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19話 壁の向こう 


「運ぶんだろ?」

聡に確認しながら後部ドアを開けると、聡が車に近付きながら俺に目配せをしている様に感じた。

やるならもっと分かりやすくやれよ。何の合図か分からねえだろと、姉に見えないよう体の向きを変えて視線を返すが、聡はそれに気付かないような顔をして何気なく口を開いた。

「藤堂さん、蒼汰運んでもらえませんか?」

これを承諾しろってことか?

「ああいいけど」

「ちょっと聡!」

姉が後ろから小さく叫んだ。これだな。

「煩いよ、こいつら起きたら面倒だろ。それに姉ちゃん、起こさないように運べねえじゃん」

ずり落ちる蒼汰を何度も抱えなおしていた女の姿を思い出す。

熱出してるならともかく、あれじゃ確実に起きるだろうな。

「そうだけど、二人とも聡が運べばいいでしょ」

「横暴な姉だな」

呆れてそう言うと、女が膨れた。

「いつもは勝手に運んでくれるんですよ!」

「それに、一日世話になったんだし上がってもらうだろ?ついでだよ」

当然の様に言う弟に、姉が顔を引き攣らせた。

姉は俺を家に上げてくれるつもりは毛頭無かったようだ。そして、聡は俺をうちの中へ呼び込みたがっている。

この優しい姉思いの弟が、姉に対する嫌がらせをしているとも思えない。

「じゃあ起きる前にさっさと運ぶぞ。ほら、先に隆出してくれよ」

「はい」

こうして、引き攣った顔をする女を放って、蒼汰を抱き聡の後に続いた。



世にも恐ろしい外観に比べ、家の中はこざっぱりとしていた。

勿論古いものは古い。暗い廊下を余儀なくする間取りと古臭く暗い色合いの内装のせいで室内の印象も暗かったが、清潔で片付いていた。

入ってすぐの場所が台所で、奥に部屋が一つある様だった。

「布団、上なんです」

俺と聡の靴だけで一杯になりそうな狭いたたきに靴を脱ぎ、聡に続いて狭くて急な階段に足を掛けた。

聡と時間を置いた方が良かったかも知れない。

足の下で驚くほどたわみ、ギイギイと大きな音を立てる階段を踏みながら考えていると、階段を上り切った聡がこっちだと言うように俺を見下ろしてから、二つある部屋の一方に入った。

同時に二階に明かりがつく。

畳が擦り切れた古い和室は、茶色くなった壁や同じく変色ししかもガムテープや紙の継ぎ接ぎだらけの襖紙と合わさってかなりのおんぼろさを醸し出してはいたが、玄関から見えた廊下や台所と同じく、綺麗に片付いていた。

