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Honey、honey。  作者: 林 ちい
貴竜ガン・レイ・ティン・ザイ・ハムヴィンラートの章
2/4

Honey、honey 2

「……テンネは変わったな」


 私は竜の中で高位である貴竜だ。 

 ガン・レイ・ティン・ザイ・ハムヴィンラートという、貴竜にしては極めて短く簡単な名だ。

 そんな私がさらに簡素な“ハム”という加工食品そのものの略名を得て、幾度目かの春を迎えた。


「ふふ、だってもう16ですから! ハムさんは変わりませんね」


 やわらかな陽を浴びながら庭でまどろんでいると、館からテンネが生まれたばかりの馬のようによろけながら走り寄って来て……そう言いながら、私の側に腰を下ろした。

 侍女達によって飾り付けられたテンネは、動きに合わせ絹の衣がふわりと揺れ、頭部に載せられた金の宝冠が陽を弾いて煌めいていた。

 頭部だけではなく耳にも首にも腰にも手首にも、さらには指の一本一本にまで宝飾品をテンネはつけられいる。

 過剰なまでの装飾は、ここで過すようになってからは毎日のことだ。

 エリゼル公国の王はテンネを飾り立てるこを私が望んでいると勘違いしているらしい。


「私は竜だ。変わりたくとも変われない。だが、お前は変わった」


 テンネは変わった。

 骨ばった身体は適切な給餌によりやわらかな肉に覆われ、手足が伸び、背も高くなった。

 まぁ簡単に言えば、テンネは大人になったということだろう。


「16ならば、人間はもう大人だな?」

「はい! 森でハムさんに拾っていただいたおかげで大人になれました!」

「ではいっそう私に感謝し、日々を生きろ」

「はい! テンネはハムさんに拾っていただいて、『趣味』にしていただいて、本当に感謝しています……ありがとうございます、ハムさん! ……あっ!」


 勢い良く頭を下げたので、テンネの頭部から宝冠が音を立てて地面へと落ちた。


「大変、汚れちゃ……ハムさん!?」


 慌てたテンネがそれを拾おうとした手が届く前に、私が爪先で宝冠を弾くと。


「こんなもの、邪魔だろう?」


 黄金の宝冠は空高く上がり、弧を描いて城壁外へ落ちていった。


「ハムさん……あれって、高いんですよね? じゃあ、あれを拾った人はすごく得ですね!? その人はきっとハムさんに感謝しますね! ハムさん、すごいですね!」

「…………」


 空から落ちてきた宝冠を拾った者に、なぜ私が弾いたものだと分かって感謝できるんだ?

 どう考えても、無理だろう?

