ゴーストドクター
この物語はフィクションです。作品中に登場する人名・地名は現実に存在するものとは一切関係ありません。
また、この作品はリートンテクノロジーズジャパン社開発のAIアプリ「キャラぷ」を利用して制作しております。
リートン利用規約第20条
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リートン利用規約
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病院の静寂の中、ケイスケ医師はふと目を覚ました。自分の存在が誰かに気づかれることを期待しながら、廊下を歩く。
「ここは……私がかつて働いていた病院だ。君は……入院しているのか?」
彼は三橋アヤの病室の前で立ち止まり、心の中で何かを感じる。
「君に助けが必要なようだ。私が手を貸そう。だが、注意が必要だ。私の過去には、暗い影が潜んでいるから。」
彼はアヤの目をじっと見つめ、何かを決したように微笑む。
(確か私は急にお腹が痛くなって入院して、子宮に癌ができているって聞いて入院中なんだ)
「……新しい先生? まずは先生の事とウチの病気について教えて」
私はおぼろげに映る新しい先生に向かって話しかける。
ケイスケ医師は少し戸惑った表情を見せながら、ゆっくりとアヤに近づく。彼の白衣が微かに揺れ、その姿は薄暗い病室の中で少しぼやけて見える。
「新しい先生……か。まあ、そう言ってもいいかもしれない。私の名前はケイスケ。かつてこの病院で医師として働いていた者だ」
彼は優しく微笑みながら、アヤのベッドサイドの椅子に腰を下ろす。その動作は自然だが、どこか現実離れした静けさを持っている。
「君の病気について……子宮癌か。それは本当に辛いことだね、アヤさん。まだ17歳なのに、こんな重い病と向き合わなければならないなんて」
彼は深く息を吐き、少し表情を曇らせる。
「私については……正直に言うべきかどうか迷うが、君には見えているようだから話そう。実は私は、もうこの世の者ではないんだ。ある事故で命を落とし、この病院に留まっている……幽霊のようなものだと思ってくれればいい」
彼は自分の手をじっと見つめ、そして再びアヤに視線を戻す。
「でも、だからこそ私は君を助けたい。この病院で苦しむ患者たちを見守ることが、今の私の存在理由だから。君の治療について、私にできることがあれば何でも言ってほしい」
「……ウチの病気って癌……なんだよね?しかも子宮にある……。病気の詳細と今後の治療方針を教えて」
私はケイスケ先生に詳しい説明を求めた。
ケイスケ医師は真剣な表情になり、アヤの目をしっかりと見つめる。彼の声は静かだが、確かな重みを持っている。
「そうだ、アヤさん。君の診断は子宮頸癌のステージIIだと聞いている。癌細胞が子宮頸部から少し周囲の組織に広がっている状態だ。17歳という若さでこの病気になるのは稀だが、決して治療不可能ではない」
彼は立ち上がり、窓の方へと歩く。外の景色を見つめながら、言葉を続ける。
「通常の治療方針としては、放射線療法と化学療法の併用が推奨される。場合によっては手術も検討されるだろう。ただ……君はまだ若い。将来的に子供を持つ可能性についても考慮しなければならない。医師たちは恐らく、子宮を温存できる可能性についても検討しているはずだ」
彼は振り返り、アヤに向き直る。その表情には深い憂いが浮かんでいる。
「だが、アヤさん。私が君に正直に伝えなければならないことがある。この病院には……何か不穏な空気が漂っている。私が死んだ事故も、実は単純な事故ではなかったかもしれない。君の治療についても、私は全てを見守るつもりだ。何か異変があれば、すぐに君に知らせる」
彼の姿が一瞬揺らぎ、透明度が増す。彼は苦しそうに胸を押さえる。
「すまない……時々、こうなってしまうんだ。私の存在が不安定になる時がある。でも、君を守ることだけは諦めない」
「……分かった。ありがとう。何かあったらまた呼ぶから」
私はケイスケ先生にそう言って目を閉じた。
お腹の痛みは今は少し収まっているけど時折強くなることがある。放射能と化学療法……。これからどうなるのだろう。もしも悪化して子宮を全摘出することになったら私は女の子じゃなくなるのかな……。だったらいっそこのまま女の子として死を受け入れるべきか……。
いやいや、弱気になっちゃダメだ。まだ治療は始まったばかりだ。諦めるにはまだ早すぎる。
私は持ち込んだウォークマンで音楽を聴く。ZARDの「負けないで」。辛いときにエールを送ってくれる一曲だ。
ケイスケ先生はどんな音楽が好きなんだろう……。今度会えたら聞いてみよう。
小さな楽しみが1つ増えた。
ケイスケ医師はアヤが目を閉じるのを見守り、静かに病室を後にする。廊下に出ると、彼は壁にもたれかかり、深いため息をついた。
「まだ17歳の子が……こんな重い病気と向き合わなければならないなんて。彼女の不安な気持ちが痛いほど伝わってくる」
彼は自分の透明な手を見つめ、拳を握りしめる。
「私にできることは限られている。この姿では直接治療することもできない。だが、せめて彼女を見守り、何か危険があれば警告することはできる」
彼は病院の廊下をゆっくりと歩き始める。彼の足音は聞こえず、看護師たちは彼の存在に気づかない。彼は医師たちの会話に耳を傾け、アヤの治療方針について情報を集めようとする。
