…6 舞手
世界は年々暑くなってきている。それがここ何十年かの傾向で。刺すように痛い陽の光。おまけにこの湿気。サウナの中を歩いてるみたいだ。
救いは風が絶えず吹くこと。木陰がたくさんあること(その代わり蚊に刺されっけど)
神社の隅に泉がある。苔むした岩と岩の隙間から湧き出る水を、手に汲んで飲み干す。喉が冷えて気持ちがいい。夏でも水際はいつも涼しげだ。
淀みなく、昔からこんこんと湧き続ける水。ついでに頭にもかける。濡れた耳に聴こえてくる神楽の音。もうすぐ夏の奉納祭がある。
誰が言い出すわけでもなく、俺を含めた稚児舞連中は集会所に向かって駆け出した。
(乗るなよ)
(しっ!バレるだろ)
木の太い幹に隠れ、俺らはそっと顔を出す。離れの奥の間に見える着飾った姿ーーいつも遠くから見るだけの美しい舞手達。稚児舞の俺らにほぼ接点は無かった。
この暑い中よくやるなって思う。なのに当の本人たちの顔はなんとも涼しげだ。あの泉と同じくらいに。
「今年こそ誰か選ばれんのかな」
「那由他、宮司と仲いいよな! 何か言ってた?」
「……知らね。そういうのって子供のオレたちに言わねーだろ、ふつう」
宮司の話だと、今の女手は代理で、男手がいつか正式な後継を選ぶという。でも、いつなのかはその選ぶ者しか分からない。
誰が選ばれるかってことに、子供達はいつでも興味津々だ。年上の舞手達はそれこそ子供の長であり……特に選出権のある舞手は〝後継〟って呼ばれたりする。憧れの眼差しで見られる立場だ。
今でも忘れないあの日……稚児舞最後の年の、夏祭の朝。
稚児舞の練習が終わって夜まで時間が空くから、友達といつものように遊びに行った。鬼の遊びはいろいろあるけど、何をしてても最終的にはかくれんぼになっちまう。隠れる所はいくらでもあったからな。
俺はあの時、隠れ場所を探してた。……つーよりは、移動しながら次に隠れられそうな場所を探ってた。七つにもなると、数え唄を聴いても慌てない。段取りを組む余裕が出てくるもんだ。じゃあ次はあの家の屋根の上。その次は用水路の覆いの下に隠れて……てな感じで。
しかも隠れ方が高度になってくる。田んぼに積んであった藁をまとってカカシの振りをしたり。逆に鬼を尾行してみたり。悪知恵がいろいろ働いたもんだ。
見つからなくて、終いに鬼のやつがじだんだ踏んだり、泣きべそをかき出すのを見ると、愉快で仕方なかった。
そろそろ隠れようかと畦道を走っていたその時。顔の横を生温い風が通り過ぎて、俺は急に力が抜けたようにその場にうずくまった。
……気持ち……わりぃ……
耳には稲穂の揺れる音。色々な種類の蝉の声。野良猫の奇妙な声。たくさんの音が反響し合って一つの不協和音になり、やがてそれは悲鳴へと変わる。
思わず振り返った時、突然ピカッと空が光って熱風がどっと押し寄せた。吹き荒れる風の中、辺りが瞬く間に暗くなり、色を失っていった。
モノクロの世界で、ただ炎だけが鮮やかに美しく、生き物のようにうごめいていた。その炎を遮って、目の前を通り過ぎていくもの。いくつも、いくつも人の影。
『アツイ……ミヅ ヲ……』
苦しそうな声が聞こえ、俺は眩しさにやられた目を凝らす。だんだん見えてくるそれはーー人ではなかった。……黒い、固まり。
すぐ側で建物が崩れる音がした。思わず頭を抱えて屈む。耳にはズリッ、ズリッと引きずるような音。びちゃびちゃ何かが垂れる音。裂ける音。呻き声と悲鳴。………誰かを呼ぶ声。
「……何だよ、コレ……」
自分の声がちっとも聞こえない。なのに気味の悪い音が耳を塞いでも聴こえてくる。風に混じって隙間から入り込んでくるかのように。
鼻を突く焦げ臭さ。血の匂い。何かが腐ったような異臭。俺は振り切るように叫んでいた。
「やめろよ!やめてくれ!!」
地面に頭をこすりつける。そしてまた叫ぶ。あの時の俺は半分気が狂ってたかもしれない。熱さで頭がぼうっとする。耳にこだまし続ける言葉。
『ミ……ヅ……』
それは次第に自分の言葉になっていくみたいだった。体の内側から焼けてくるように、全身が火、そのもののように熱い。
「た…すけ……」
喉がひどく乾く。乾いて、もう声が出ない。
立ちこめる空にアーアーと響き渡る……風の音か。それとも………?
禍々しい眺めだ。なのに…まるで影絵のようだと思った。動く仕掛けの、美しい一枚の影絵。
バシャアッ!
いきなり降ってきたのは、水だった。
気づくと、俺は懸命に喉を押さえていた。あまりに喉が渇いて、苦しくて苦しくて、呼吸が思うようにいかない。ハァ、ハァ、と背中で息をする。
「大丈夫か?」
太陽を背に手を差し出していたのは——あの舞手だった。
集会所の奥の間で舞っていた、そのままの格好で……知ってる。男手の衣装を着た、でも男じゃない。男みたいに凛々しく、キレイな姉や。
「……キミの知ってること、全部教えてくれるか」
これが、面と向かっての俺と紫野の出逢いだった。キレイな手。いつも泥だらけの俺の手とは違う。一瞬ためらって俺は、その手を取った。