1話 挙式
「あーあ、遂に手を出せないとこまで行っちまった」
決めるの早過ぎるんだよ。
やけに綺麗に見える、しっとりとした細身のウエディングドレスに身を包む彼女を見て独り言ちる。
彼女を見下ろしているのは、黒いタキシード姿の日本人離れした体躯の男だ。同性の俺から見てもその逞しい体付きは格好良すぎて笑えてくる。
挙式中にまでその仏頂面はどうなんだよ川瀬さん。
苦さと苛立たしさと虚しさの入り混じった嫌な気分で二人の様子を眺めていると、川瀬さんの見慣れた表情が一変した。
どうやら誓いのキスをどこにするかで揉めている様だ。
いや、揉めていると言うより、川瀬さんが明らかに彼女にからかわれている。
彼女の同期の小島さんと、何故か彼女の母親が囃し立てている。
でかくてごつくて、彼女に対していつも不機嫌な顔ばかりを見せていた川瀬さんが、仏頂面のまま顔を赤くしまるで少年の様な表情を見せていた。
ティアラとベールを避けそのでかい手で花嫁の額辺りを掴み、彼女が自分に近付いて来ないよう押さえている。
頭を掴まれた間抜けな状態の彼女は、やけに嬉しそうな捕食者の顔をして、川瀬さんの首元へと細くて柔らかそうな腕を伸ばした。
心底嫌そうに目の前の花嫁を睨んでいた川瀬さんが、溜息を吐き諦めた顔をした。
惚れた女があんなに可愛い顔をして自分に手を伸ばしてきたら、そりゃ諦めもするだろう。
頭の押さえが外された彼女の、肩までも露わな白い腕が、艶めかしく川瀬さんの首に巻きついた。
川瀬さんが彼女の腰に手を添える。
無理矢理引き寄せて、川瀬さんの方からやってくれれば良かった。
彼女がにやにやしながら顔を傾け、自ら川瀬さんに唇を寄せる姿など見たくなかった。
でかくて厳つくて近寄りがたい川瀬さんを、可愛くて愛しくて仕方ないとでもいうような表情で見つめないで欲しかった。
長い年月を掛けて育まれた二人の絆には、誰も、勿論俺も、入り込む隙などないのだと、まざまざと見せつけられて辛かった。
「俺、式で爆笑したの初めてだわ」
出席者が新郎新婦の親と俺たちだけという、何ともこじんまりしたレストランでの披露宴の席で、小島さんが口をもぐもぐさせながら言った。
「私も花嫁が新郎に拳骨される挙式なんて初めてよ」
香織先輩が疲れたように同意した。
「あまりに辛くて直視出来なかったんですけど、深江さん何やったんですか?」
隣に座る小島さんに尋ねる。
「知らねえけど、殴られたってことはベロチューでもやったんだろ」
やっぱりそうだよな。
花嫁になる日にまであんまりな深江さんにがっくりする。
「信じられないわ。式でディープキスだなんて。日本よここ」
香織先輩も同じようだ。
離れた隣のテーブルを見ると、茫然自失のおっさんが椅子にもたれている。
もう一人の壮年男性が体格から見てどう考えても川瀬家系なので、茫然としている方のは間違いなく深江さんの父親だ。
愛娘のキスシーンを目の当たりにし俺と同程度に辛いのかも知れない。気の毒だ。
「あれって何なんですかね。誓いのキスって、参列者を牽制する為のもんなんですかね」
「何言ってんだよ。俺は面白かったぞ。牽制されてんのはお前だけだろ」
確かに俺は、川瀬さんから絶対に出席しろという命令付きで招待された。
「そう言うあんたは呼ばれてもないんでしょ」
そう香織先輩に言われた小島さんを呆れて見やると、ふんと鼻を鳴らした。
「川瀬さんに出席していいかどうか確認は取ったぞ。予想通り面白かったし満足だ」
となると、まともな招待を受けているのは香織先輩とこの女だけってことか。
俺の斜め向かい、香織先輩の隣に座って大人しく食事している女を眺める。
直接関わったことはないが、職場で深江さんの隣に席を持つ後輩として、また深江さんに仕事を押し付け、一切残業をしない女として顔と名前は一致していた。
中身はともかく落ち着いた女系の深江さんに対し、明るい色の髪をフワフワさせ常にヒラヒラした服装のあざとい印象の女だ。
深江さんも深江さんだ。同じ部署だからってこんな女に義理立てして呼ぶくらいなら、竹原や河合さんを呼べば良いのに。
自分が参列するのだから当然いるはずだと思っていた仲間達の不在に、目の前の女が一層腹立たしく思える。
香織先輩に話しかけられ皿から顔を上げたその女と目が合った。
特に慌てて逸らすような気にもならず、その蔑んだような気分のまま女を見ていると、笑いかけられた。
深江さんのディープキスの話題は当然女にも聞こえている。傷心の俺に色目でも使うつもりなのかと、更に嫌な気分になる。
外見に違わず、隣の女の物を横取りたくなる手の女なのだろう。
馬鹿じゃねえの?お前なんかが深江さんに敵うとでも思ってんの?
あからさまに白けた目を向けてやると、女が俺にしぶとく微笑んでから香織先輩に向けて口を開いた。
「深江さんは牽制する為って感じじゃなかったですよね?幸せそうで凄く羨ましかったです」
香織先輩がその言葉を受け頷いた。
「それはそうね。東子はどう見ても幸せいっぱいでやる気満々の誓いのキスだったわね」
「あの顔エロかったな。あいつサドだな絶対」
女が小島さんの台詞に笑っているような素振りを見せながら、俺にちらりと視線を戻した。
その目が、深江さんにはあんたなんか見えてもいないのよ、と語っているのは明白だった。
自分でも驚くほどの腹立たしさを覚えたが、川瀬さんだけを見つめる嬉しそうな深江さんの姿が脳裏によみがえり反論する気にも、返す嫌味を考える気にもならなかった。
公開していない前作に深江と川瀬の恋物語があるので仲間たちの描写が少な目です。藤堂の話は問題なく読めると思います。
藤堂の飲み仲間
小島(男) 同部署の先輩社員
竹原(男) 同期(藤堂が中途入社のため年下)
河合(女) 同期(藤堂が中途入社のため年下)
深江(女) 小島と同期の先輩社員
香織(女) 小島と同期の先輩社員
川瀬(男) 深江の夫、消防士