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冬の花火

作者: はやとん

僕は誰も知らない島に住む一匹の猫。気付いたら僕一人しかいなかったから、名前は知らない。というか、ないのだと思う。名前のない僕はいないのと一緒。誰も僕のことを知らない。一番幼い頃の記憶はとうの前に消えていて、気付いたらここにいたから何もかもがわからない。

今日も鋭い日差しの矢が降り注ぐ。だから僕は緑の葉が生い茂る木の木陰に入って、ぼんやり空を眺めていた。ずっと眺めていたって青空の蒼は変わることないのに、ただ眺めていた。木陰が僕の唯一の友達。僕を強い日差しから守ってくれる。飛行機雲が現れて消えて、何羽もの野鳥が空を跨いで、風が僕の頬を撫でては通り過ぎた。風にのった潮の香と波の音はいつもと同じ。打ち寄せては返すマリンブルーの波と、僕の鼓動の不協和音は僕の心を安らかにしてくれるんだ。海で生命は生まれたと生物学者が言う。それになんとなく共感できる気がした。そうやってぼんやり時間が過ぎ去って、今日も終わっていくのだなと思った。太陽が西の茜色に沈んで、星空が東の藍色からやってきて、また朝が来る。

最初見た時は、こんな綺麗な空どこにもないだろうって感動したんだ。さぶいぼが立って、僕はこの空の下でずっと過ごしていたいって思った。だけど、最近なんか違うって思う。違うなっていうか、いくら綺麗な空を見ても感動しなくなったんだ。ぼんやり眺める景色は、僕の記憶のコピーでしかない。昨日と同じ光景の繰り返しだ。歳をとるってことはそういうことなのかなって諦めようとしたんだ。けれど、なんだか諦めきれないで今ここにいる。

なんだか今日は心が変な感じ。心が窮屈な感じがする。押し潰されそうなんだ。ぎしぎし音をたてて歪んでいく心を僕はどうすることもできない。今までは思わなかったけれど、こういう感じは初めて。いいものではないな、ただ辛いだけそう思った。

 そんなことを考えていたら、またいつもの夜がやってきた。今日はまんまるの月が日暮れと同時にやってきて、僕が眠るまで付き合ってあげるよって言うから、尋ねてみたんだ。この気持ちはなんだろうって。そうしたら、「そういうのを『寂しい』って言うのよ。」って。

 その瞬間、急にお母さんのことや、兄弟のことを、可愛がってくれた赤い屋根の家のおばあちゃんのことを思い出したんだ。今目の前にいるかのようにありありと鮮明に。僕の眼から知らないしょっぱい水がぽたぽた落ちてきて、僕は懸命にそれを拭った。お月様は「それを『涙』っていうのよ。」って教えてくれた。そして僕を優しい薄黄色の淡い光で包んでくれた。

 朝が来るまで泣いて、泣いて、泣き疲れて、気付いたら眠ってしまっていたみたい。目を覚ましたら僕は片田舎のよぼよぼのおばあちゃんの薄汚れた古い家の板の間にいた。僕の背中にはそっとお気に入りのバスタオルがかけられていた。僕が起きたのを見ると、おばあちゃんは僕を無理矢理抱きかかえて「あら、この仔また太ったんじゃない。寝てばかりいるからねぇ。」って言って笑った。僕はその温かい皺くちゃの手に安心して欠伸混じりで「ニャー」と一声鳴いた。おばあちゃんは僕を炬燵に運んでいく。外を見ると雪が降っていて、靄がかかったように白い。色がないと言えばそうだけれど、こっちのほうがずっといい景色だなって僕は思った。一人じゃないっていいなって思った。


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