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風紡ぎ唄  作者: 飛水一楽
5/16

…5 挽唄

あの時こうだったら、とか言ったって仕方ないさ。時は遡れない。それが(ことわり)。その見えないループの中、あらゆる生物は己の運命を受け入れる。プログラムされた死を。人間だけが抗おうとする。


昔から不死ネタは尽きることはない。例えば……今は昔、かぐや姫に惚れた時の帝が姫に逃げられ、いたたまれなくなり、もらった不死の薬を山の天辺で燃やしたから、それがその山の名前になったとか……な。


帝なんだから他にいくらでも女いるだろ、とその話を聞いた俺は言った。らしい。友達(ダチ)情報だが。

我ながら現実的なガキだったと思う。ロマンとか不思議な話に心を弾ませたりなんてしない。幽霊だって恐くないし、第一見たこともねぇ。友達(ダチ)に言わせると霊感が無い、とのこと。座敷童を見たとか、たんぽぽが喋ったとか……バカじゃねーかって思ってた。


あれを見るまでは。


冬が来ようとしていた。外はもう、雪が降りそうなくらい冷え込んでいた。

弟が見つからないまま二週間が過ぎようとしていたあの日、稚児舞の練習中に俺はふと気付いた。かすかな鈴の音に。

呼ばれた気がした。……誰に? そんなの分からない。


練習を抜け出し、神社の集会所を後にする。入らずの森に向かって俺は駆け出していた。

大人の目のあるところじゃ怒られるのが面倒で近寄らないのに、その時はためらわなかった。どういう精神状態だったのかまるで覚えていない。


森の入り口にある注連縄をくぐり抜け、足は迷わず進んでいく。風の吹いてくる方へ。

前方に何か見える。ちらちらと白いものが顔の前を通り過ぎていく。

走ってんのに体はなかなか温まらない。肌が麻痺しそうだ。子供の足では果てしなく感じた。


しばらくしてようやく森を抜け、立ち止まる。そこは千久楽を一望できる高台だった。上がる息をそのままに、俺は呆然と辺りを見渡した。


真っ白だった。







木の下を走ってて、雪の勢いに気づかなかったらしい。さらさらの雪が吹雪となって視界を閉ざし、どこに何があるのかも分からない。空と大地の境目も曖昧だ。

「つっめて……」

口を開けた途端、雪が入り込んでくる。雪の白さと冷たさが染みて、目をつぶる。


足元を見下ろす。数歩先はむき出しの崖になっているのに、雪で距離感が掴めないせいか、恐ろしさを感じない。

耳を塞がれるような静寂の中、どれくらい立ち尽くしていたのか——我に返って引き返そうとした、その時。霞む崖下に人の形が見えた。


俺は急いで引き返し、森を出て、神社の裏手にある階段を下り始める。雪が被さって石段の縁が分からない。仕方なく手すりを伝っていく。慎重に慎重に……そして最後の五六段に来たところで、俺は不可解なものに目を奪われて足元を掬われた。左手が手すりを離さなかったお陰で後頭部を打たずにすんだけど、受け身を取った方の手足は石段にひどく打ち付けて、痛みでしばらく身動きが取れなかった。下手をすれば俺もあの時お陀仏になっていたかもしれない。


崖下といってもそこは高台の中腹といった所で、小さなスペースながらきちんと柵が巡らされている。絶壁を背に小さな祠が鎮座し、千久楽を見守っている。


まだ降り積もったばかりの雪の敷布の上で、弟は眠っているようだった。

痛む体を引きずりながら雪に足跡を付けて弟に近づく。額に手を置くと氷を触ったように冷たくて……弟がもうここにいないことを知った。


  ……あいつは?


