12話 緩い命令
先に食べ終わり、食事に集中しすっかり俺を見なくなった女の顔を眺めながら待っていると、急に顔を上げた。
「藤堂さん」
「何」
「お腹一杯になっちゃったんで良かったら食べてもらえませんか?」
「要らない」
「そうですか」
やっぱりなという顔をした女は、残り一切れになっていたカツに手を伸ばそうとした。
「無理しないで残せばいいだろ。行くぞ」
「ちょっと待って、すぐ食べますから」
面倒臭い女に息を吐いて、皿からカツを奪い自分の口に放り込んだ。
「行くぞ」
立ち上がりながらもう一度促すと、慌てて頷いた。
「どんな事情か知らないけど、隠さなくても良いと思ってんなら尚更昨日みたいな時は人に頼れよ」
斜め後ろを歩く女にそう言うと、きょとんとした後すぐに唇を引き結んだ。
不服そうな目をしてはいたが腹を立てていると言う感じではなかった。
「近くに頼る奴がいないんなら、それこそ会社の奴らでもいいだろ。深江さんだって喜んで助けてくれる」
「でも、もう深江先輩にはいっぱい迷惑かけてるし。これ以上面倒なこと頼んで嫌われたくない」
やはり、この女の事情を知る深江さんが仕事を引き受けていたのだろう。
入社当初からなのだろうか。
「確かに深江さんは面倒臭がりだけど、お前のこと気に入ってるし大丈夫だろ」
「気に入ってもらってるからこそ、先輩無理して頑張って、いつか私にウンザリしそうで嫌なんです。今だって私の噂聞いちゃったみたいで、残業しなくて済むよう日中凄く無理されてて申し訳ないし。本当に良くしてもらって大好きなんです。これ以上迷惑かけて距離を置かれたりしたくない」
そんな薄情なことはないとは思うが、ないと言いきれない極度の面倒臭がりではある。
しかも深江さんの耳にこいつの悪評を入れたのは間違いなく俺で、うっすらと罪悪感が生まれた。
「深江さんじゃなくても香織先輩だって俺だって良い。竹原と小島さんのアドレスも知ってるんだろ?使える奴は使えよ」
昨日途方に暮れた顔をして子供を連れ帰ろうとしていた姿を思い出す。
今も会社で見せる元気な笑顔はなりを潜め、唇をかむようにしてじっと俺を見ていた。
「お前が頑張ればいいと思ってるのかも知れないけど、昨日だって子供が後回しにされるとこだったし、子供にきつい思いさせるくらいなら他に迷惑かける方がましだと思うけどな。それに、子供に我慢させるのはお前もきついだろ」
もう一度ちらりと振り返ると、下を向いてしまっていた。
「確かに深江さんと香織先輩は深刻なことでも自分で何とかしそうだから頼み事しにくいのはあるかも知れないけど、日頃あの人らと話題にするだけでも違うと思うぞ?小島さんも良いな。自分の苦労を笑い飛ばされてムカつくかも知れないけど、楽できる方法を色々教えてくれる。一人で考えてるからいっぱいいっぱいになるんだよ」
女が顔を上げた気がして振り返ると、思い切り睨まれていた。
「いっぱいいっぱいだともきついとも言ってない。私のこと知りもしないのに分かった様なこと言わないで」
「顔見ればお前がきついのは誰だって分かるよ」
そう言うと、途端にまた大人しくなった。
「ああ、会社で見ててもムカつくだけで分からないけどな。偶然昨日の顔見たから」
微妙な顔で膨れる女を笑っているうちに社に着き、笑わない宣言をしたはずの女はいつもの胡散臭い顔に戻った。
「ごちそうさまでした。何で奢ってもらったのか良く分からないけど」
「極貧だからだろ。あと、詫びってことで。深江さんにお前の悪評ばらしたの俺だし」
女がすました表情を消し憤った。
「はあ?やっぱり藤堂さんなの!?違うと思ったのに!最初は絶対そうだと思ってたけど、やっぱりそんなことする人じゃないと思ったのに!藤堂さんのせいで先輩が私に気を使って、」
社ビルの真ん前で喚き出した女を止めるため、柔らかい前髪の上から額を小突いた。
「分かった。深江さんには謝っとく。ここで騒ぐな」
額を押さえた女が悔しげに頷いた。
「ねえ、こないだミサちゃんとランチ行ったんだって?」
小島さんが席を外した隙に深江さんに問われた。
「はい」
女が深江さんに何をしゃべったのかが分からないので一先ず様子を窺うことにした。
まあ、当然そんな俺のことはお見通しで、深江さんが笑った。
「一番下の子が熱出したんですってね」
あれは一番下の弟か。全部で何人だ?
