表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Honey、honey。  作者: 林 ちい
貴竜ガン・レイ・ティン・ザイ・ハムヴィンラートの章
3/4

Honey、honey 3 <完>

「ハムさん……ハムさん、ハムさん、ハムさん」


 私はハムサンドが嫌いだ。

 ハムは嫌いじゃない。

 パンも嫌いじゃない。

 でも、合体したら嫌だから不思議だ。


「テンネ、連呼するな」


 テンネはやたらに“ハムさん”と口にするようになった。

 ……先が、あることを知っているらからだろうか?

 別れが、終わりが、近いことを分かっていたからだろうか?


「ハムさん……ハムさん、見てください。手、こんなに……しわしわになっちゃいましたね……ねぇ、ハムさん……」


 テンネを『趣味』にしてから数十回目のその冬は、雪が例年より多かった。

 テンネの背丈を超える雪が地を被い、大気は凍えて朝日に煌めいていた。


「なにを言う。手だけではない、顔も皺だらけだぞ? 鏡がいるようなら、持ってくるが?」

「ふふっ……要りません。自分でも、分かってますから……それに、最近は細かいものが見えにくくて……」

「老眼だな。皺も老眼も人間ならば当然の老化現象だろう。それは病ではないのだから気にするな」

「そう……ですね」


 ここに……ヨト王の治めるリベルチャンに来たのは、昨年の春だった。

 リベルチャンは湯治が盛んな国で、老いたテンネによかれと思い移ってきたのだが……テンネは到着早々、湯に浸かる前に体調を崩した。


「人間のお前は短期間で成長し、老いたな。変化があって、見ていて飽きないが。竜にはこのような皺ができないので、非常に興味深い」

「ふふ…………見ていて飽きない、ですか? なら、ずっと見てくれてるってことですよね? ふふふっ………それなら、しわしわになれて嬉しい……ゴホッ…ゴホホホッ…で、す」


 テンネは、この数年で以前よりゆっくりと喋るようになった。

 声も少し低くなったし、よく咳き込むようになった。


「テンネ、私は竜としては飽きっぽい性質だ。今までも、趣味を何度も変えてきた」


 人間より大きな私の身体に合わせて造られたこの部屋は広く、天井が高く……私が翼を広げられるほどだった。

 私はその部屋の中央に毛で織られた厚みのある絨毯を敷き、身を置いていた。


「飽きっぽい……ですか? そんなこと、ないですよ? ……ゴホッ…ゴホホホッ………だって、こんなに長い間……あたしを『趣味』にしてくれたじゃない……ですか」


 身を丸め、尾を巻き。

 腹の部分に、隙間を作り。

 そこに羽毛のつまった枕、暖かな毛布と……老いたテンネをしまった。


「そうだな。蜂蜜はずっと好物だったし、テンネにもまだ飽きていないな」


 求婚者達がテンネを美しいと賞賛するたび、初めての人間飼育がうまくいったのだと感じ、得意になっていたが。

 もう数十年間、求婚者は現れていない。

 老いたテンネには求婚する者も、美しさを賛美する者もいなくなった。


「過去も、現在も、未来も」


 今、私の腹で横たわるテンネは。


「来年も再来年も、その先も。好物は蜂蜜だろう。そして、趣味はテンネのままだろうな」


 拾ったあの時のように、いや、それ異常に痩せて縮んでいた。


「テンネ。歩けるようになったら、また蜂蜜を食いに行こう」

「……はい、はい…………ゴホッ…ゴホホホッ…はい、ハムさん」


 私が望めば。

 この国の全ての蜂蜜が、王の命によりここに集められるだろう。

 だが、違う。

 それでは、それは違うのだ。


「共に行こう。テンネ」

「は……い、ハムさ……ん」


 どう違うのか、言葉に出来ないもどかしさが私の胃の中で捩じれ、澱んだ。








「……ハムさん、ハムさん……ハムさ……ハムさ、ん……」


 私の腹をテンネの寝台にして、どれくらいの時が過ぎたのだろう?

