、聡が頬杖をついた。
「いや、ただ、やっぱ大人だなと思って」
「お前のほぼ倍だからな」
聡が目を開き俺を見た。
「そうなの?姉ちゃんと同じ位じゃねえの?」
やっぱりか、と苦笑して返す。
「良く言われるけど、姉ちゃんより5つくらい上だよ」
「そうなんだ」
聡が頬杖をついたまま黙ってしまった。
姉より年上の俺が羨ましいのだろうか。
おそらく姉の力になりたいのに年が若くてもどかしいと感じているのだろう。
若いには若いなりの悩みがあるもんだ。
「お前も本当は服欲しいんじゃないのか?それで外出るの恥ずかしいだろ?」
不貞腐れた顔をしている聡に尋ねると、頬杖のまま答えた。
「別に。外出るときは制服かジャージ着てれば良いから」
「ああ、そう言えば制服とジャージは古くもないしサイズも合ってたな。ちゃんと今時の高校生に見えてた」
「学校のもんは勝手に姉ちゃんが買ってくるから」
まだ不貞腐れている。
「なるほどな。まあでも外は良いとしても、姉ちゃんが家にいるんだから、お前が本当にちゃんとしてたいのは家の中だろ?バイト代でちょっとは自分のもん買えばいいんじゃないか?お下がりだけど取り敢えず姉ちゃんはヒラヒラ可愛く出来てんだし」
好きな女が家にいるんだからとは、蒼汰がいるので言えなかったが、更に不貞腐れた聡には正しく通じた様だ。
「服も欲しいけど、貯金もしたいし、それより食い物買いたい」
そう俺から視線を逸らして呟く聡に同情した。
俺も高校の頃はいくら食っても腹が減っていた。それにあの小食の姉に運動部所属の高校生男子の胃袋を納得させられる量を推し量ることができるとは思えない。
「お前、家の飯足りてないんだな」
聡が頬杖のまま情けない顔で俺を見た。
「そりゃ食い物と貯金優先だな。そうか。あー、お前お下がり嫌そうだからあれだけど、一応聞くけど、俺の大学の頃の服着る?」
聡が俺を見たまま小さく口を開けて固まった。
「え?」
「嫌なら良いけど、今俺と体形同じ様なもんだろ?多分普通に着れると思うけど。仕事始める時に家出たから、そのまま実家に残ってんだよ。弟が着るかなと思ってたんだけど、俺よりでかくなっちまって。そのまんま結構な量放置されてる」
聡が頬杖を止めてまっすぐ背を伸ばし俺の方に身体を向けた。
「良いの?」
「ああ、もう誰も着ないし。邪魔だから処分しろってずっと言われてるし。大丈夫か?流行りもんはあんまり着てないから見た目は大丈夫だと思うけど、10年近く前の服だぞ。お前お下がり嫌なんだろ?」
そう確認すると勢いよく首を振った。
「いや、姉ちゃんがあれ着てる気持ちがやっと分かった。絶対要る!」
やけに意気込む聡に吹き出すと、不思議そうな顔の蒼汰が俺を見た。
「どうしたの?」
「兄ちゃんに俺の服やるんだよ」
「それさとしが入らなくなったら、たかしとぼくももらっていいの?」
「ああ、良いよ」
そう言うと蒼汰はにこっと笑ってテレビに意識を戻した。
「隆と蒼汰はお前のお下がりがあるから普通の恰好してんだな」
古くはあるがサイズはだいたい合っている。そんな子供はその辺にごろごろしている。
問題はサイズの合っていない聡だ。
「一番上の弊害か。良し、じゃあどうするかな。好みがあるだろうから一緒に行って着られそうなやつ選ぶか?ああ、でもお前が着なくても下の二人がいつか着るかもな。全部持って来て良いか?」
「はい。藤堂さんの服ならどれだって格好良いに決まってる。すげえ嬉しいです。ありがとう」
聡が膝に手をついてテーブルにつくぐらい頭を下げた。
「止めろ、古着だぞ」
手を伸ばして聡の固い髪をかき混ぜながら掴んで持ち上げた。
「お前まだ身長伸びてるだろ?俺の服が合わなくなったら弟のがあるからな。テイストが全く違うけど、少しは新しい」
笑ってそう言うと、聡が物凄く嬉しそうな顔で頷いた。




