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16話 失望のような


俺が保育園の中を覗きこむと、帰り支度をして外を窺っていた蒼汰が文字通り目を輝かせ満面の笑みを浮かべた。

子供にこんなに好意的な視線を向けられたのは初めてで思いのほか嬉しかった。

「おにいちゃん!きょうおむかえおにいちゃんなの?」

蒼汰は大喜びだったが、近くにいた保育士に保護者以外の迎えは保護者に確認しなければ不可能だと言われた。

確かに、子供と顔見知りだとしても勝手に引き渡すわけにはかないだろう。

状況を聞いた責任者らしい女性が蒼汰の手を引き一緒に駐車場まで出てくれた。

女性はぐったりした車内の姉を目にすると、蒼汰を俺に渡すことを静かに伝え、女が目を瞑ったまま微かに頷くのを確認しただけだった。

「大きいお兄ちゃんはおうちにいるんですよね?」

心配そうな顔をする年配のその女性にそう確認されたのは俺の方だった。

「はい、連絡して、家に向かってるはずです」

「そう、じゃあ大丈夫かしらね。お姉さんに無理しない様にお伝えくださいね」

ここにも頼れそうなのがいるじゃないか。

この間だってちょっと頑張って頼めば力になってくれたんじゃないのかと思うが、頼りにくいものなのだろうか。


蒼汰も姉の姿を見て心配そうだった。

「おねえちゃんだいじょうぶ?」

助手席と運転席の間から俺を見上げて尋ねるが、大丈夫じゃないとも言えない。

「もうすぐ薬が効いて熱が下がると思うぞ」

ドアの方を向く女の顔を覗きこむと、青ざめた顔に少しだけ色が戻り呼吸も幾分楽そうになっていた。

一番酷い状態は脱した様だ。

女の前髪をよけ額に手の甲を乗せると、まだ熱くはあるがさっきの驚くほどの熱はひいていた。

念のため蒼汰の小さな額にも手をのせ比べてみる。

蒼汰が不思議そうに俺の手を見上げる顔が可愛らしかった。

「大丈夫そうだ。お前とそんなにかわらないよ」

笑ってやると安心した様で後部シートに戻った。

「シートベルトしろよ」

「はーい」

お利口さんにもう一度笑って車を出した。


女の家の住所を再度確認して、蒼汰にもここかと確認して、改めて驚いた。

一軒家だったが、人が住んでいるという事実が疑わしい程のボロ家だった。

庭も、車を止めるスペースもなく、狭い敷地一杯に建った二階建てのその家は、アンティーク好きが好むような味のある古い木造民家という訳でもなく、只々ボロい、どす黒く変色しひび割れたコンクリート壁と、ガムテープで繋がれたガラス窓、錆びだらけで崩れかけたベランダに覆われた見すぼらしいものだった。

女のフワフワした外見とのギャップに苦しむ。

隣に建つ近代的なデカい家が本当のお前の家だろうと何度も脳内で女に確認した。

本当に極貧なのだろうか。

極貧なのに装飾品に金をかけるような阿呆な女だったのだろうか。

病院代をケチって、弟の弁当代をケチって、自分の服や髪に金をかける様な?