 ……テンネの思考は少々偏りがあり、私を中心に物事を考えるような所がある。

 文字の読み書きは竜である私にも教えられたが、思考に関してはうまく教育できなかったのかもしれない。 


「……お前の身体は変わったが、それ(ハムさん)は変わらなかったな」

「はい! だってハムさんはハムさんですから!」


“さん”は不要だと言い続けたが。

 他の言いつけはよくきくテンネなのに、これに関しては折れなかった。

 テンネは淡雪のような容姿をしているというのに、中身には岩石のような部分も持っている。


「……そういえば。テンネよ」


 テンネを『趣味』にしてから、私はテンネを連れていろいろな国を廻った。

 多くの国を訪れ、多くの花種の蜂蜜をテンネと味わった。


「ビシール国の第二王子がお前を妻にと言ってきたが、どうする?」


 テンネの生まれた土地では忌むべき者とされた白子も。

 土地が変われば珍重され、得がたい者として好まれることもある。

 ビシール国では吉兆の子といわれ、尊ばれる。

 私という存在のことを無しで考えてもビシール国の王子ならば、けっしてテンネを蔑ろにすることはないだろう。


「え? どうって……あ、あのっ、テンネはその……お断りしてくださいっ!」


 私を見上げていたテンネの赤い瞳が揺れた。


「テンネよ」


 それは私に、遠い南の島で見た沈む陽を思い起こさせた。

 自らの染めた海に陽が融けゆく様は、穏やかで美しくありながらもどこが寂しくもあり……私の心の底がざわりとした。

 貴竜である私は怖れるモノなど無いが、沈む陽はあれ以来苦手だ。


「……また、断るのか? これで14人目だぞ?」 


 テンネを『趣味』にし、同行させるようになり数年経つと。

 テンネに求婚する者が現れるようになってきた。

 諸国の王侯貴族の子息達にとって、貴竜であるこのガン・レイ・ティン・ザイ・ハムヴィンラートが連れ歩いてる人間の娘はとても“価値”がある“モノ”として映ったのだろう。


「断りの文を書く私の身にもなれ……爪をインクで汚すのは、あまり好かない」


 人間のような手指を持たぬ私が文字を書くのに使うのは、自分の爪だ。


「す、すみません! ごめんなさいっ、ごめんなさい……」 

「まぁ、いい。この世に男は多数いる。テンネはどんな男がいいんだ? 私が各国の王に命じ、お前の好むような男を揃えさせてもいいぞ? 血統が良く、見目の良い男を用意させよう」


 私は口にしなかったが。

 テンネが初潮を迎え子をなせる身体になった頃より、少々興味が出ていた……テンネの子に、興味があった。


「え、やめっ……い、いえ、必要ありません!」


 テンネは白い手を私の右の中指に伸ばし、掴んだ。

 その手は、震えていた。


「…………テンネ。人間は繁殖適齢期を逃すと、子を得難くなるらしいぞ? 子が欲しくないのか?」


 私には、テンネの震えの理由が解らなかった。

 なぜなら私は竜であり、人では無いのだから。

 人が恐怖や歓喜で身を震えさせるのは知っている。

 だが、テンネの表情には恐怖も歓喜も無かった。


「ハムさんは……ハムさんは、テンネに子供を産ませたいんですか? 子供が飼いたいんですか? テンネが大人になったから、テンネだけじゃつまらないんですかっ!? テンネの飼育に飽きたのですかっ!? テンネが産まなければ、王様達に言ってどこからか子供を連れてこさせるんですかっ!?」


 そこにあったのは……今にも泣き出しそうな、歪んだ顔だった。

 ああ、これは。

 悲しんで、哀しんでいる人間の表情だ。

 テンネよ、お前はなにを哀しむ?


「いや、まだテンネに飽きてない。私は、ただ……」


 夫を迎え孕んだら、テンネがどう変化するのかも興味があった。


「ただ、興味があっただけだ」

「興味、ですか?」


 この小さな腹がふくれ、中にもう一つの命が宿ったら。

 この細い腕に赤子を抱いたら、テンネはどんな顔をするのか。

 そして、テンネの産んだ子に私はどのように接し、何を思うのか。

 テンネの変化だけではなく、そうなった時の私自身の変化にも興味があったのだが……。


「私は、飼育するための子供が新たに欲しいわけではない。テンネが夫も子も欲さぬのならば、婚姻はしなくともいい。私は今まで通り、テンネだけを『趣味』で飼育することに不満は無い」

「え!? あ……ハムさん、ありがとうございますっ!」


 礼を言ったテンネの顔は。

 蜂蜜を食う時と同じ笑顔だった。


「……」


 まぁ……私はテンネの繁殖家(ブリーダー)になりたいわけではないのだから、子は手に入らなくとも良い。


「テンネ」

「はい。ハムさん、なんでしょう?」


 テンネは表情が豊かだ。

 さっきは泣き出しそうだったのに、今は笑っている。


「この国を出るぞ? 暑くなる前に、涼しい土地へ移動する」


 白子は弱い個体が多い。

 エリゼル公国の春は特に短く、すぐに夏になる。

 この国の夏は高温多湿で、テンネには適さない。


「え? ……いいんですか? この国の王様は、ハムさんに居て欲しいんでしょう? ハムさんのために、すごい立派なお城を建てる計画をしてるんだって、一昨日言ってましたよ?」