 赤かったテンネの瞳は。

 雲のように白く、色が変わっていた。

 変りゆく様を間近で観察できて、私は満足していたのだが……。


「? テンネ、見えぬのか?」


 伸ばされた手が、私を探してゆるゆると左右に動く。

 その動きは、腕に目に見えぬ重石をつけているかのように緩慢であり。


「見えぬのだな?」


 曲がったまま戻らぬ指が、小刻みに振るえていた。

 東国の貝のように澄んだ色をしていた爪は、艶を無くし筋が目立っていた。


「……ハムさ、ん……ど、こ?」

「では、舌先でこうして触れていてやる。そうすれば、傍にいるのが分かるだろう?」

「あり……が、……ハ……ムさ、ん……ハムさ、ん」


 硬い皮膚に覆われた私の手で触れたら、脆くなったテンネが崩れてしまいそうだったので舌を使った。

 舌先を額に触れさせていると、安心したのかテンネの震えは徐々に治まっていった。

 医学書には書いていなかったが、これは弱った人間には有効な行為だったのだろう。


「テンネ。寝てばかりでつまらぬだろう?」

「……い、いえ…」

「歌を歌ってやる」


 人間は、子供に歌を歌ってやるのだと聞いたことがある。

 テンネは私の子ではないし、もう子供でもないが。


「……ハムさ、ん、ハ……ハ、ム、さっ……」

「もう喋るな。咽喉を傷める」


 私は、歌うことにした。


「以前、歌を集めていたことがあってな。長期間歌い続ける自信があるぞ?」


 そして、私は歌った。

 鼻から思いっきり大気を取り込み、歌った。


 歌ったのは、実は初めてだった。

 過去、歌を集めたが歌ったことは無かった。

 歌う気で集めたわけではなく。

 歌わせたモノを耳で聞き、記憶に記録しただけだったのだから……。


 音痴かどうか、歌を聞いたテンネに教えて欲しかったが。

 無理だった。

 集めた歌は膨大なもので、私は何ヶ月も歌い続けられたのに。




「まだ、一曲目の途中だというのに」



 歌い終わる前に。



「まぁ、これはこれでしかたがないな」



 テンネは、死んだ。



「うまく飼育できていたので、100年前後まで生きるかと思ったのだが」



 100年、もたなかった。



「……さて。腐る前に埋めるか」



 私の『趣味』は、終わった。

 飽きる前に、終わった。









 私はテンネの死骸を毛布で巻き、これまで同様に掴んで飛び立った。

 この国の西にある森に向かった。


「……ここにするか」


 初夏になると白い花をつける木にの側に下り、その根本を足の爪を使って掘った。

 手を使ったほうが効率が良いと分かっていたが、私の手はテンネを持つのに使っていたので足を使った。

 テンネを冷たい雪に覆われた地に置くという考えは、私の中には無かった。

 その理由は……分からなかった。


「テンネ。この木に、お前は食われるんだ」


 掘った穴に、毛布から取り出したテンネを寝かせ。

 手早く土をかけ、その表面を尾を使って平らにならした。


「テンネ。お前の身は腐り分解され、この木の幹となり、葉となり、枝となり、花になる」


 この木が花咲くと、多数の蜜蜂が集まってくるのを私は知っている。

 だから、選んだ。


「この花は、蜜蜂達に好かれているんだぞ?」


 済んだ黄金の蜜の味が、舌によみがえる。

 テンネと味わった記憶が、私の舌を甘く慰撫したが。

 私の身体は内側から力が抜け、地に眠るテンネの上に覆いかぶさるように倒れこんだ。

 思い起こせば、テンネが体調を崩してから死ぬまでの間、私は蜂蜜どころか水の一滴も口にしていなかった。


「……腹が空いたな」


 テンネの飼育に必要だった衣食住を得る為に、人間の『世界』にいた。

 竜である私には、それらは不要。

 水さえ飲めば、貴竜である私は生きることができる。

 一歩も動かずとも、雪を食べ、雨水を飲めば良い。

 ゆえに、私はここでこのまま時を過ごすことにした。






 蜜蜂達の羽音が、にぎやかに初夏の陽を掻き混ぜていた。

 私は首を掲げ、白い花を見上げた。


「満開、だな」


 視界に、青い空が入った。

 自然と、翼が広がる。

 だが、飛び立とうとは思わなかった。


「……なぜだ? 腹が空いてるからか? 水しか摂取してなかったので、力が出ないのか?」


 自問自答しつつ首を曲げ、視線を下げた。

 すると、ある変化に気づく。

 何かが地面にぽつぽつと落ち、吸い込まれていた。

 何かが落ちた場所は、土が色を濃くしていた。


「あぁ、そうか」


 唐突に、理解した。


「あぁ、そうだったのか」


 気づかなかった。


「私はテンネを失ったことが」


 気づけなかった。


「とても」


 私は。


 ---竜って、なんで人間を食べるんですか? 人間って、そんなにおいしいんですか?



「とても」


 ---蜂蜜? あたしも好きです! 甘いの大好きです!


 私は。


「とても」


 悲しかった、のだ。



「テ……ンネ! テンネッ、テンネッ!! テンネェエエエエエエエエッ!!!!」


 やっと。

 私は、理解し。


「……私は、お前にっ」


 埋めたテンネを、掘り起こし。

 白い髪も、赤い目も、肉も失った骸を拾い集め、合わせた両の手の内側に収めた。


「愛されて、いたんだなっ……」


 ---ハムさん、ありがとうございます!


「……途中だったろう? テンネ」


 感謝すべきは。

 私のほうだった。


「続きを歌ってやろう」


 最初は、あの時の子守唄の続きを歌おう。

 

 ---はい! ハムさん! 腹巻もしてきますね! すぐ戻りますから、待っててくださいね!


 あぁ、声が聞こえる。

 私の名を呼ぶ、テンネの声が。


「……待ってるに決まっているだろう? お前は私の最後の『趣味』だ。置いていくわけがない」


 ---はい、ハムさん!


 途中だった子守唄を歌ったら。


「テンネが戻ってくるまで、私はここで歌っている」


 その次は。


「私はずっと、ここにいる」


 愛しい者に捧げる歌を歌おう。


















 










評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