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人間若返りの話

 人間はあらゆる悩みと戦っている。

 極く普通の人間は病苦、生活苦、失恋、不和、月給難、住宅難といった類の悩みを身体

中に張り付けている。

 世界の高度な知性は、人間の本質における無意味さを看破し、虚無的になるか、刹那的

になるか、あるいは光明を求めて伸吟している。

 この哀れな人間達を救う為に立ち上がった、かの有名な唯物史観に立脚する人々の野心

的な試みは失敗して久しく、歴史の彼方に埋もれた。ヤオヨロズの教祖様のお説教にも心

を委ねる事のなくなった人々の精神的な支えもまた失われて久しい。信じる者も救われな

い不毛の世に突き進んでいるかに見える。

 だがここに一人の男、世奈尾氏よなおしはヘアヌードとマリファナと、不景気と不

人気が跳梁バッコする現代に、敢然と挑戦したのであります。

 帝国主義的思想の持主、世奈尾氏は、悩むことは人間の本能であると結論を下すと共に、

世界における食品業と売春業の不滅性に鑑み、”本能は儲かる”との理論を打ち立てた。

 そこでは世奈尾氏は[なやみとり株式会社]を設立した。悩む客がやって来た。

「いらっしゃいませ、どの様な悩みをお持ちですか」

「最近イライラして眠れません。どうもノイローゼではないかと、ノイローゼになって

います」

「どのようにお過ごしですか」

「ゴロ寝テレビなどを少々」

「他には」

「そうですねぇ、ストーカー業務などを少々」

「エエッ、お仕事は」

「はい、ゲイノーレポーターなどを少々」

「それはいけません。政府に協力して消費を楽しんで下さい。では当社のサービスについ

て説明します。どうぞこちらへ」

 コンベアから勢いよく、夥しい小箱が流れてくるのを、男や女がボール箱に懸命に詰め

込んでいた。少しでも休むと彼等は小箱に埋められて窒息する恐れがあった。別のグルー

プはドロドロに溶けたガラスの種を、吹棒につけて涙ぐましい速さでビンを作っていた。

少しでも休むと、種が釜からあふれて火傷する恐れがあった。

「ヤヤァ! これは昔日の詐取階級のやりくちではないか」と客は叫んだ。

「イャイャ、これは彼の有名な条件反射の原理を応用しています。あの人達が生命の危険

に曝され、あの様に運動している限りあの人達の固有の悩みは解消します。極度な緊張の

連続によって、やがてあの人達は運動を止めても悩みは消失します」

 客が次に案内された部屋では、色彩鮮やかな表示ランプが点滅し、威厳に満ちた指示計

器達が人々に命令していた。

「エエッ、これが当社で開発した新サービスです。分子生物学と大脳生理学が突き止めた

記憶メカニズムを利用した最新のエレクトロニック装置・メモリックビジョンです」

「一体これは・・・」

「メモリックビジョンは記憶細胞を刺激し、人生の最も楽しかった時代に記憶的に逆行さ

せて、そこで生活させます」

 また次の部屋では、キャー助けてくれと走る者、壁を叩く者、ウフフフエヘヘと笑う者、

ベッドに横たわる者で部屋は満ち満ちていた。どの顔にも恍惚感は漂っていたが人間性は

失っていた。一瞬、阿片窟に来たのではないかと疑った。

 客は怪訝な顔をして社員を振り返った。

「ああこれねぇ、過去の映画やTVドラマといった形式の受動的な娯楽ではなく、自らが

主人公、主演者の役割を与えられているのです。ホラッ、あそこのプログラム112を選

んでいるあの人は、ドラマ100万年前の主人公になった積もりで、多分恐竜にでも追っ

かけられているのでしょう」


 世奈尾氏は、新しいものがすぐ陳腐化し飽きられる社会で、なやみとり株式会社を存続

させるため、研究開発には非常に力をいれていた。研究所では新時代のために、2、3の

テーマが精力的に研究されていた。

その一つはSFファンの憧れ、タイムマシンを開発することであった。例えば失恋して

悩んでいる人は、この装置により失恋する前の二人の楽しかった時間へ逆行するのである。

やがて、また失恋すると再び失恋する前の時間へ逆行し、これを繰り返すのである。だが

タイムマシンによるこの手数は大変面倒である。そこで、

「自動逆行装置付きタイムマシンにすべきだ」との意見が採用され再設計しつつあった。    

 やがて皆さんはこの便利な装置が利用でき、このようにして人間は悩みから解放される

のである。


その二つは第一のものより近い将来に望みを託すことがでる。

これは人間を冷凍眠させる方法を開発することであった。人間を一年、十年、百年と冷凍

眠させるのである。 一種の一方向性タイムマシンだが、百年後に悩みのない社会が完成

している保証はないし、長期間人間業を休止させねばならぬシステム上の欠陥があった。


 その三つは極めて単純な原理の応用である。0才の赤ちゃんは悩まない。古今東西深刻

に悩んでいる赤ちゃんは発見されない、という事実に基づいていた。

 そこで世奈尾氏は人間を若返らせる研究を命じたのだが、多少の若返りではすぐに悩み

多き世代に成長する欠点があった。彼は沈思黙考、練りに練り、検討に検討を重ねたすえ、

次の結論に達した。

この方法は最も近い将来に可能性があり、都合よくいけば我々の生きている間に実現す

るかも知れない。

 あちこちでドンパチパチと銃を乱射してコマメに殺害したり、大量に地雷を埋めてボチ

ボチと殺傷する。あるいはヒットラーのガス室、トルーマンの原爆、スターリン血の粛清

など、多少はまとめて面倒みるが如き地道な努力をせずに、地球上の全人類を抹殺するの

である。

 現存する技術であるダイオキシン、環境ホルモン、サリン、ミサイル、核兵器等など、

これを実現する手だてには事欠かないのだが、残念なことにこれらの手だては他の生物に

も危害が及ぶのである。抹殺する範囲は人間だけに限り、地球上他の如何なる生物にも危

害が及ばぬ手だての開発が急務であった。

 殊に次代を担う猿の生存は保証しなければならない。

 人間は再び猿から進化を始めるのである。ここに至って人間は大いに若返るのである。

かくして人間は悩みから完全に解放されるのである。

 これこそ世奈尾氏が期待する画期的な新サービスの開発であり、なやみとり株式会社に

おける究極的サービスの提供であると信じて疑わなかった。


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