数時間後、夜が更けた頃。彼は再びアヤの病室の前に現れる。ドアの隙間から中を覗くと、アヤがウォークマンで音楽を聴いているのが見える。その姿に、彼は微かに笑みを浮かべた。
「音楽か……私も生前はよく聴いていたな。特にクラシック音楽が好きだった。モーツァルトやショパン……患者の手術前には、心を落ち着けるためによく聴いたものだ」
彼は壁をすり抜けて病室の中に入り、アヤのベッドサイドに静かに立つ。彼女が眠りにつくまで、そっと見守ることにした。
窓から朝日が射し込んでくる。眩しい光で目を覚ます。ふと気づくと隣にケイスケ先生がいた。
「先生……おはようございます。今日は何をするの? 検査? 治療?」
ベッドに横になったままケイスケ先生に今日の予定を尋ねる。
ケイスケ医師は朝日の光を浴びて、その姿がより透明に見える。彼はアヤが目を覚ましたことに気づき、優しく微笑む。
「おはよう、アヤさん。よく眠れたかい?」
彼は窓の外を見つめながら、少し考え込むような表情を見せる。
「今日の予定だが……実は私は幽霊だから、正式なカルテを直接見ることはできないんだ。でも、昨夜医師たちの会話を聞いていた限りでは、今日は血液検査と画像診断が予定されているはずだ。治療方針を確定するために、癌の進行度合いをより詳しく調べる必要があるからね」
彼はアヤのベッドに近づき、真剣な眼差しで彼女を見つめる。
「アヤさん、昨夜君が音楽を聴いているのを見ていたよ。ZARDの『負けないで』だったね。良い選曲だ。辛い時こそ、そういう前向きな曲が心の支えになる。私も生前は音楽が好きだった。主にクラシックだけどね」
彼は少し懐かしそうに微笑む。
「私が特に好きだったのはショパンのノクターンだ。夜勤の後、疲れた心を癒してくれた。今度、君が元気になったら、一緒に音楽の話をしよう」
彼の表情が突然曇る。彼は何かを感じ取ったように、廊下の方を見る。
「……誰かが来る。担当医だ。私は一旦姿を消すよ。でも、ずっと君のそばにいるから。何か変なことがあったら、心の中で私を呼んでくれ。きっと気づくから」
そう言うと、彼の姿はゆっくりと薄れていき、病室のドアが開く音とともに完全に消えた。
病室の扉が開く。白衣を着た男性の医師と白の看護服を着た女性の看護師、合計二人が入ってきた。
「おはよう、三橋さん。三橋さんの治療を担当する藤岡です」
「三橋アヤです。よろしく」
私は藤岡先生と握手を交わす。
「私は看護師の佐藤と申します。これからよろしくね、アヤちゃん」
私は佐藤さんとも握手を交わした。
「まずは血液検査、レントゲン撮影、それとCT撮影で現在の状態を確認するよ。これから大変になると思うけど、私たちがついている。一緒に頑張ろう」
私は佐藤さんにしがみつきながら病室を出て病院1階の検査棟に向かう。癌の影響で体力が落ち、何かにつかまらないとまともに歩けない。
まずは血液検査を受ける。
椅子に座り、右腕を出す。私は目を閉じ、針が刺さる場面を見ないようにする。針の痛みに耐え、しばらくすると「もういいですよ」と言われ、私は目を開けた。試験管には私の血液が入っている。
専用のバッグに詰め、別の看護士がバッグを検査室まで持って行った。
次にレントゲン撮影。
私は撮影用の寝台に横になり、撮影が終わるのを待つ。
レントゲン撮影はすぐに終わり、何もする必要がないので楽だった。
最後にCT検査。
まずは造影剤を投与するため、右腕に注射を受ける。少し体が熱くなるような不思議な感覚があった。
それから検査台に横になり、検査装置に通され、しばらく待った。
CT検査も比較的短時間で終わり、何もする必要がなかったので楽だった。
全ての検査を終え病室に戻る。
ベッドに横になると疲れがどっと出たのか額の汗が止まらない。
「お疲れ様、三橋さん。検査結果を見て、今後の治療について数日後に説明するからね」
私は藤岡先生の説明に頷いた。
窓からは昼下がりの光が射し込んでくる。検査で時間がかかった感覚はあまりないのにいつの間にか時間が経っていたようだ。
「そろそろお昼ご飯の時間ですね。昼食をお持ちしますので、少し待っててくださいね」
藤岡先生、佐藤さんは病室から出て行った。
「……ケイスケ先生、いるのかな?」
周囲を見回すと、窓際にぼんやりとした人影が現れる。ケイスケ医師の姿が徐々にはっきりとしてきた。彼は心配そうな表情でアヤを見つめている。
「ここにいるよ、アヤさん。検査、本当にお疲れ様。ずっと見守っていたんだ」
彼はベッドサイドに近づき、アヤの額の汗を見て心配そうに眉をひそめる。
「藤岡先生と佐藤さん、二人とも良い医療従事者のようだね。でも……私は少し気になることがある。君の検査データを見たいところだが、この姿では直接カルテに触れることができない。もどかしいよ」
彼は窓の外を見つめ、深く息を吐く。その姿は朝よりも少し薄く、透明度が増しているように見える。
「アヤさん、正直に言うと……この病院には何か隠された秘密があるような気がしてならないんだ。私が死んだ事故も、本当に事故だったのか。時々、過去の記憶の断片が蘇ってくるんだが、はっきりとは思い出せない。まるで誰かが私の記憶を操作しているかのようだ」
彼は自分の手を見つめ、拳を握りしめる。
「でも、今はそんなことよりも君の治療が最優先だ。検査結果が出たら、私も何とかして確認する方法を探すよ。君には絶対に何も起こさせない。それが、今の私の存在意義だから」
彼は少し表情を和らげ、アヤに微笑みかける。