家と同じく見すぼらしい恰好をしてでも弟の弁当を豪勢にする女の方が好ましかったし、常にフワフワだったのにも関わらずすでにそんな種類の女だと思い込んでいた様だ。

勝手な思い込みだとは理解しながらも、信じていた女像を覆されたような嫌な衝撃を感じた。


「おねえちゃんついたよ。おきてー」

姉を揺すって起こそうとしている蒼汰のおかげで俺の意識も現実に戻った。

女が頭を上げた。

「蒼汰?」

蒼汰が姉の目の前に小さな手を出すと、女がそれを握って、腕を辿って頭を回した。

「あー蒼汰だー。お帰り」

そう言って驚く程嬉しそうに愛しそうに笑った女が、蒼汰の頭をぎゅーと抱き締めた。

蒼汰も笑顔で姉に抱き付いている。

「おねえちゃんねつでたの?」

蒼汰が姉の額に小さな手をあてて聞くと、女は蒼汰の額に自分のそれをぐりぐり押し付けながら笑った。

「もう大丈夫よ。薬飲んだからね。元気になった」

俺をそっちのけでイチャイチャする微笑ましい姉弟の姿に、この姉がどんな人間だとしても蒼汰を愛してるのは間違いないのだろうと感じた。



「歩けるか?」

ひとしきり蒼汰と戯れた女がこっちを見たので、そう尋ねた。

「はい。迷惑かけてすみません。もう大分気分良いです。早く薬飲ませてもらったおかげです。ほんとに助かりました」

女が倒されたシートから身体を起こして頭を下げた。

「でかい方ももうすぐ帰って来るはずだ。それから、園の先生が無理しないように伝えてくれって言ってたよな。何て名前だ?あの先生」

蒼汰に尋ねると、蒼汰が女に保育士の名を告げた。

「深江さんも他の誰かも明日休めって言ってたぞ。無理すんなよ」

俺の顔を見ていた女がもう一度小さく頭を下げた。

「ほんとにすみませんでした」

「何回も頭下げなくて良い。礼は深江さんに言え」

蒼汰が身を乗り出した。

「あ!さとしかえってきたー!」

蒼汰の指さす方を見ると、ジャージ姿の高校生がボロ家の前に自転車を止めたところだった。

「丁度良かったな」

ドアを開けて外に出ると、高校生が自転車を降り駆け寄って来た。

「ありがうございました」

深く頭を下げようとするので汗をかいた頭を小突き遮った。

「帰るついでだよ。薬で熱少しは引いたみたいだけど、どうせまた上がるし無理させないようにな。まあわざわざ俺が言わなくても大丈夫か」

姉のために汗だくで帰って来た高校生を見て苦笑交じりで言うと、少し面白くなさそうな顔を見せた。

仲の良い姉弟だな。

「もう一人は?」

高校生が瞬く。

「ああ、隆ですか?まだ学校で遊んでると思います。そろそろ帰ってきます多分」

「熱出してたんじゃなかったっけ?」

「熱出てても関係ないんで」

嫌そうな顔で姉と同じ様なことを言う高校生を見て笑うと怪訝な顔をされた。

「悪い。仲良い姉弟でいいな」

顔を強張らせた高校生が、車から降りた姉の方に視線を走らせた。


「姉ちゃん」

女が高校生を見る。

女は蒼汰を見つけた時ほどの甘い顔ではなかったが、十分嬉しそうな可愛い顔をした。

「ごめん聡。部活途中だったんでしょ」

高校生が肩に下げたスポーツバッグからタオルを引っ張り出して、自分より背の高い汗だくの弟の頭に手を伸ばしわしゃわしゃと拭き始めた。

「止めろよ」

高校生が姉の手を緩く振り払うと、女は思春期の弟をさも可愛いと言うような目で見て笑い声を上げた。

こっちの弟も愛されてるな。

おそらく真ん中も愛されているだろう。

これで住処が隣の家ならただの弟思いの優しい姉なのだが、如何せん3人の背後で異様な雰囲気を漂わせるボロ家と女のフワフワの外見に違和感がありすぎた。


姉弟に見送られ車を出した。

誰もいない狭いワンルームに戻りながら姉弟に思いを馳せる。

存在しないのか同居していないだけなのかは分からないが、親がいないのだろうとは思っていた。

それに加えて姉弟の血も繋がっていないのかもな、と高校生の強張った顔を思い出しながら思った。

もし、姉が家族の家計を支えているのなら苦しいのは良く分かる。

うちの20代半ばの事務員の給料なんて、自分を養うだけでも贅沢など出来ない。

高校生のバイトも必要に迫られてかな。

家計を助ける為もあるに違いないが、進学するのなら自分の為にも金がいるだろう。

それなのに、あのヒラヒラの服としょっちゅう整えられる今時の髪型は。

やはり女に対する非難と、失望のような感情が湧くのは止められなかった。











明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

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