【Milky Way】
「お前が好きだ」
「っ、」
春が過ぎ、夏と呼ぶには些か早く、しかし気温と湿度はすっかり夏を運んできているという七月。友人からの告白の言葉は、ただの友人という関係を壊す言葉であった。
そんなときに私の頭に浮かんだ顔は、もう四ヶ月は顔を合わせていない人のもの。
「……私、付き合ってる人がいるから。ごめん」
「……それって、もしかしてあいつ?」
友人が挙げた名前は、半年前に家庭の事情で転校していった元クラスメートの名前であった。
「うん」
「まだ続いていたのか!?」
「まあ……ね」
当たり前といえば当たり前だ。学生にとっての半年というものは長い。付き合ってからそろそろ二年。彼が引っ越したのは半年前、最後に会ったのは四ヶ月ほど前だ。別れていると思われていても不思議はない。
でも私たちはまだ続いているし、彼が今も好きな以上は友人と付き合うという選択肢はなかった。
「そっか……。あんときから仲良かったよなぁ、おまえ等」
「ごめん…」
「謝るなって。お前は俺に謝らないといけないようなことしたか?」
「……ううん。してない」
「だろ。まあ変わらず友だちでいてくれると助かる。避けられたりするとさすがに辛い」
「当たり前じゃん。……いい男だねぇ、あんた」
「今ごろ気づいたのか?」
今更気付いても遅いぞ、っと笑っている友人の目元が哀しげに歪んでいるのは、見てみないふりをした。
それを指摘できる資格は、私にはないから。
「なあ、寂しくねぇの?」
「え?」
ふいに、友人は問うた。
「……さみしくないよ」
電話もメールもしてるしね。とできる限りの笑顔で告げると、友人は一瞬怪訝そうな表情を見せたが、すぐにそうかと頷いた。
「ま、これからもよろしく」
「うん」
握りあった手は暖かく、友人には申し訳ないと思いつつ、これがあの人の手なら良かったのに、なんてことを思った。
/
高校生という子どもと大人の狭間のような時間はいろいろともどがしく、何事も一人で出来るようで出来ないことはまだ多い。
……たとえば、海外に引っ越した恋人に会いに行くこととか。
「はぁ……、まさかあいつが私のこと好きだったなんてなぁ」
意外だった。あの友人は恋人と出会う前からの遊び友だちで、腐れ縁の悪友みたいな人だったから。恋人が出来たときも、からかい混じりにも祝福してくれていた。恋人が引っ越してからはそういうからかいもなくなったけど、もしかしたら、それも恋人と別れたかも知れない、と思った友人なりの気遣いだったのかも知れない。
ふっと、視界に携帯電話が目に入った。
今はスカイプもあるけれど、顔を見ると会いたくなるから、国際電話で我慢している。
時刻は夜の二十二時、時差を考えるともう寝ているかも知れない。
「……声、聞きたいな」
徐に、私は携帯電話を手に取った。アドレス帳で彼の名前を呼び出して、通話ボタンに指をかける。しかし、押すことはできなかった。
「会いたいよ」
でも、彼の優しい声を聞いたら、普通に会話が出来るか自信がなかった。友人からの告白はそれでなくとも動揺するには充分であったし、もう彼にも四ヶ月は会えてない。四ヶ月前に会えたときも、家を完全に売り払う手続きのために帰ってきただけで、3日もせずに帰ってしまった。
手帳を開いて日付を確認すると、最後に会ってから今日でちょうど四ヶ月……と指で日付をなぞって、下に書いてある文字に気づいた。
「七夕、か……」
今日は一年に一度、織姫と彦星が逢瀬を交わす日だ。私たちが会わないでいた期間は四ヶ月。二人はその三倍もの時間を耐えていたのか、そう思うとすごいなと思った。
二人は全く心変わりしなかったのだろうか、不安になる夜はなかったのだろうか……と。相手のことをちゃんと好きでも、会えない日々は距離を生んでいくものだから。
連絡を取る頻度が減っていったり、互いのいない日々をあんなにも嘆いたのに、今普通に生活出来てしまっている、自分。彼と会えない日々に慣れる日なんて、来ないと思っていたのに。
悲しかった。想像していたよりも強かった自分に気付いたとき、向こうも同じなんじゃないかと思ったら。でも、不安になる日もある。こんな風に、彼の存在を間近に感じたいときもあるし、愛されていると感じたい日もある。
寂しくないのと大丈夫なのは決してイコールではない。けれど、寂しくても大丈夫のは、寂しくないのとどう違うのだろう。
好きなのに、想い合っているのに。どうして会いたいときに会えないのだろう。
友人にはああ言ったが、寂しくないなんて嘘だった。でもこうなると知っていても尚付き合うことを選んだのだから、今更これくらいで寂しいなんて言っていたら身が持たないのも事実で、だからこそ寂しいなんて認めたくなかった。
……昔の電話もなかった時代は、直接会うか文でしか会話が出来なかったという。その時代の人々はこういうときどのようにして悲しさや寂しさに耐えていたのだろうか。
「会いたい……っ、会いたい、よぉっ……」
どうして。
……どうして?
