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旅に出る

 孝太郎のスクーターを借りて買い物をするようになった。買い物と言っても大したものではない。コンビニエンスストアで何か見繕う。

(ここの杏仁豆腐がなかなかうまい)

そうして家族3人分買っていく。美津子は杏仁豆腐の表示を見て、

「これ、杏仁豆腐以外のものも入っているんじゃないですか?」

と怪訝そうな顔をした。

「気にしていたら何も食べれんぞ。今の食品には何かしら別のものが入っている」

林田は笑って美津子を見た。美津子は訝しげな顔を変えることなく杏仁豆腐を食べている。そして感想も言わずに容器をゴミ箱へ捨てた。

 次の日はもっと遠くへ出かけてみた。時折ミラーを見るが、スクーターの場合目視も多い。自分の目で何が起こっているのか実感できた。今は車よりもスクーターのほうが相性がいい。孝太郎にスクーターで出かけた話をすると、

「これも貸してあげる」

大きなリュックサックをくれた。

「バイクは荷物を入れるスペースがないからね。買い物をするならそれを使うといいよ」

 次の日からリュックを背負った老年の紳士はあちこちをスクーターで廻った。

(今日は峠を越えてみよう)

林田は片側一車線の、混雑した道路に入っていった。

 原付の法定速度は30キロと決まっている。しかし、林田のスピードは30キロを裕に超えていた。それでも車の速度ではいつもの速度だ。同じ速度を出しているのに体が違った反応をする。風が林田の体に体当たりしては横切っていく。

 一車線道路は<一ノ宮>という交差点で片側二車線の大きな道に変わった。しばらくは商店やコインパーキングなどがあちこちにあった。<関戸>というところまで来るとそこから坂を上っていく。左側にはゴルフ場があり深緑の葉が覆い茂っていた。このあたりになるとコンビニエンスストアの一軒もない。ただひたすら走るほかない。山の頂上から急坂になる。スピードは50キロの針を越えていた。

 左側に古本屋が見えた。そこでバイクを止めると店に足を運んだ。店の中にまだ高校生くらいの男子たちが<アダルト18歳未満立ち入り禁止>と書かれたところへ入っていく。林田も後に続いた。

 ピンク色の電球が暗い店内に明かりを灯してた。成年マンガ、雑誌、小説とジャンル別に置いてある。一冊手に取ってみた。自分の息子と同じ年くらいの女性の裸体が写っている。自分もこの手の本は読んだ。しかし、今の時代のほうが綺麗で少々過激に思えた。自分が読んだ雑誌に載っていた女性は、今考えてみるとバケモノだったかもしれない。

 レジカウンターは商品を置くスペース以外は壁で覆われていた。客の素顔を店員が見ないようにするためだ。林田はその一冊を手に持つとレジカウンターに行った。店員の胴体部分が動いて、

「400円です」

と言った。なんだか妙な気分だった。

 林田はリュックに本を入れるとまたスクーターに乗って街道を走った。私鉄の駅の高架をくぐりついに神奈川県に入った。スクーターで県境まで来たのには驚いたが、それでも林田は走り続けた。

 また古本屋があった。左側には先ほどの古本屋のチェーン店、向かって反対車線の方には別の古本屋があった。どちらにも入ってまた成人雑誌を買った。

 今度は今来た道を戻った。もう帰ろう、家内にばれないようにすぐ書斎に行かねばと頭を巡らせた。

 林田の肩に水滴が落ちた。その大粒の水滴はだんだんと降って林田の体を殴るように打ち付けた。

(雨だ)

林田の体は一気に濡れはじめ視界も悪くなった。それでも林田はアクセルの手を緩めなかった。途中、信号機が赤になっていることがわかると急いでブレーキをかけた。キイッという強烈な音ともにスクーターは止まった。見ると前方の車との間はほんの数センチしかなかった。

 遠回りになるが車の少ない道を通ることにした。途中で息子が貸してくれたゴーグルをはめる。いくらか視界がよくなった。<大丸>と書かれた交差点で左に折れた。小道の坂の周りには新興住宅と小さな公園が並んでいた。公園や歩道に並ぶ樹木が激しい風にあおられて揺れている。バチバチとやかましい音が林田のキャップに突き刺した。

 坂を上りきると片側一車線の道路に出た。中央を草と土でできた分離帯が向こうの道路を遮っている。アクセルを回して真っすぐな一本道をひた走った。時折土が溶けたように道路に流れ込んでいる。

 雨で視界の半分以上を遮られていた。それでも林田はアクセルを回しスピードを上げた。

 小さな交差点が見えた。分離帯が一度切れて、またまっすぐに伸びている。交差点の歩行者信号が点滅しだした。林田は一直線に交差点に突っ込んだ。その瞬間、スクーターは斜めに滑り始め林田の体を電柱のほうへ引き離した。黒のスクーターは林田を置いて土の分離帯にぶつかった。

 起き上がろうとしたが体がなかなか動かない。そして足が妙に熱を持っている。

 うつ伏せになったまま林田の体は動かなかった。時折指が電柱にひっかけようとする。起きるきっかけになればと手を動かす。しかし、手は空を切って濡れた道路に打ち付けられた。水が跳ね返って林田の顔にかかる。荒い息を何度かして、ゆっくりと立ち上がった。この間に何度か信号は変わった。しかし人も車の音もなかった。

 バイクのところまで足を引きずって歩くと、渾身の力を込めてスクーターを起こそうとした。スクーターはゆっくりと車体を斜めにし立ち上がろうとしていた。強い風が後ろから林田を襲った。今度はバイクと一緒に車道に倒れた。

 胸が痛む。ニトログリセリンを・・・・。それからスクーターを傷つけてしまった。孝太郎になんて謝ろう。ニトロ、ニトロ、ニトロ・・・。林田の瞼はゆっくりと塞がれていった。



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