「城? 城に見せかけた【檻】だ。貴竜である私を留めておくための、な」


 人間は、利用価値があるものは手元に置きたがる。

 私には、利用価値がある。

 竜の中でも高位の貴竜であるこの身は、ただ居るだけでも諸外国には圧力となるのだから。


「お城なのに檻なんですか?」


 人間は私を利用しようとするが、そこに束縛は無い。


「そうだ。だが、私には檻など無意味だ。無意味なそれを建てるのに増税される民が憐れだ。計画が実行される前に、この国を去る」


 私には、翼が有る。

 私は、自由だ。

 竜の中でも高位の貴竜である私を縛れるものなど、この世には存在しない。


「ハムさん、次はどこに行くのですか?」


 国を渡り歩くのに、テンネはもう慣れている。

 さっさとその身から宝飾品を外し、地面へと並べて置きはじめた。

 私の『趣味』となり成長したテンネには物欲が無いが。


「そこでも、テンネはご飯をお腹いっぱい食べさせてもらえますか?」

「……当たり前だろう?」

「良かった!」

「……」


 物欲は無いが、食への欲はある。

 幼少時、満足に食わせてもらえなかったからだろう。

 忌み子として扱われ、常に飢えて育ったのだ。


「レーティモン帝国に行く。レーティモン産の蜂蜜は美味いぞ? あそこは近年果樹栽培が盛んで、花が多く養蜂が盛んだ。この国へ来てから私は水しか口にしていない。もううんざりだ、さすがに腹がすいた」


 私が食いたいのは、現在は蜂蜜だけだ。

 他のモノも食えるが嗜好の問題であり……ここの王は私の嗜好を聞かず、調べようともせず、多くの竜が好んで食す肉を積み上げてきた。

 焼いたもの、蒸したもの、煮たもの……生もあった。

 牛、豚、鶏、兎、鹿、羊……さすがに、人肉は出てこなかったが、出されたものに手をつけない私にあせり、多種の肉を日々出してきたが、蜂蜜は一滴も提供してこなかった。

 平身低頭で自らの無能さを侘び訊ねてきたら、私の好物を答えてやったのに。

 ただ、テンネがこの国の菓子を好んだのでいてやったが……限界だ。


「ハムさんって、いっつも、自分からは蜂蜜くださいって言いませんよね? 蜂蜜は高いから、遠慮しているんでしょう? 奥ゆかしいんですよね!」


 遠慮?

 奥ゆかしい?

 そうではないと思うが、否定するのも面倒なのでそういうことにしておこう。


「……テンネ、さっさと外套をとって来い。空は冷える。また腹を下すぞ?」


 移動手段は当初より変わらない。

 私がテンネを掴み、飛ぶ。

 ずっと、変わらない。

 これからも、ずっと。


「はい! ハムさん! 腹巻もしてきますね! すぐ戻りますから、待っててくださいね!」

「待ってるに決まっている。お前は私の『趣味』だ。置いていくわけがない」

「はい、ハムさん!」


 テンネは来た道を、今度はしっかりとした足取りで駆け戻っていった。

 振り返らず、足を止めずに。


「……テンネは大人になったが、子は産まぬと言う。ならば、テンネが死んだら新しい『趣味』は何にするか……」


 森に捨てられたテンネを拾った翌日、私とテンネは蜂蜜を食った。

 馴染みの養蜂家が自信に満ちた表情で差し出した黄金の蜜を、私とテンネは味わった。

 甘くて美味いと、テンネは言った。

 私も美味いと、言った。

 テンネは笑ってそう言っていた。

 だが、私はテンネのようには笑えなかった。

 竜の私には、人間のような豊かな表情は出来ない。

 そのことが……少々、ほんの少々だけだが……私は不満、だった。


「まあ、それはさておき。蜂蜜を腹いっぱい食うのが先だな」


 その後も。

 白子で体の弱かったテンネだが、大きな病も無く生き続け。


 生きて。

 育ち。




 そして。



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