「こんなに好きなのに、会えないの……っ!?」
涙だけが次から次へと溢れて、止まらない。どうして、どうしてと、答えのない問いだけが頭を占める。そんなとき、目の前の携帯電話が震えた。
携帯のディスプレイに示された文字は、今会いたくて仕方ない人の名前だった。
「……っ」
今こんな状況で出たらダメだって分かっているのに、私の体は私の意志を裏切って通話ボタンを押していた。
「…もしもし」
声が震えないように気をつけて出れば、気さくな彼の声が届く。
『よお、今時間平気か?こっち天の川がめっちゃ綺麗でさ、日本はどうかなぁって』
遅い時間にごめんな、という彼の声はずっと変わらない。なのに何故かとてつもなく遠い気がして、目元が滲んだ。
気付くと、私は今一番伝えたい言葉を、そして言えば彼を困らせるだけの言葉を口にしていた。
「……会いたいっ!」
『……どうした、何かあったか?』
息をのんだような沈黙のあと、決して私の言葉を無理なことだと一蹴したりせずに、身を案じてくれる優しい恋人。そんなことだから、私がワガママになってしまうのだと、きっと本人は気づいてないのだろう。
「……な、にも。ない、けど」
だからこそ告白されたなんて言えなかった。お互いへの不安の種は、少ないに限る。国境をも跨いでいる相手に嫉妬するのは、お互いが疲れるだけだから。
「っ、……ごめんね。いきなり、変な、こと、言って…」
『───あのさ。俺、お前に言わなきゃいけないことあるんだ』
「え?」
『本当は、言わないで置こうかと思ったんだけど。……俺自身の中で踏ん切りがつかないし、やっぱ、いつまでも隠して置けないから。』
「そ、れって……っ」
何もないなんて言って信じてもらえるとは思わなかったけど、向こうはどういう意図を持ってそんな話題を振ってきたのか分からなかった。
イヤだ。
聞きたく、ない。
トーンの落ちた声。
重苦しい雰囲気に、予測される言葉は必然と絞られていく。
『ちょっと、早いかも知れないけど……』
振られるしれない。そう思ったとたん、聞きたくなんてないのに、息を詰めて携帯から流れてくる声に耳を澄ませてしまった。
イヤだっ!!
反射的にギュッと両目を瞑るが、彼の言葉は止まることがない。
『──俺、そっちの大学受けようと思うんだ』
「………え?」
今、なんて。
『まだ受験まで一年以上あるし、偏差値だって足んねぇし……。でも、大学生になったら家出ていいって言われてるから。だから───』
だから、待ってて。
「ふっ、ぇ………っ」
『ちょ、ど、どうした!?』
応えようと口を開くと、先ほど静めたばかりの嗚咽がまた零れた。
だって、こんなのはズルい。
不安だったはずなのに、揺らいでいたはずなのに、なんで。
「…ひっく………っ」
さっきまでの寂しさなんて、不安なんて、そんな彼の一言で簡単に吹き飛んでしまった。
きっとこれからは、年に一度の逢瀬すらままならないかも知れない。
まだ高校生だし、簡単に海を越えることはままならない。部活や課題、それこそ受験だってある。
でも大丈夫だ、と思った。
私の願いは、望みは。
遠くの星の、遠くの神さまが叶えてくれるのではなくて。
───私の願いを叶えるのは、彼にしか出来ないから。
『……もしかして、迷惑か?』
言外に、もう遠距離は疲れたかと問うような彼も、きっと不安だったり遠い距離に疲れてしまった日があるのだろうと悟った。しかし、そんな日々があっても私たちはまだ続いているのは変えようのない事実だ。
会うことは簡単ではなくても、思い合う努力さえ続ければ、いつだって会える。織姫と彦星のように、仕事をサボったりしなければ、あの二人だって好きなときに会えたのだから。
「ねえ……大好き、だよ」
だから待ってるね。と言えば、彼の嬉しそうな声が聞こえる。まだ彼がこっちに帰ってくるまで、あと一年以上ある。
その間ケンカしないとも限らないし、誰に出会うかも分からない。そんなことは承知の上で、それでも私たちは互いの存在を求め続けることを選んだ。
それがどんなに辛くて、不安で、苦しくても。
私は立ち上がって、耳に携帯を当てたまま彼の言葉通りに、私は自身の部屋のカーテンをあける。田舎町の空は、綺麗な天の川を映し出していた。
「……ねえ、こっちも、キレイだよ」
嬉し涙で滲んだ天の川は、それでも輝いていた。
『……ん』
遠くても広くても、続く空はひとつだけ。そんな歌の歌詞みたいな台詞も、今なら身を持って実感できる。
天の川を眺めながら、互いにしか叶えられない願いを胸に抱えて、二人はそれぞれ海の向こうにいる誰よりも愛しい互いの存在を、思い浮かべたのだった。
FIN