少女は空に焦がれる
とある国の貴族の家庭に可愛い赤ん坊が生まれた。可愛い可愛い女の子。しかし、彼女には祝福してくれる人は誰も居なかった。
美しい水晶のような白銀の髪に、青い瞳の彼女は、お腹の中に居る時から、悪い噂で疎まれていたのだ。
ある占い師は言う
「人に災いをもたらす、忌み子」
しかし、ある霊能者は言う
「大切に育てれば福をもたらす」
人々は惑う。どちらが正しいのかと。
そして迷った人々の苛立ちが、腹の子に向いた時、子を宿す母は病んだ。
そして、人々は言う。忌み子だと。
生まれた子は名前も与えられず、貴族の屋敷から離れた、塀に囲まれた別荘に隔離された。
すくすく育つ彼女には、お世話係で平民のおばあちゃんしか、側には居なかった。高齢のおばあちゃんには、彼女の相手は難しい。
しかし、彼女は何も気にせず、一人で勝手に育つ変わった子だった。
また人々は言う。不気味な子だと。
美しい容姿の彼女は、いつしか貴族の間で話題となっていた。
そんな事を知らぬ彼女は、無邪気に走り回り、お世話係で唯一の知人であるおばあちゃんに言う。
「私、空に行きたい!」
お世話係は悩んだ。まさか、天に旅立ちたいのかと。彼女の現状からすると、外を知るお世話係にはそうとしか思えなかったのだ。こんなに孤独で、酷い扱いでは致し方ないとも思う。
しかし、彼女は外を知らなかった。だから、疑問も不満も持っていなかった。
お世話係から話を聞いた貴族は、復讐される事を恐れ、厳重な警備を命じた。
それを知った賢者は言う
「哀れな。全て根拠の無い思い込み。なんと救いの無い生き物か」
賢者は貴族の逆鱗に触れ、国を追い出されてしまう。賢者は何も言わず、国を後にした。
ある日、国を流行病が襲い、賢者の知識を失った国は大打撃を受けた。
人々は言う。忌み子のせいだと。
しかし、彼女はお世話係から話を聞いてキョトンとしたまま答えた。
「賢者様を追い掛けて聞けば良かったのでは?」
その言葉に、お世話係は後悔する。何もかも遅過ぎた事を悟ったのだ。彼女に敵意が無い事も。今更、誰が信じよう?
それを知った貴族は言う。何故早く言わないのかと。
平民は言う。何故、貴族は聞かなかったのかと。
国は荒れ果て、民は抗う力も無くし、王も貴族も国を維持する事が難しくなった。
そんなある日、賢者が隣国の兵を率いて現れた。兵は民を救い、賢者は王と貴族を叱咤する。
王と貴族は反発した。今更何をしに来たのかと。乗っ取る気かと。
それを聞いた賢者は言う。愚かだと。
賢者が見捨てた国は滅びの道を進む。
それを知った彼女は、お世話係に微笑んで口を開いた。
「国って何かしら? そんな事より、私も空に行きたいわ」
彼女は隣国の事を、自分の知らない空の上だと勘違いした。当たり前だ。彼女は塀の中と、真上の空しか知らない。
彼女に言われてお世話係は気付いた。何故もっと早く、国を捨てなかったのかと。
民はお世話係の話を聞いて、一斉に国から離れていく。
王と貴族が言う。忌み子を処罰せよと。
しかし、命令を聞く兵も、もう居なかった。
お世話係と共に、彼女を引き連れ賢者は塀の外に出る。
彼女は言う
「向かうのは上ではないの? 此方にも空が有るの?」
心底不思議そうな彼女は、大地の広さに目を白黒する。何もかもが新鮮に映る瞳は輝き、背には翼が生えているようだった。
彼女を見た賢者は言う。彼女はとても賢く、とても素直で、掴みどころが無い。まるで、妖精のようだと。
彼女は新しい生活にも直ぐに慣れた。
その美しい姿に群がる男達は、あまりのけがれ無き姿に触れる勇気が無かった。あまりにも美しく、透き通るような柔らかい笑顔は、いっそ神々しいとも言える姿だったのだ。
ある日、国を干ばつが襲う。この国では良く有る事だったので、直ぐに対策がなされようとした。
