未来にて
知佳が福引で旅行券を当てた。
そして何故か知佳は旦那さんとは行かずに私を誘ってきた。だが別に二人の仲が険悪というわけではない。
知佳はよく旦那さんを放ってうちに遊びに来るものだから、いつものこと、と心配はしていないが、旅行くらいは旦那さんと一緒に行けばいいのにと言えば、予定が合わなかったのだそうだ。
さすがに知佳も旅行は旦那さんと行こうとしたらしい。
そういうわけで私は知佳との旅行に出かけることになった。
忘れ物がないかチェックし終えると、夏休み中で家にいる息子に挨拶をする。息子はテレビから目を離さずにぷらぷらと手を振った。
昔は私が出掛ける度に自分も付いて行くと駄々をこねていたが、さすがに高校生ともなればそれは無くなった。
少し寂しい気もするが、やられたらやられたで気持ち悪い。
複雑な心境になりつつ、チラリとも顔を向けない息子に苦笑いして家を出た。
少し早めに出てきていた私は、空港に直行せず、数年前に売り払った店、元古書店ゆめうつつに向かった。
じいちゃんは私が結婚する前に亡くなった。
昔検査入院をした際に病気が発見されて、その時は何とか良くなったのだが、それから何度か入退院を繰り返し、亡くなった。
その頃から店は休業状態で、じいちゃんが亡くなってからは、残された遺産で何とか維持していた。しかし数年前にその遺産も尽き、売り払うしかなかったのだ。
それから店に立ち寄る事をしていなかった私が、こうしてゆめうつつに向かっているのは、近々取り壊されるかもしれないと聞いたからだ。
思い出のたくさんある店だ。なので壊される前に見ておこうと思い、立ち寄ることにした。
着いたそこには、まだつけられたままの看板があり、中に入ればまだたくさんの本がある様に見える。
さすがに鍵がかあっているだろうか、とノブを回すとカチャリと音を立てて開いた。ギィと鳴るドアに懐かしさを覚えつつ中に入る。
外からはまだ本があるように見えていたが、やっぱりそこはすでに古書店ゆめうつつではなくなっていた。
空っぽになったそこは、歩けば埃が舞い上がる。
もう三十年近くになるだろうか。
あの時の不思議な体験を思い出して微笑む。
そういえば、『夢現』をタダで渡してしまったが、じいちゃんには怒られなかった。しかし、その年の夏休みはお駄賃無しで店番をさせられた。さすがじいちゃん、抜かりはなかった。
そんなじいちゃんを思い出して、はぁ、と溜息を吐くと、気分を入れ替えて家を出た時の息子を思い浮かべる。
もうすぐ息子、悠人もあの時出会った桜木悠人と同じ年齢になる。あの頃は何故かすんなり信じられたが、悠人の母親となり、あの桜木悠人は本当に悠人だったのか、と今更疑問に思う。もう顔を思い浮かべても、それが桜木悠人なのか悠人なのか判断がつかない。
だけれど、あの時の私がそう思ったのならば、それが真実なのだ。
あれから別の時代からの来店者は来ず、桜木悠人以外と出会う事はなかった。
それはきっと私の運命に必要な事だったからだろう、と密かに思っていたりする。
しばらくその場で感傷に浸っていたが、腕時計を見るとそろそろ飛行場に向かわなければ乗り遅れる時間だった。
名残惜しみつつ店を出た。途端に誰かとぶつかった。
「……すみません」
「いえ、こちらこそ」
昔もこんな事があったなと思いつつ、相手に謝る。
相手が落としたのか封筒から何枚か飛び出した原稿用紙を拾おうと一枚手に取った時、見覚えのある文章が目に入った。
“夢のようなその出会いは、しかし確かに現実だった”
その文章は、『夢現』の最後の一文と同じであった。
それにはっとして辺りを見回す。
どこかレトロな雰囲気が漂う街並みは、私のいた時代ではなかった。