13話 焼肉定食
それから1週間程放置し、深江さんに急かされて飲みの席から女にメールを送った。
毎日さり気なく慌てて帰っていく女を飲みに誘う訳にもいかず、社内で話せる話題でもなく、深江さんの指示通り昼飯に誘うことにした。
まあそれ以外ないと俺も思っていた。ただ女の為に自ら動くのに多少抵抗があったのは事実なので、深江さんに無理矢理メールさせられて良かった。
良かったと思っている時点で、自分は女の為に動きたかったのだと分かる。
やっぱり俺は深江さんの言うように、捻くれた善人なのだろう。子供を抱えていた女の切羽詰ったあの表情は忘れがたかった。
『明日昼飯行くぞ。弁当持ってくるなよ』
深江さんに呆れられたこのメールに、女からの返信があったのは店を出て電車のシートに腰を落ち着けてからだった。
『極貧なので結構です』
この間の会話を引きずる文章に笑えた。
酒が入っていたせいか、大したことのないその内容に一人で吹き出してしまい、慌てて周りを見回す自分が気持ち悪かった。
『奢ってやる』
『理由がありません』
くっくと笑いながら文章を作る。
『極貧だからだろ』
『藤堂さんムカつく』
『肉好きなんだろ。焼肉定食安くて美味いとこあるぞ』
深江さんに聞いた好物でつろうとすると、しばらく間が空いた。
『残すとご飯に失礼なので行きません。藤堂さん男なのに小食だし』
俺じゃなくてご飯にかよ。
『量は食えるんだよ。この間と同じ場所に来い。お休み』
きりがなさそうだし、時間も時間だったので会話を打ち切った。
あのムカつく女に、今の様な楽しい気分でお休みを言うなど考えられなかったな。
同じ女に対する深江さんの式での自分の態度を思い出し、少なからず気分が下がった。
手の中の携帯が震える。
『深江先輩に行っていいか聞いてみます。お休みなさい』
下心の有無を疑っての牽制だろう。深江さんの名前を出せば俺が引くか、更には本当に確認しようと思っているはずだ。
深江さんは行けと言うし、俺は引かないし、来ることは決まりだな。
『聞け聞け。弁当は持ってくんなよ。勿体ないからな』
しばらく間が空きこれで終わりかと思った頃、また手の中の携帯がふるえた。
『早く寝てください』
やり取りを遡って読み返し一人でにやにやすると言う、生まれて初めての気持ち悪い経験をした。
「美味しい」
女が嬉しそうな顔をした。
「美味いって言ったろ。もう忘れたのか?頭悪いな」
一瞬にして歪められた顔で睨まれる。
「美味しくなくなるから喋らないで」
「お前、食わして貰ってんのに何て言い草だよ」
思わず笑いながら言うと、今度は眉を寄せ怪訝な顔をした。
「払って貰うつもりありません。どうして急に大人になったんですか?」
「何だと。そう言えばお前、俺が弟より大人げないとか言ってたけど、この間の高校生が一番上なんだってな?あんまりだろ」
表情豊かな女がふいと目を逸らした。
「あんまりじゃないです。ちょっと前までどう考えてもあの子より大人げなかったし」
確かにな。
「ふーん。まあ反省した。だから奢るって言ってんだよ。大人しく奢られろ」
「じゃあ、黙ってて。私、急いで食べないと話してる間にお腹いっぱいになっちゃうから」
何だって?じゃあ昼飯でも話なんて聞けねえんじゃねえの?