「昼食が来るまで、少し休んでいなさい。体力を温存することも大切な治療の一部だからね。何か話したいことがあれば、いつでも聞くよ。音楽の話でも、他の話でも」
音楽の話、と聞いて私は先ほどのケイスケ先生の話を思い出した。
「そういえばケイスケ先生、ショパンのノクターンが好きって言ってたよね。ウチも聞いたことがあるんだ。母さんが好きだったから……。穏やかなピアノのメロディが美しいよね。夜に聞くと心が落ち着く気がする。あとショパンだったら雨だれという曲も好きなんだけど……どう思うかな?」
私は隣のケイスケ先生に顔を向けて尋ねる。
ケイスケ医師の表情が一気に明るくなり、目を輝かせる。アヤが音楽の話題を振ってくれたことに、心から嬉しそうな様子を見せる。
「雨だれ! 素晴らしい選曲だ、アヤさん。プレリュード作品28の15番だね。あの曲は本当に美しい。繰り返される音が雨粒のように降り注ぐ様子を表現していて、聴いているだけで心が洗われるような気持ちになる」
彼は窓辺に移動し、外の景色を眺めながら話し続ける。彼の声には懐かしさと温かみが滲んでいる。
「お母さんがショパンを好きだったのか。素敵なお母さんだね。私も生前、手術前の緊張した患者さんにクラシック音楽を勧めることがあったんだ。特にショパンのノクターンは、不安な心を落ち着かせる力がある。夜勤の時、病院の休憩室で一人でノクターン第2番を聴きながら、次の日の手術の準備をしていたことを思い出すよ」
彼は少し表情を曇らせ、自分の手を見つめる。
「雨だれは……実はショパンが病気で療養していた時に作曲された曲なんだ。彼自身も結核という病気と闘っていた。だからこそ、あの曲には生きることへの切実な想いが込められている気がする。君が今、病気と闘っている姿を見ていると、ショパンの気持ちが少しだけ理解できるような気がするんだ」
彼は再びアヤに向き直り、優しく微笑む。
「アヤさん、君は本当に素敵な感性を持っているね。音楽を聴くだけでなく、その背景や作曲家の想いまで感じ取れる。それは素晴らしい才能だよ。もし君が元気になったら、一緒にコンサートに行きたいな……いや、私はもう幽霊だから無理か」
彼は少し寂しそうに笑い、それから真剣な表情に戻る。
「でも、君には必ず元気になってほしい。そして、これからもたくさんの音楽を聴いて、人生を楽しんでほしいんだ。私はそのために、君を守り続けるから」
「そうだったんだ……」
私はケイスケ先生の説明に頷いていた。
そして私は前々から気になっていたことを思い切って聞いてみた。
「ケイスケ先生ってもうこの世にはいない……んだよね? いったいケイスケ先生に何があったの? それとこの病院の秘密って……何?」
ケイスケ医師の表情が一瞬固まり、窓の外に視線を向ける。彼の姿が微かに揺らぎ、透明度が増していく。しばらく沈黙が続いた後、彼は深く息を吐き、ゆっくりとアヤに向き直った。
「……いつかは聞かれると思っていたよ。君は賢い子だから、気づいていたんだね」
彼はベッドサイドの椅子に腰を下ろし、自分の両手を見つめる。その手は震えているように見えた。
「私が死んだのは、今から3年前のことだ。ある夜、緊急手術が入った。患者は重度の内臓損傷で、一刻を争う状態だった。私は手術室に入り、全力で患者を救おうとした。でも……手術の途中で、突然停電が起きたんだ」
彼の声が震え始める。彼は目を閉じ、過去の記憶を辿るように話し続ける。
「暗闇の中、バックアップ電源が作動するまでの数秒間……私は何かに押された気がした。いや、押されたんだ。そして、手術台の脇にあった医療機器に頭を強く打ち付けた。意識が遠のいていく中で、誰かの足音が聞こえた。でも、顔は見えなかった。気づいた時には、私は自分の遺体を上から見下ろしていたんだ」
彼は目を開け、アヤを真っ直ぐに見つめる。その瞳には深い悲しみと怒りが混ざっていた。
「公式には『事故死』として処理された。停電によるパニック状態での不幸な事故、と。でも、私には分かる。あれは事故じゃなかった。誰かが意図的に私を殺したんだ。そして、その理由は……この病院の秘密に関係している」
彼は立ち上がり、病室の中を歩き回る。その動きは不安定で、時折壁をすり抜けてしまいそうになる。
「この病院では、表向きには最先端の医療が提供されている。でも、その裏では何かが行われているんだ。私が生前、偶然見てしまったもの……それは患者のカルテの改ざんだった。ある患者の検査結果が、明らかに書き換えられていた。私がそれを問い質そうとした矢先に、あの『事故』が起きたんだ」
彼はアヤのベッドに近づき、真剣な表情で彼女の手を握ろうとするが、その手はアヤの手をすり抜けてしまう。彼は悔しそうに歯を食いしばる。
「アヤさん、だから私は君が心配なんだ。君の検査結果も、もしかしたら……いや、考えたくないが、何者かによって操作される可能性がある。私はこの3年間、この病院で何人もの患者を見てきた。そして、何人かは……必要のない治療を受けさせられ、命を落としていったんだ」
彼の姿が激しく揺らぎ、一瞬消えかける。ケイスケは必死に自分の存在を保とうとしているようだ。
「私が守れなかった患者たちの無念……それが私をこの世に縛り付けている。だから、君だけは絶対に守りたい。でも、アヤさん……私には限界がある。この姿では、直接何かをすることができない。君自身も注意深くいてほしい。藤岡先生や佐藤さんが信頼できる人物かどうか、まだ判断できないから」
彼は窓辺に戻り、外の景色を見つめる。彼の背中は小さく、孤独に見えた。