後ろから俺たちより軽い足音をさせて上がって来た女が、俺の脇を通り押入れの襖を開いた。

「綺麗にしてるな」

押入れの中までも整然と整頓された様子に驚き、感心してそう言うと、女が俺を振り返り睨んだ。

ぼろい家を皮肉られたとでも思ったのだろう。

笑うと、一層睨まれた。

「早く布団出せよ。聡が大変だろ」

デカい方を抱えている聡を顎で示しそう言うと、女はふくれっ面で布団を引っ張りだした。

「こんだけ片付けられるなら、資料室もどうにかしろよ。あん時結局欲しいもん見つからなかったからな」

女が布団を下ろしながら、あんたは一体何を考えているんだというような顔をしてじっと俺を見ていたので笑ってやった。

「藤堂さんみたいな探し方する人達が余計ぐちゃぐちゃにして行くんですよ。私だって時間あるなら1日あそこに籠って整理したいわ」

短く息を吐き、布団を敷きながらそう言う女が、フワフワヒラヒラした格好で一生懸命資料室の物を整理している姿が想像できて笑えた。

恰好が変わっても中身が変わるわけじゃないか。

俺の眼鏡と同じだ。

近くで見ると結構くたびれていたカジュアルなカットソーも、真新しくて俺を苛立たせるヒラヒラしたブラウスも、この女が着ているのならただの布なのだと思えた。


布団が敷かれ、先に隆が寝かされ、促されて隣に蒼汰を並べた。

「起きなかったな」

「そうすね。隆は起きるかもなと思ったけど」

二人とも口を開けて死んだように寝ている。

思わず吹き出すと、二人に布団を掛けていた女が俺を見上げた。

「いや、可愛いなと思って。二人とも口開いてるし。もしかして聡も口開けて寝るんじゃねえの?」

隆が開いてるなら聡もかもと思い、そう言うと、女が面白そうに笑った。

「そうなんですよ。3人並んだらもっと可愛いんですよ。今度写真とって送ります」

「止めろよ」

聡が仏頂面で姉を遮る様子が可愛かった。やっぱり高校生も可愛いな。



「お茶入れますね」

俺が家に侵入したことを諦めた様子の女が、立ち上がりながら溜息交じりに呟いた。

ボロい家を見せるのがそんなに嫌だったのだろうか。

片付いている室内の方がましなのだから、外観を見せた時点で家の中まで引き入れる方が余程印象は良いと思うが。

服装や住んでいる家のことなど、弟や礼儀の為なら大して拘りそうもない性格に見えるのにやはり分からない。

再び階段を盛大にきしませながら下に降り、台所に案内された。

「あの階段をこう、鳴らさないこつとかねえの?」

椅子を引きながら向かいに座った聡に尋ねると、首を振った。

「無理っす。音より踏み抜かないように気使ってます」

確かに。

「お前が駆けあがったら、一発で全段抜けそうだな」

「駆け上がることはないけど、朝急いでる時に駆け下りれないのはきついっすね」

「遅刻するもんなー。飛べば下まで。お前飛べそうじゃん」

「飛べそうだけど、それじゃ絶対床抜けるし」

俺の冗談に面白そうに笑いながら言い返してきた。

こいつはボロい自分のうちを冗談にも出来ない卑屈な感じじゃないようだ。

姉が古いテーブルに湯呑を並べ、急須を傾け茶を注ぎ始めた。

「家これ以上壊さないでよ」

姉が聡を軽く睨みながらそう言うと、聡が目を逸らした。

「何だよ。どこ壊したんだ?」

面白がって聡に尋ねると、不貞腐れて黙り込む弟のかわりに姉が答えた。

「バット振り回してガラス割ったり、襖に突っ込んで大穴開けたり、ドアノブにぶら下がってドア外したり色々です」

「聡が?チビ達じゃなくて?」

「聡がです」

「お前、子供じゃないんだから」

聡が隆とよく似た顔で膨れた。

「子供の頃ですよ。隆と同じくらいの時に壊してたんです。あ、でも最近もベランダに穴開けたわよね?」

姉が面白そうに弟をからかっている。この女も家が古いことについては大して気にしてなさそうだな。

やはり良く分からない。

「ベランダは姉ちゃん手伝おうとしてだろ」

「そうだった。ごめんごめん」

姉が笑いながら聡の頭を撫で、速攻で振り払われていた。

「仲良いなあお前ら。でも危ないな、そのベランダ。姉ちゃんの体重なら大丈夫なのか?聡」

姉に問えば大丈夫だと言う気がしたので名指しで聡に尋ねた。

「いや、大丈夫じゃないと思う。だから俺がやるって言ってんのに」

「それであんたが穴開けたんじゃないのよ。どうやってやるのよ?それにしても、藤堂さん、すっかりうちの子達呼び捨てですね。良いの?聡」

「良いよ別に」

聡はそんなことよりベランダだとでも言うように適当に答えたが、そう言えばそうだった。

「あ、嫌だったら止めるよ。蒼汰のついでに皆呼び捨ててたな、言われてみれば」

「皆?姉ちゃんも?」

聡が俺に尋ねた。

「え?姉ちゃんは呼んでないな。お?お前の名前、苗字でさえ呼んだことねえな」

常々自分でも気になっていたことをわざとらしく確認した。丁度良かった、名前を呼ぶタイミングを失して一生呼べない気がしていた。

女が横目で俺を睨む。

「呼ぶも何も、大体私の名前知ってるの?」

聡が怪訝そうな顔で俺を見る。もっと親しい関係だと思っていたのだろう。