「あの子が一番下なんですか?じゃあでかいのは?」
深江さんが考えた。
「もう一人来たの?私も会ったことないから分からないけど、真ん中はまだ小学生だって言ってたから一番上じゃない?」
「一番上?弟は3人?」
深江さんが頷く。
何だとあの女。高校生より大人げないって俺に言ってたのか。
一人ムカついていると深江さんが怪訝な顔をした。
「それにしても、凄い偶然だったわね。保育園から出てくるところ見つけたんでしょ。どうして良いか分からなかったから助かったって言ってたわよ」
どうして良いか分からなかったと深江さんには素直に言った様だ。
「まあ、車に乗せるのに時間掛かりましたけどね。なんか頑なですよね」
「そうだったの?うーん、殆ど自分の話しないからねミサちゃん」
「そうなんですか?何でなんですかね?でかい声で社長公認の事情があって早く帰らなきゃいけないって言ってた方が帰りやすいですよね。まあそれでも言う奴は言うだろうけど」
深江さんが微妙な顔をする。
「何ですか?」
「あんたみたいな奴があれこれ言うのよ。ミサちゃん人に同情されるの嫌みたいだからね。それより陰口叩かれる方がましだと思ってるんじゃないかしら」
同情を引く種類の事情とは子供に関係することなのだろうか。
「ま、何にしても通りがかったのがあんたで良かった。竹原とかじゃ上手く助けてあげられなかったかもしれないわね。空気読めないし」
そうだな。竹原だった場合、事情があやふやなままじゃ、正義感から頭ごなしに女を怒鳴って子供の取り合いになってたかもな。
「事情は知りませんけど、会社で見せてる顔よりかなりきつそうだったんで、あれ無理矢理にでも踏み込んだ方が良いと思いますよ。深江さんのことが一番好きなのに鬱陶しがられたくないとか言って遠慮してるし」
深江さんが目を開いてグラスを置いた。
「まじで?」
「まじで」
「超きつそうだった?」
「一人にしとくともうすぐ病みそうな気がします」
深江さんがテーブルに着いた両手で頭を抱えた。
「えー、マジで。どうしよ」
「話聞いてやるだけでも違うと思いますけど、深江さんもたいして強くないんだから一緒に潰れないで下さいよ。二人で抱えても意味ないですからね、香織先輩とかコジ・・・」
小島を言い切る前に深江さんが顔を上げた
「やっぱりあんた良い男ね。ミサちゃんお願いね」
「はあ?俺?」
いや俺は、皆でどうにかしてやってよって言いたかっただけで。
「あんたが良いでしょ。竹原じゃ無理なんだし」
「なんで俺に丸投げなんですか?それに、俺が良い男だってことは結婚前に気付いてくださいよ。遅いんですよ」
深江さんが可愛く笑った。
「根は良い男なんだろうけどねえ、あんた捻くれてるし、聡そうに見えてくだらない噂信じる様な間抜けだから嫌よ」
ショックだ。でも確かに俺が女でもそんな男は嫌だ。
ショックが顔に出ていたのか、深江さんが面白そうに笑った。
「竹原は冗談だとしても、やっぱりあんたが良いわよ。私も話題は振ってみるけど、ここまで付き合ってきたのに、ミサちゃん今まで私に辛い部分全く見せてくれなかったのよ。きっかけは偶然の産物でもきっとあんた相手の方が素が出しやすいんだと思うわよ」
押しつけではなく落ち着いてそう言われると、そうなのかなと言う気もした。
「私はまたサービス残業増やしてミサちゃんの仕事減らすからさ。あんたも話聞いてあげて」
「え、マジで俺?」
「もちろん必要なら皆使うわよ。まずは話聞かなきゃ」
かくして、勝手に結成された深江さんの可愛い後輩を守る会の実行役にされてしまった。
取り敢えず俺がまだ女の事情の全てを知らないし、深江さんが勝手に話すのは嫌だから自分で聞き出せと言われた。
話したくないことを無理矢理聞き出すのはどうかと思ったが、お前が無理矢理にでも踏み込めと言ったんだろうと非難された。
確かに言ったが、あの女が俺に対して胸の内を明かしたりするのだろうか。