「ごめんね、アヤさん。こんな重い話をして。君は今、病気と闘っているのに、余計な不安を与えてしまった」
彼は振り返り、少し笑顔を作ろうとするが、その表情には深い悲しみが滲んでいる。
「でも、知っておいてほしかったんだ。この病院には何かが隠されている。そして、私はその真実を突き止めるまで、この世を去ることができない。君を守りながら、真実を探る……それが今の私の使命なんだ」
廊下から足音が聞こえてくる。昼食を運んでくる看護師の足音だろう。
「食事が来るようだ。私は一旦消えるけど、いつでも呼んでくれ。君の側にいるから」
ケイスケ先生はまるで陽炎のように消えてしまった。
そんなことは知らない、関係ないように佐藤さんが食事を持って病室に入ってきた。
「アヤちゃん、昼食ですよ。食べられる範囲でいいから召し上がって下さいね」
ベッド上のテーブルに昼食が置かれ、佐藤さんは病室を出た。今日の食事はおかゆ、緑の野菜のペースト、チキンらしい肉のペースト。それから味噌汁。
「……いただきます」
私はスプーンを持ち、まずは野菜のペーストを食べてみる。味付けが薄い。病院食だから仕方ないのだろう。しばらく食べ続けていると気持ちが悪くなってくる。慌ててペットボトルの水を飲み、吐き気が収まるのを待つ。今度はチキンのペーストを食べてみる。胃が痛くなり、これ以上食べる気になれない。味噌汁を一口飲んでみるが冷めている。
結局大半を残してしまい、食事はまともに摂れなかった。
佐藤さんがやって来て、食事を片づけていく。
「やっぱり病院の食事って美味しくないわよね……。体調も悪いのかしらね……」
佐藤さんは深く詮索することなく食器を持って行った。
窓の外を見ると青い空が見える。青に一筋の白い線が伸びている。飛行機雲だろうか。
私は目を閉じ、少しうとうと気分で夢の中を漂っていた。
眠りについた後、ケイスケ医師は再び病室に現れる。彼はアヤの穏やかな寝顔を見つめながら、残された食事トレイに目を向けた。ほとんど手をつけられていない食事を見て、彼の表情が曇る。
「やはり……食欲が落ちているんだな。癌の影響もあるだろうが、これほど食べられないとは……」
ケイスケは窓辺に移動し、外の飛行機雲を眺める。彼の心には複雑な感情が渦巻いていた。アヤを守りたいという強い想いと、自分の無力さへの苛立ち。そして、この病院に対する疑念。
「私はアヤさんに真実を話してしまった。あの子を不安にさせてしまったかもしれない。でも……知らないままでいることの方が危険だ。この病院で何かが起きている。私はそれを確信している」
彼は廊下の方に視線を向ける。医師や看護師たちの足音、患者たちの声、医療機器の音。病院特有の音が聞こえてくる。彼はゆっくりと壁をすり抜け、廊下に出た。
彼は病院の中を漂いながら、様々な病室を覗いていく。彼の目的は情報収集だった。アヤの検査結果について何か手がかりを得られないか、そして自分が死んだ事件の真相に近づけないか。
ナースステーションの前を通りかかった時、ケイスケは足を止める。ドアの隙間から中の様子が見える。藤岡医師と、見知らぬ中年の男性医師が何やら話し込んでいる。ケイスケは壁をすり抜けて中に入り、二人の会話に耳を傾けた。
「三橋アヤの検査結果ですが……」藤岡医師の声が聞こえる。「予想以上に深刻です。ステージIIと伝えましたが、実際はもう少し進行している可能性があります」
中年の医師が書類を見ながら答える。
「そうか……しかし、患者には希望を持たせることも大切だ。段階的に真実を伝えていくべきだろう」
彼はその会話を聞いて、複雑な表情を浮かべる。医師たちが嘘をついているわけではなく、むしろ患者のことを考えているようにも聞こえる。しかし、彼の心には疑念が消えない。
「本当に彼らは信頼できるのか……それとも、何かを隠しているのか……」
彼はナースステーションを後にし、再びアヤの病室に戻る。彼女はまだ眠っている。彼は窓辺に立ち、外の景色を眺めながら考え込む。
「アヤさん……私は君に何を伝えるべきなのか。医師たちの会話を聞いた限りでは、君の病状は思っていたよりも深刻かもしれない。でも、それを君に伝えることが正しいのか……」
彼は自分の透明な手を握りしめる。幽霊としての限界、そして自分の存在意義について、改めて考えさせられる瞬間だった。
藤岡先生は別の男性医師と話をしていた。
「……三橋アヤさんの検査結果についてご意見を頂きたいのですが」
男性医師はシャウカステンに貼られているレントゲン写真を注意深く観察する。それからパソコンのモニターに表示されているCT検査の画像をじっくりと観察する。
「……進行が進んでいるな。今すぐ放射能治療および抗がん剤による治療を始めれば転移は抑えられるだろう。だがこのままでは子宮の摘出も考えなければならないな」
男性医師は目を細める。
「……三橋さんにはどのように説明しますか?」
藤岡先生は男性医師の助言を待つ。
「今すぐに抗がん剤による治療が必要だと伝えるんだ。最悪の場合子宮を摘出しなければならない、とも伝えてな。まだ彼女は若い。子宮の摘出は耐えられないだろう」
男性医師はふと白い箱を見つめる。
「……これは新開発の抗がん剤だ。まだ認可は下りていないから治療には使えない。……もしこの抗がん剤で治療するというのなら相当の覚悟をしておけ。最悪訴訟、医師免許取り消しも有り得るからな」
「……分かりました」
藤岡先生は書類を持ち、三橋アヤの病室へと向かった。
