第0話
コンピューターで埋め尽くされた部屋の中央部で、一人の金髪の女性が椅子に座って画面を見つめる。彼女は自分の頭にヘッドホン型の量子通信装置を取り付けると、バイザーを下ろしてつぶやく。
「ソーシャルネットワーク、ダイブ」
すると、彼女は数秒後に仮想空間(VR)へと意識をダイブさせる。彼女がダイブしたのは、現実世界と同じく生活することができる通常世界と呼ばれる仮想空間だ。
現実世界と違い、ファンタジックな街並みが広がっている。本人の代わりとなる動物や妖精などのアバター達が行き交う中、天使の姿をした女性のアバターは、友人たちとの待ち合わせ場所であるカフェのコミュニティーへと向かう。
「こっちよ」
「ごめん!待った!?」
現実世界と感覚を共有するため、息が切れている天使のアバターに、黒ウサギの姿をしたアバターは「大丈夫よ」と言って席へと座らせる。
「例の物は手に入ったの?」
「えぇ、あなたの望み通り」
「約束の金額は指定された口座に振り込んでおいたわ。後は、あなたからそれを頂くだけ」
「確認するから」
黒ウサギのアバターは空中に3Dタッチパネルを投影すると、口座に入金が完了したという通知を確認する。今度は、別のタッチパネルを投影し、フォルダを開いてあるファイルを天使のアバターに向けて送信する。
「来たわ。これが例の?」
「私は嘘をつかないわ。それをどう使おうとあなたの勝手だから」
「まぁいいわ。じゃ、さようなら」
「えぇ、さようなら」
天使のアバターはカフェのコミュニティーからログアウトする。天使が去った後、黒ウサギの隣に道化師のアバターが現れる。
「契約は成立したのか?」
「えぇ、単純なバカで助かったわ」
「これでまた一人、知識を集めれることができるな」
「全てはアリスのため」
黒ウサギは不気味な笑みを浮かべると、道化師と共にコミュニティーからログアウトする。
*
「うわぁ、また派手に吹っ飛んだなぁ」
頭部だけが木っ端微塵に吹き飛んで、身体が椅子に座ったままの女性の遺体を眺めながら、公安警察特殊事件捜査課(Public security police Special incident Policy Division)第一課長の室戸雅男は現場検証を行う。
「これで何人目ですか、室戸課長?」
「都内だけで20人、全国じゃあ100人以上の犠牲者が出ている。これはもう、重大案件だよ」
「ただの事故……では無さそうですね」
「香月、お前の感はよく当たるが。真面目なのは俺の前だけにしとけよ?」
「分かってます」
香月と呼ばれた捜査官は、自分の後頭部に取り付けている通信端末機のプラグに、被害者のパソコンのコードを接続する。
「少し待ってください」
手袋をはめ、指紋が残らないように処理をしてから、香月はキーボードを打ち始める。
「データでました。被害者は都立海洋大学の二回生、遠藤瞳、20歳。アバター名はジュエルエンジェル。直前まで、誰かと接触した形跡があります」
「分かった。あとは鑑識に任そう。俺たちはデータ持って帰って本部で調査だ」
「はい」
被害者のパソコンから必要なデータを、香月は自分の量子通信装置へとインストールする。しばらくして現場へ来た鑑識課に後を任し、現場前に止めていた黒塗りのアウディへと乗り込む。
「そういえば、明日から新人がひとり特事課に来るらしいぞ?何でも、《Arkadia System》のお墨付きらしい」
「この時期に新人ですか?」
「飛びっきり優秀な子らしい。面倒はお前が見てくれ」
「拒否権は?」
「ない」
「ですよね。そういえば、ガイシャの持っていたデータに不審なものがありました。大半はウイルスによって削除されてたんですが、ファイル名に《Pandora》と」
「パンドラ?あの、ギリシア神話に出てくる厄災の神ってやつか?」
「えぇ、厄介なことになりそうですよ」
2050年の東京の空も、いつもと変わらず快晴だった。