聡にほらな言った通りだろと、笑ってみせた。

「知ってる知ってる。深江さんがしょっちゅう言ってるよ。ミサちゃんだろ」

わざと深江さんが使う呼び名を上げると、女が目を見開いた。

「呼び捨て嫌いみたいだから、ちゃん付けがいいよな?ミサちゃん」

俺を見て固まったままのつるんとした頬が、見る見る赤く染まっていった。

予想外の反応に内心狼狽えた。

表に出さぬように努力はしたが、もしかすると聡には気付かれたかも知れない。

「やめろ葉月。俺まで恥ずかしくなるだろ」

冗談めかして言うと、ようやく膨れていつもの顔をした。

「藤堂さんこそ止めてください。ただでさえ何か今日別人みたいなんだから」

しばらく台詞の意味を考え理解した。

眼鏡か。

何だ、眼鏡のない俺の顔が珍しくてあんな反応を見せただけか。

後ろを向いてしまった葉月を眺めながら、がっかりした様な面白いような、嬉しいような複雑な気分の余韻に悩んでいると、聡と目が合った。

向こうも微妙な顔をしていたので、取り敢えず笑ってみせると引き攣った笑みを返してくれた。

本当に良い奴そうだな。


バイブ音がし、葉月が色あせたデニムパンツの尻ポケットに手を入れた。

細身のパンツが好みだが、残念ながら葉月のデニムはワンサイズ間違えた様にぶかぶかだった。

当然携帯を出すのだろうと思っていたが、隠すように握られた手の中のそれはサイズはともかく角が丸く、明らかに携帯ではなかった。

再びそれをポケットに押し込んだ葉月が、笑顔でこっちを向いた。

「ちょっと失礼します。聡、テレビつけといてね」

そう言うと、廊下へ出て行った。

「胡散臭い顔だよな」

「え?」

葉月の笑顔を見て呟いた俺に聡が聞き返したが、笑って誤魔化した。

「何時だ、今?茶も頂いたし、そろそろ帰るわ。姉ちゃんに宜しくな」

そう言って椅子を引こうとすると、聡が静かに言った。

「もうちょっといて貰えませんか?」

「あ?ああ、それは構わないけど、何で?」

上げかけた腰を下ろしてそう尋ねると、聡が俺から視線を外し、空を睨んだ。

「何か怒らせたっけ?ああ、お前姉ちゃん好きなんだな。俺ら親しくも何もねえから安心しろ」

そう言うと、聡が呆れて気が抜けた様に視線を緩めて俺を見た。

「違います。いや、違わねえけど、その話は今関係なくて」

じゃあ、なんだよ。と目で聡を促すと、再び聡が俺から視線を逸らした。

ああ、そうか。俺から逸らしたんじゃなくて、壁の向こうを睨んでたのか。

すぐに聞こえ始めたしわがれた声に、そのことを理解した。


わざわざ葉月が台所入口のドアを閉めて行ったのに、壁が薄く意味を成していなかった。

老婆が口汚く葉月を罵る声が、小さくても確実に聞き取れた。

それはあの可愛らしい女に浴びせられるべき種類の言葉ではなく、俺でも耳を塞ぎたくなるような酷いものだった。

聡を見ると無言で壁を睨みつけていた。

「誰?」

「死にぞこない」

「酷い言い草だな、まあでも、俺もそう思うな」

好きな女がこんな目に遭っているのを毎日目の当たりにしていれば、腸が煮えくり返るだろう。

途切れることなく聞こえてくる老婆の声は、俺の事でも葉月を罵り蔑んでいた。

「俺が上り込まない方が葉月の為だったんじゃねえの?」

さすがに耐えきれずそう呟くと、聡が俺を見て首を振った。

「何で?俺のことで色々言われてるだろ」

俯いた聡が吐き捨てる様に言った。

「藤堂さんのことがなくたって姉ちゃんがぼろ糞言われんのは同じだよ。姉ちゃんがこんな目に遭って頑張ってんのに、それを誰も知らないなんて、許せねえ」

成る程な。それで俺を引き留めたんだな。

口汚い最低な言葉は、未だ葉月を罵り続けている。

「確かにな。これ、チビ達は大丈夫なのか?丸聞こえじゃないか」

「テレビ付けて隆が騒いでれば、蒼汰は多分まだ大丈夫」

「ああ、それでテレビな。隆は分かってる訳か。きついなお前らも」

聡が手を出すときっと葉月への当たりが更に酷くなるのだろう。

でなければ、この姉思いの高校生が、こんなに辛そうで今にも切れそうな顔をしてここにじっとしている訳がない。


きつそうな聡を見ていると、台所のドアが開いた。

笑顔で戻って来た葉月が、音を発していない、この家には全く不似合いな薄型のテレビを見て、顔を強張らせた。

自分の顔を睨む姉を無視した聡が椅子から立ち上がった。

「藤堂さん帰るって。外まで送って来る。上で蒼汰が姉ちゃん呼んでる」

嘘ばっかりだな。

「ああ、帰るぞ。蒼汰と隆に宜しくな。今度明るい時にベランダ見せろ。男が二人いればどうにか出来るかも知れないだろ?」

俺と並んだほぼ同じ身長の聡を親指で指し言うと、葉月が滅茶苦茶顔を歪ませた。

笑ってみせてからフワフワの頭をぽんと強めに叩いて、葉月の横を通り抜けた。

葉月は俺を見送る為に玄関口については来なかった。










今後お年寄りに対する間接的な暴言が少し出てきますので不快な方は閲覧をお控えください。(登場人物は皆優しく差別意識はありません)

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