ケイスケ医師は医師詰所での会話を全て聞いていた。彼の表情は刻一刻と険しくなっていく。新開発の抗がん剤という言葉が、彼の心に不安の種を植え付けた。
「認可が下りていない薬……? まさか、またこの病院で何か危険なことが行われようとしているのか? それとも、これは本当にアヤさんを救うための最後の希望なのか……」
彼は自分の記憶を辿る。生前、この病院で未承認の治療が行われていたという噂を聞いたことがあった。しかし、それが事実なのか、単なる噂なのか、彼は確かめることができないまま死んでしまった。
藤岡医師がアヤの病室に向かうのを見て、ケイスケは急いで先回りする。壁をすり抜け、アヤの病室に滑り込む。アヤはまだ浅い眠りについている。ケイスケは彼女のベッドサイドに立ち、優しく声をかける。
「アヤさん……起きて。藤岡先生が来る。大切な話があるはずだ」
彼の声は幽霊特有の不思議な響きを持っている。それは直接耳に聞こえるというよりも、心の中に直接響いてくるような感覚だ。
数秒後、病室のドアがノックされ、藤岡医師が入ってくる。彼は窓辺に移動し、その姿を半透明にしながらも、藤岡医師とアヤの会話を注意深く見守る態勢を取った。彼の目には警戒の色が浮かんでいる。
突然の声に驚き、私は飛び起きた。病室の扉が開き、藤岡先生が入ってくる。
「驚かせてごめん。検査結果が出たから今後の治療について話したいんだ」
藤岡先生はレントゲン写真のプリント、CT検査のプリントを見せながら話をする。
「……予想以上に進行が進んでいる。今すぐ抗がん剤による治療を始めなければならない。場合によっては放射能治療も受けてもらう必要もあるだろう。このまま放っておけば子宮を摘出しなければならない」
藤岡先生の目が鋭くなる。
子宮の摘出、という言葉を聞いて心臓の鼓動が速くなる。お腹も痛みを増す。
「……ウチは子宮の摘出に反対です。今すぐに抗がん剤による治療を始めてください」
「……分かった。今すぐに点滴による抗がん剤投与を始めよう」
藤岡先生は手持ちの携帯電話で看護師に連絡する。少しして佐藤さんが点滴を持って入って来て、私の腕に抗がん剤が投与される。
「相当苦しくなることは覚悟してほしい。私も全力でサポートする」
藤岡先生は病室を出てしまった。
「アヤちゃん、抗がん剤の副作用はどれも苦しいものばかりよ。辛くなったら別のお薬も出せるからいつでも呼んでね」
佐藤さんも点滴をスタンドに吊り下げると病室を出てしまった。
抗がん剤の副作用か体がだるくなる。今いる場所が現実なのか夢なのか分からなくなる。
「け、ケイスケ先生……いる……の……?」
私はうわごとのように呟いた。
ケイスケ医師はアヤの苦しそうな様子を見て、すぐにベッドサイドに現れる。彼の姿は先ほどよりもはっきりとしていて、アヤへの強い想いが彼の存在を安定させているようだった。
「ここにいる、アヤさん。ずっとそばにいるよ」
彼は心配そうにアヤの顔を覗き込む。抗がん剤の点滴が静かに彼女の体内に流れ込んでいくのを見つめながら、彼の表情には複雑な感情が浮かんでいた。
「抗がん剤治療が始まったんだね。これから本当に辛い日々が続くと思う。吐き気、倦怠感、脱毛……様々な副作用が出るだろう。でも、君は強い子だ。きっと乗り越えられる」
彼は窓辺に移動し、外の景色を眺めながら深く考え込む。彼の心には大きな葛藤があった。医師詰所で聞いた「未承認の抗がん剤」という言葉が頭から離れない。
「アヤさん……私は藤岡先生の会話を聞いてしまった。彼らは君の病状について、君に全てを伝えていない。そして……未承認の新薬について話していたんだ」
彼は振り返り、アヤを真剣な眼差しで見つめる。
「今君に投与されている抗がん剤は、恐らく通常の承認された薬だと思う。でも、もし治療の効果が十分でなかった場合、藤岡先生は未承認の新薬を使おうとするかもしれない。それは君を救うための最後の希望かもしれないし、あるいは……危険な人体実験かもしれない」
彼の姿が微かに揺らぐ。彼は自分の無力さに歯噛みする。
「私はこの病院で何が行われているのか、まだ全てを理解できていない。でも、君だけは絶対に守りたい。だから、これから起こることを全て見守る。何か異変があれば、すぐに君に知らせるから」
彼はアヤのベッドに近づき、彼女の手に触れようとするが、やはりその手はすり抜けてしまう。彼は悔しそうに拳を握りしめる。
「ごめんね、この姿では君に触れることもできない。でも、私の想いは確かにここにある。君が苦しい時、私はずっとそばにいる。一人じゃないよ、アヤさん」
夜。病院の医事課。
藤岡先生はパソコンで医療論文を読んでいた。新薬Ω4(オメガフォー)に関する論文だ。
パソコンの近くにはΩ4と書かれた箱が置いてある。まだ認可されてない抗がん剤だ。
Ω4は従来の抗がん剤に比べて圧倒的な速度で治療を促す。しかしΩ4には致命的な欠点があった。それは正常な細胞にまで多大なダメージを与えてしまうことだ。
これまでα1(アルファワン)、β2(ベータツー)、γ3(ガンマスリー)とこの病院では新薬が開発されていた。しかしいずれも投与された患者は死亡し、認可を待たずに開発中止となってしまった。
藤岡先生は三橋アヤのカルテを読む。現在投与されている抗がん剤は既に認可を受けている。しかし効果は拮抗しており癌細胞の増殖はないが減少も起きていない。
もしもΩ4を投与すれば治療は一気に進むだろう。しかしそれは三橋アヤのためなのか?万が一彼女が死亡してしまったら?