「急いで食え」
「うん」
情報通り好物らしい焼肉を前にして意気込んで頷く女こそ大人げなかった。いや実際大分俺より下か。
「食えたな」
米は少し残したがほとんどの物を食べ終え満足そうに茶を啜る女に言うと、また嬉しそうに笑った。
食べて身体が温まったのか、頬にうっすらと赤味がさし艶やかな肌色が際立つ。
「はい。美味しかったから食べられて良かった。藤堂さんにあげるの勿体ないもん」
こんなに満足そうにしてくれると奢り甲斐があるな。終業後誘えなくて無念がっている男が多そうだ。
「小食だな。話してると腹いっぱいになるなんて言う奴見た事ないぞ」
「前はもうちょっと食べられてたと思うけど、」
そう言って女が口ごもったので適当に先を続けた。
「歳とったんだな」
「そうですね。藤堂さんより若いけど。揚げ物もまだ好きだし」
半目で言い返してきた。
「食えてなかっただろ」
「あれはしゃべり過ぎたからです。美味しかったから本当は全部食べたかったのに」
本気で悔しそうで面白かった。
「じゃあ今度リベンジに連れてってやるよ。全部食えよ」
俺の台詞に一瞬顔をほころばせた女が、またすぐに顔を曇らせた。
「いえ、やっぱり奢ってもらういわれは有りませんし」
くだらない堂々巡りに溜息が出た。
「しつこい。極貧なら黙って奢られとけって再三言ってるだろ」
「そうですけど、」
ないとは思うが下心を疑われているのか。そこまで馬鹿だと思われているとは信じたくないが、馬鹿な行いをしたのは事実なので疑われていても仕方ない。
「何だよ。飯食わせたからやらせろとか言わねえぞ。あれも込みでこれまでの態度を反省して奢ってんだからな」
女は資料室での自らの愚行を蒸し返す俺を眺めながら無言だ。羞恥で心が痛い。惨めだ。罰なのかこれは。
「大体、深江さんに嫌われる訳にはいかないからお前には絶対に手は出せない。安心して食え」
ふと息をもらした女が苦く笑いながら首を振った。
「違いますよ。藤堂さんが私に下心持つなんて心配、するわけないでしょ。嫌がらせだとしても、藤堂さんは深江先輩を好きだから私に何も出来ないのは分かってるし。ただ、ちょっと、私だけ外食して良いもの食べてるのに気が引けると言うか」
「良いものって、大衆食堂の昼定食だぞ」
そんなことなら早く言え。俺の自己嫌悪と羞恥心が無駄だ。呆れて言うと女が軽く俺を睨んだ。
「うちには贅沢なんです。弟があんな寂しいお弁当で我慢してるのにって思うと、せっかく奢って貰っても何か楽しめなくて」
「ふーん。お前の浮いた弁当代分、弟の弁当に足せばいいだけじゃねえ?」
今日もフワフワひらひらと小奇麗にいつも通りだ。この姿で極貧と言われてもピンと来ない。
「そう、か。そうですね。藤堂さんに弟のお弁当代貰ってると思えば良いのか。まあ私の弁当なんて只同然だから豪華には出来ないけど、私の分の量を増やせますね。いくら食べても足りないみたいだから」
俺は弟じゃなくお前に奢ってるんだけどな、という台詞を宙を見つめ考えこむ女を見て飲み込んだ。
せっかく納得しているので放っておこう。これで飯の誘いには乗ってくるだろう。
第一段階突破か。
「前日までに連絡するから、反抗して弁当持って来たりすんなよ。無駄になるからな」
女が弟の弁当から意識を戻し俺に視線を合わせた。
「藤堂さんって、草食系眼鏡男子の見た目が恐ろしく中身に合ってませんよね。コンタクトにしておでこに肉って書いとけば?」
「残念だな。眼鏡は伊達だ。好きで地味にしてんだよ。肉はお前が書いとけ。こことここに、焼、肉、って。周りの男が喜んで毎日連れてってくれるぞ」
つるんつるんの頬に両側から人差し指を突き刺しそう言うと、そのままの状態で頬を膨らませ非常に面白い顔になった。
滑らかで驚く程柔らかい頬は、この女の小さな弟のそれと同じような感触だった。
弟と同じ様に好きなだけ撫で回せたら気持ち良いだろうなと、変態の様な感想が頭に浮かんだが、目を座らせた女に手を叩き落とされる前にさっさと引っ込めた。