しかし、彼女は笑う。
「大丈夫。明日雨が降るわ」
人々は首を傾げる。雲一つ無いと言うのに、全く何を言うのかと。
しかし、翌日雨が降り始めた。
雨にうたれ、虹に笑う彼女は、天に愛されているようだった。
国は彼女を歓迎し、豊かな生活を約束しようとした。
彼女はまた笑う。
「もう何も要らないわ。そんな事より、私は空に行きたいわ」
賢者は確信する。彼女は人として生まれるべきではなかったと。あの占い師も、霊能者も間違っていなかった。彼女は天に生まれる筈の存在だったのだと。人々は時には天からの試練に膝をつき、時には天に救われる。そして全ては、人々の思い込みでもある。
彼女は故郷たる空、天に恋焦がれる。
ある日、天からの使者が国を訪れ、人々は頭を垂れ、驚きに包まれた。
使者は言う
「我らの子を迎えに来た」
彼女を見た使者に、賢者は頷く。
国は、民は、彼女を知る者は全て納得するが、やはり失う恐怖を覚えた。
彼女は笑う。
「私も空に行きたいわ。でも、地も好きなのよ」
使者も笑う。
「では翼を与えよう。いつでも、帰って来るが良い」
彼女に与えられたのは、美しい水晶の翼だった。輝く翼は、見た目に反して重さを感じず、触れる事は出来ない。
それから彼女は世界を回る。それに引き連れ回される賢者は、くたびれながらも充実した人生に笑った。
彼女はお世話係に沢山のお土産を渡す。お土産に埋もれた部屋に、お世話係は苦笑した。
あちらこちらで彼女の事が話題になり、見た者は幸福になるという噂まで流れ始めた。
彼女の家がある国は、周囲の国から沢山の手紙と使者が送られ、嬉しいやら、忙しいやらで慌ただしい。豊かになり過ぎて困る位だ。人が足らないので、乏しい国の人々を受け入れたら、更に周囲から頼られるようになり、結局仕事も増え、更に豊かになった。
彼女は言う
「世界はみんな違うけれど、みんな同じ。面白いわ」
賢者は彼女の難解な言葉の数々に、毎回何の難問かと悩んだが、結局何も考えない事にたどり着いた。賢者が何も考えないとは、何だかおかしな事になった、と、自分で思いながら。
お世話係は沢山の人々の子供の面倒を見ていた。全て、親を無くした子供である。高齢なのだが、最近刺激的な生活をしているうちに、メキメキやる気が出て、生き生きと働いている。たまに腰を痛めるので、近所の人々が手伝っている。家族が沢山増えたと、更に生き生きし始めるお世話係であった。
里帰りする度、家族が増える現象に目をぱちくりさせる彼女は、キラキラした笑顔で子供達と遊ぶ。子供達と喧嘩して空まで飛んで逃げる彼女は、とても子供っぽい。おかげで子供達からも人気である。
毎回お土産を運んでいる賢者には、子供達が群がるので、子供が苦手だった賢者は慣れと諦めで悟りを開いた。
彼女は言う
「今度は高い山が良い。だって空が近いでしょう?」
賢者は言う
「あなたは飛べるでしょう」
彼女は首を振る
「あなたと行くのよ。行きたいのよ。それとも、賢者は飛べるのかしら?」
賢者は苦笑しながら首を振り、致し方ないと自分を慰める。どうやら次は登山をしないといけないらしい。つい先日は、隣りの国で、彼女は初めての海で溺れかけたというのに。その前は、樹海で迷い、その前は砂漠で干からびそうになっていた。もちろん、何も知らない彼女が、である。お付き合いも大変だ。
無邪気に笑っている彼女には逆らえない賢者であった。
彼女の持ち帰る土産話に、子供達は様々な夢を抱く。そして、心に負った深い傷を癒やしていった。
そんな彼女達を見て、国を失い、家族を失った大人達も笑いが増えた。
彼女は笑い、そして悩む。
天に焦がれ、地に焦がれ、そして隣りに居る賢者に、言葉には表せぬ感情に悩み続ける。