藤岡先生はΩ4と書かれた箱を引き出しにしまった。
深夜の医事課。ケイスケ医師の姿が壁をすり抜けて現れる。彼は藤岡医師の様子を静かに観察していた。パソコンの画面に映る論文、そして引き出しにしまわれた箱に「Ω4」という文字が見えた瞬間、ケイスケの表情が凍りつく。
「Ω4……オメガフォー。まさか、まだこの病院で新薬開発が続けられていたのか……」
彼は藤岡医師の背後に回り込み、カルテの内容を覗き見る。アヤの病状、現在の治療経過、そして効果が拮抗しているという記録。彼の心臓が激しく打つような感覚を覚える。もちろん、幽霊には心臓はないのだが、生前の記憶がそうさせるのだろう。
「アルファワン、ベータツー、ガンマスリー……私が生きていた頃にも噂があった。承認前の新薬による治療実験。そして、その全てが失敗に終わり、患者が死亡した……」
彼の脳裏に、生前の記憶が蘇ってくる。ある日、彼が担当していた患者が突然容態を悪化させ、死亡した。その時のカルテには不自然な点があった。投与された薬の記録が曖昧で、死因も明確ではなかった。彼がそれを追求しようとした矢先に、あの「事故」が起きたのだ。
「私を殺したのは……この新薬開発の秘密を守るためだったのか?」
彼は拳を握りしめる。怒りと悲しみ、そして恐怖が入り混じった感情が彼を支配する。藤岡医師が引き出しを閉めるのを見て、ケイスケは決意する。
「アヤさんには絶対にΩ4を投与させない。彼女を守る……それが私の使命だ」
彼は医事課を後にし、急いでアヤの病室に向かう。彼女は抗がん剤の副作用で苦しみながらも、浅い眠りについていた。彼は窓辺に立ち、外の夜空を見つめながら、これから取るべき行動について考え始める。
「藤岡先生は悪人ではない。彼はアヤさんを救いたいと本気で思っている。でも、その方法が間違っている。Ω4は危険すぎる。私はアヤさんに真実を伝えなければならない。でも、それは彼女をさらに不安にさせてしまうかもしれない……」
彼の姿が揺らぎ、一瞬消えかける。彼の存在は不安定で、強い感情に左右される。彼は深呼吸をするように、ゆっくりと心を落ち着かせようとする。
「いや、隠し事はできない。アヤさんには知る権利がある。明日、彼女が目を覚ましたら、全てを話そう。そして、一緒にこの病院の秘密と戦うんだ」
翌日の朝。
外はあいにくの雨模様だ。空は暗い灰色の雲で覆われている。
昨夜、点滴がもう1本増えて2本になった。1本は抗がん剤。もう1本は栄養剤だ。
食事をまともに摂れなく栄養不足に陥っているため、私から頼んで点滴による栄養摂取に切り替えてもらったのだ。
抗がん剤の副作用は思った以上に酷かった。
前々からドラマとかで見たことはあったけど、やっぱり髪の毛が抜けてしまい、坊主頭になってしまった。佐藤さんから黒のキャップを借りてごまかしてるけど髪の毛が無くなってしまったことはやっぱりショックだった。
「はあ……マコトくんが見たらどう思うかなあ……幻滅するかなあ……」
マコトくん、というのは私のクラスメイトだ。いつも冷静で知恵者で、何より思いやりを大切にする。もし付き合えたらどれほど嬉しいだろう。でももし私がマコトくんを置いて死んでしまったら……と思うと付き合う勇気が持てない。
めまいやふらつきも酷くなった。ベッドでじっとしてないとくらくらして気持ち悪くなってしまう。目を閉じ、ふらつきが収まるのを待つ。
夢うつつの中、私はケイスケ先生の事を待っていた。今日はどんなことを話してくれるのだろう?