俺に気付くまで、弟の額をそっと撫でていたやつがいた。

雪に溶け込むような色の髪。虚ろに煌めく青い眼。頬にくっきりと浮かぶ流紋の刺青(さし)。目が合った。顔は見たはずだ。なのに、その辺の詳細は今でも思い出せないまま。


あれはそもそも人だったのか? 俺を見て消えちまった。みるみる透き通って、跡形も無く。

 

俺はしばらく狐につままれたような心地だった。霊感が無いのはお墨付きだった。じゃあ、何だっていうのだろう。雪の幻を見たのか?それとも……?

  

サク、と後ろで雪を踏む音がした。俺はびくつき、振り返る。

「ここに居ったか」

そこにいたのは名倉の爺さんだった。

そういえば爺さんは稚児舞の練習を見に来ていた。俺が抜けたのを知っていたんだろう。爺さんの鋭い眼に気圧されながら、俺は懸命に首を振った。

「俺じゃない——」

爺さんは黙って頷くと、弟の前で両膝をつき両手を組んで宙に突き出す。何かに祈りを捧げてるみたいに。

それから弟を担ぐと、俺の手を取って歩き出した。俺は呆気に取られて爺さんを見る。その小柄な外見に似合わず、意外とタフだった。


「あの……」

「わしも見たんじゃ。お主の向こうに居ったあの方をな。……千久楽(ここ)の生まれでないと見られないと思ったが」

爺さんは苦笑する。

「お主が来るまで、神がついて下さったのだろう……この子は今も眠っておるようじゃ」


手を引かれながら、俺は俯き、唇を噛んだ。けど、生暖かい涙が次々とこぼれ落ちて、雪に吸い込まれていく。

そのことを知ってか知らずか、爺さんは俺を一度も見ずに、階段を黙々と登っていく。


もしあれが神なら、俺には死神に見えた。それにしても、なんて美しい死神だろう。


帰る途中、遠くから風に乗って弓鳴りが聴こえてきた。きっと宮司がつま弾いていたんだろう。その音に合わせて、爺さんは唄を口ずさみ続けた。意味の分からない言葉で——きっと古語だ。

今にして思うと、あれは挽唄(ひきうた)だったんだと思う。死者を弔い、その魂の再生を祈る、古い古い鎮魂歌(レクイエム)だ。

 





それから弟の事を誰も口にしなくなった。俺は家にいるより、相変わらず外に遊んでいる時間が多かった。家は酒の匂いがぷんぷんしてたからな。

「おーい、荒谷ぁ」

校門を過ぎたところで先生が走ってきた。時村せんせ。俺のクラスの担任。眼鏡をかけた純朴そうな大人だ。学校の近くに親と住んでる。よく喧嘩する俺らに先生はいつも手を焼いている。

「良かった。体操袋一つ残ってたから、見てみたら荒谷のだった」

「あ……」

「明日から夏休みだぞ。ちゃんと洗わなきゃ臭くなるよ〜」

先生は鼻をつまんでみせた。

「げ……やだな臭いかぐの。あぶねー。先生ありがと!」

受け取ろうとした時だった。いきなり先生に手首を掴まれた。

「どうした?この傷……何かあった?」

いつもはのほほんとしてる顔がさっと曇る。こないだ親父にぶっ飛ばされたた時ぶつかって切った傷が、まだ生々しく残っていた。

「何か……って?喧嘩に決まってるじゃん、先生」

俺は笑ってみせた。なのに、先生はさらに心配そうな顔をした。

「夏休み、一週間くらい先生の所に泊まりにこないか?みんなとさ。古い家だけどみんな寝られるよ。縁側で花火大会しよう!」

いつだったか面白半分で、友達(ダチ)と忍び込んだことがある。先生の家は昔ながらの曲がり屋。馬屋から馬がこっちを見てひひぃんと鳴いて……俺らは一目散に逃げ出した、というオチだ。

「さっすが。いーこと言うじゃん、先生!」

時村先生はよく俺らのいたずらに引っかかったけど、いつも怒るフリをしながら、口の端をにやりと上げて楽しんでいたくれた。優しい大人。俺の親父だったらどんなに良かっただろうって考えてたくらいに、さ。

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