車が四角に見える
老いた男が穴を掘っている。よく見ると林田自身だった。深く掘られた穴の中にいたのも林田だった。穴の中の林田は目を覆ってうっ・・・うっ・・・と嗚咽のような声をあげている。スコップを持った林田はその光景をただ見つめているだけであった。自分が自分を埋めてしまう。そう思って穴を見つめている林田のスコップを奪おうとした。しかし、そうしようとする前に、穴を見つめていた林田はスコップに土を盛り、穴の中にいるもう一人の林田を埋め始めた。
う・・・う・・・
穴の中の林田は抵抗することなく、ただ目を覆って泣いていた。次第に土は穴の中の林田を埋め尽くし、小さな土の山ができた。スコップを持った林田はそれをスコップの底で叩くとどこかへ行ってしまった。
ベッドから起き上がったとき、隣のベッドでは美津子の寝息が聞こえた。お互い年を取り、妻は男の前でもいびきをかけるようになっていた。
(さっきの光景は夢だったんだ。)
ふと首のあたりに手をやると寝汗がにじみ出ている。よく見ると、胸や腹のあたりも濡れていた。
(あれは夢だったんだ)
起き上がって窓際に立った。カーテンを開けるとベランダ越しに庭が見えた。
(そうだ、昨日犬を轢いたんだ。犬を殺してしまったんだ)
林田は頭をかきむしった。昨日の出来事がふつふつと思い出される。
(頭が痛い・・・)
林田は書斎に足を運ぶと番組の制作ノートや資料で埋まっている机の下から、くちゃくちゃになった紙袋を取り出した。紙袋にはボルタレンと書いてある。仕事で頭痛を起こすことがあった。医者からニトログリセリンと一緒に処方されている。ボルタレンとムコスタを口に入れると、水入れからガラスのコップを取り出し水を入れた。口に含むとゆっくりと飲み込んだ。
上司にはしばらく休むと言った。しかし、休むといってもどう休むか考えていなかった。
林田は着替えて車に乗った。エンジンをかけ、サイドブレーキをおろし、ミッションをDレンジに入れた。しかし、アクセルを踏もうとするとどうしても躊躇してしまう。胸のあたりが妙に高鳴り落ち着かない。
(アクセルを踏んで、ハンドルを・・・)
切ることができなかった。どこでハンドルを切るのかがよくわからなかった。ハンドルの問題だけではない。バックミラーもサイドミラーも全部が偽物のように見える。林田はサイドブレーキを上げてエンジンを切った。
洗面所に行き顔を洗った。鏡を見ると老けた自分がいる。いつの間にこんなに老けたのか。長瀬は年だと言った。もう、年貢の納め時だと。顔のしわの一つ一つが年貢の納め時だと告げているように聞こえた。
美津子にはしばらく家にいると伝えた。それを聞いた美津子はあまりいい顔をしなかったが、
「何もしないのはよくありませんから、せめて買い物くらい付き合ってくださいね」
と言った。
二人で買い物をするのも久しぶりだ。そう思ってBMWに乗った。乗車した途端、今度は車の構造がよくわからなくなった。なぜ四角い車がカーブできるのか、四角い箱が円形を描いて車庫に入れるのかわからない。
「車はなぜ曲がれるんだ?」
林田は運転席から視線をまっすぐに見たまま美津子に尋ねた。
「何を言っているんです?早く出してくださな」
美津子の声にも林田は反応しなかった。
「どうして、円を描けるんだろう」
林田はぼぅと壁の向こうの遠い何かを見ていた。
林田はシートベルトを外すと、
「お前運転できるだろ」
と席を降りた。
「どうしたんです、急に」
「うん、お前が運転してくれ」
美津子は怪訝そうな顔をしながら、
「じゃぁ、私の車で行きましょう。はやくしてください、もう」
と足早にBMWから降りた。