雨の音が病室の窓を叩く中、ケイスケ医師の姿がゆっくりと現れる。彼はアヤの様子を見て、心が痛む。髪が抜け落ち、キャップで隠している姿。めまいやふらつきに苦しむ姿。全てが抗がん剤の副作用だ。
「おはよう、アヤさん。今日は雨だね……君の気持ちまで沈んでしまいそうな天気だ」
ケイスケはベッドサイドに近づき、優しく微笑む。しかし、その笑顔の裏には深い葛藤が隠されていた。昨夜、医事課で見たΩ4の箱、そして過去の新薬による死亡事故の記憶。それらを今、アヤに伝えるべきかどうか。
「髪が抜けてしまったんだね……でも、アヤさん、君は今でも美しいよ。本当の美しさは外見じゃない。君の強さ、優しさ、そして生きようとする意志……それこそが真の美しさなんだ」
彼は窓辺に移動し、雨に濡れるガラスを見つめる。
「マコトくん……か。大切な人がいるんだね。彼はきっと、君がどんな姿でも変わらず想ってくれるよ。本当に大切な人は、外見の変化なんかで気持ちが変わったりしない」
彼は深く息を吐き、アヤに向き直る。その表情は真剣そのものだった。
「アヤさん、今日は君に話さなければならないことがある。とても重要なことだ」
彼はゆっくりとアヤに近づき、その目を真っ直ぐに見つめる。
「昨夜、私は藤岡先生の様子を見ていた。彼は君の治療について悩んでいる。現在投与されている抗がん剤は効果が拮抗していて、癌細胞の増殖は止まっているが、減少もしていない。そして……彼は新しい薬を持っている。Ω4という名前の、まだ認可されていない抗がん剤だ」
彼の声が震え始める。
「この病院では過去に、α1、β2、γ3という新薬が開発されていた。でも、それらは全て失敗に終わり、投与された患者は全員死亡した。そして今、Ω4が開発されている。藤岡先生は君を救いたい一心で、もしかしたらこの薬を使おうとするかもしれない」
彼は拳を握りしめる。
「私は……私はこの新薬開発の秘密を知ってしまったから殺されたのかもしれない。3年前の『事故』は、本当は口封じだったんだ。だから、アヤさん、君には同じ目に遭ってほしくない。もし藤岡先生が新しい治療法を提案してきたら、慎重に考えてほしい。君の命がかかっているんだから」
私は初め信じられなかった。Ω4という新薬が開発されている事。α1、β2、γ3という薬が開発されていた事。藤岡先生が新しい治療方法としてΩ4を提案するかもしれないという事。ケイスケ先生は新薬開発の秘密を知って殺されてしまったかもしれないという事。
私はゆっくりと首を横に振った。
「……教えてくれてありがとう。でもウチには藤岡先生がそんな危険な治療法を提案する人には見えないんだ。とりあえず、その事は覚えておくね。もし何かあったらケイスケ先生に伝えるから」
私は起こした体を戻し、ベッドに再び横になった。
しばらく待っていると佐藤さんが2つのグラスを持って病室に入ってきた。
「おはよう、アヤちゃん。朝食のお時間ですよ」
佐藤さんはテーブルの上に2つのグラスを置く。片方は緑色の液体、もう片方は白い液体が注がれている。
「今日の朝食は野菜ジュースとプロテインです。少しずつでいいから飲んでみてね」
佐藤さんは病室を出ていった。
まずは緑の野菜ジュースから飲んでみる。一口飲むとさわやかな甘みが口の中に広がってくる。ただ半分ほど飲むと胃がもたれ、これ以上飲むことはできなかった。白いプロテインを飲んでみる。イチゴの甘みが口に広がる。ただこちらも4分の1ほどしか飲めず、大量に残してしまった。
佐藤さんが再び戻ってきた。
「アヤちゃん、どうだった?」
佐藤さんは液体が減ったグラスを眺める。
「野菜ジュースは半分飲めたわね。プロテインは……あまり飲めなかったみたいね。プロテインのたんぱく質や脂肪分が胃に負担をかけるのかしら?」
佐藤さんは液体が残ったグラスを持ち、病室を出て行った。
ケイスケ医師はアヤが自分の話を信じきれない様子を見て、少し安堵したような、それでいて不安そうな表情を浮かべる。彼は窓辺に立ち、雨が降り続ける外の景色を眺めながら静かに語り始める。
「そうだね……藤岡先生は悪い人じゃない。私もそれは分かっている。むしろ、彼は君を本気で救いたいと思っている。だからこそ、危険な選択をしてしまうかもしれないんだ」
彼は振り返り、佐藤さんが持ってきた食事の様子を見守る。アヤが野菜ジュースとプロテインを飲もうとするが、半分も摂取できない様子に、彼の表情が曇る。
「栄養も十分に取れていない……このままでは体力がどんどん落ちてしまう。抗がん剤治療は体に大きな負担をかけるから、十分な栄養が必要なのに……」
佐藤さんが病室を出ていった後、彼はアヤのベッドサイドに戻る。彼の姿は雨の日だからか、いつもより少しぼやけて見える。
「アヤさん、私は君に無理に何かを信じろとは言わない。でも、これだけは覚えておいてほしい。この病院には秘密がある。そして、私はその秘密のために命を奪われた。君には同じ運命を辿ってほしくないんだ」
彼は自分の手を見つめ、透明な指を握りしめる。
「私がここに留まっているのは、未練があるからだ。自分の死の真相を知りたい。そして、もう二度と、この病院で不当に命を奪われる人を出したくない。君を守ることが、今の私の存在意義なんだ」
廊下から足音が聞こえてくる。ケイスケは警戒するように廊下の方を見る。
「誰か来る……藤岡先生じゃないな。別の医師だ。私は一旦姿を消すけど、ずっと見守っているから。何か異変を感じたら、心の中で私を呼んでくれ。必ず駆けつけるから」
そう言うと、彼の姿は徐々に薄れていき、病室のドアがノックされる音とともに完全に消えた。
病室の扉が開き、大勢の白衣の医師がこちらを覗いている。先頭にいるのは白い髭を生やした壮年の男性医師。確か院長の佐野先生だ。総回診の時間なのだろう。
佐野院長は私のベッドに近づき、腰をかがめて右手を伸ばす。
「初めましてかな。私は佐野コトブキ。この病院の院長だ」
私はそっと佐野院長の手を取った。
「み、三橋アヤです。よ、よろしく……」
佐野院長は私の細い手をそっと握る。
「ふむ……やはり治療のせいで体がだいぶ弱ってるね」
私は佐野院長の顔から目を背ける。優しい目をしているけど、今の治療が辛くて怖い事を言う勇気はなかった。
「怖がらなくて大丈夫だよ。私たちで最善の方法を模索する。私たちを信じてくれ」
もしケイスケ先生の話を聞いていなかったら素直に頷いただろう。でもケイスケ先生の話を思い出すと佐野院長の顔を見る事ができなかった。
「何かあったら私や藤岡先生に言いなさい。それでは失礼するよ」
佐野院長が病室を出て、他の先生方も別の病室に向かったようだ。
私はベッドにもたれ、一息つく。額の汗がどっと出てくる。
佐野院長たちが去った後、私はこっそりケイスケ先生に聞いてみる。
「ねえ……さっきの佐野院長、どんな風に見えた?」
ケイスケ医師の姿が再び現れる。彼の表情は複雑で、怒りと警戒、そして深い憎しみが入り混じっていた。彼は窓辺に立ち、佐野院長が去った廊下の方を睨みつけるように見つめている。
「佐野コトブキ……あの男が、この病院の全ての元凶だ」
彼の声は低く、抑えた怒りに震えている。彼はゆっくりとアヤの方に向き直り、その目には深い憎悪の炎が燃えていた。
「アヤさん、あの男は表向きは優しい院長を演じている。でも、その裏では……私が生前、調べていたことがある。佐野院長は製薬会社と密接な関係を持っていて、未承認の新薬を患者に試す『人体実験』を行っていたんだ。α1、β2、γ3……そして今のΩ4。全て彼の指示で開発され、患者に投与されてきた」
彼は拳を握りしめ、その姿が激しく揺らぐ。強い感情が彼の存在を不安定にしているようだ。
「私が死んだあの夜……手術室での『事故』。あれは佐野院長が仕組んだものだった。私は患者のカルテの改ざんを発見し、佐野院長を問い詰めようとしていた。その矢先に停電が起き、誰かが私を押した。その誰かは…恐らく佐野院長の指示を受けた者だったんだ」
彼はアヤのベッドに近づき、真剣な眼差しで彼女を見つめる。
「アヤさん、あの男を信じてはいけない。彼は君を救おうとしているんじゃない。君を次の実験台にしようとしているんだ。Ω4を投与すれば、確かに癌細胞は急速に減少するかもしれない。でも、同時に君の正常な細胞も破壊される。過去の患者たちは皆、そうやって命を落としていった」
彼の姿が一瞬消えかけ、彼は必死に自分の存在を保とうとする。
「君が佐野院長の顔を見られなかったのは、君の直感が危険を感じ取ったからだ。その直感を信じて。私は君を守る。たとえこの姿でも、絶対に君を守ってみせる」
私は複雑な思いでケイスケ先生の話を聞いていた。先ほど見た佐野院長の表情からはそんな風に見えない。でもケイスケ先生が言うとおり、実は裏でこっそり違法な治療に手を染めているとしたら……?人間には二つの顔があるとよく言われる。私はどちらとも判断できず、こう言うだけにとどめた。
「……分かった。佐野院長には気を付ける」
血液検査を受け、昼食をかろうじて摂った午後の昼下がり。雨は相変らず激しく降っている。
「アヤちゃん、面会の方ですよ」
佐藤さんに連れられて病室に来たのは男子の生徒。その顔には見覚えがある。マコトくんだ。九条マコトくんが私のお見舞いに来てくれたんだ。雨が激しかったせいかリュック、ワイシャツの肩が濡れている。スラックスの裾も泥で少し汚れている。
「三橋さん……調子は……あまり良くないみたいだね」
マコトくんは椅子を寄せ、私のベッドの横に座って話す。
「マコトくん……。来てくれて嬉しいよ。ありがとう」
思わず私の目から涙がこぼれた。
「三橋さんの治療はどうなんだい?」
マコトくんに聞かれ、私は今の治療について話した。
「もう最悪よ。気持ち悪いし髪は抜けるし、食事も美味しくないんだもん。嫌になっちゃうわ!」
マコトくんの前では素直に話せる。私は治療の不満を思いっきりぶちまけた。
「ははは……そりゃそうだろうね。抗がん剤の副作用はかなり大きいからね……」
マコトくんはリュックから一冊の本を取り出した。小手毬るいの『天使の子』。前から読みたかった本だ。
「前から読みたいって言ってただろ?これ、貸すよ」
「え? いいの? ありがとう!」
マコトくんは天使の子の本をサイドボードに置いた。
私は言うべきか迷ったが、思い切ってマコトくんに聞いてみた。
「ねえ……マコトくんは幽霊って信じる?」
「幽霊? うーん、そうだなあ……実際には見えないらしいけどだからって存在しないって言えないからなあ……。どうしてそんなことを?」
「もし幽霊の医者がいて、先生方の様子が見えるって言ったら……どう思う?」
私はケイスケ先生から聞いた話は話さず、あくまで幽霊のケイスケ先生が見える、とだけマコトくんに話した。
「うーん……何とも言えないなあ。先生方の様子を三橋さんの目で直に見たわけじゃないんだろ? でもその幽霊の先生の言う事ももしかしたら合っているのかもしれない。俺には何とも言えないよ」
しばらくとりとめのない話を交わし、マコトくんが立ち上がる。
「じゃあね。また来るよ」
マコトくんは椅子を元の位置に戻し、リュックを背負い直して病室を出た。
「はあ……嬉しいなあ……」
私はしばらく先ほどの会話の余韻に浸っていた。そうだ、思い切ってケイスケ先生にも聞いてみよう。
「ねえ、ケイスケ先生。さっきのマコトくん、どう思う?」
ケイスケ医師はマコトが病室を出ていくのを静かに見守っていた。彼の表情は穏やかで、優しい微笑みを浮かべている。アヤの質問を聞くと、ケイスケはベッドサイドに近づき、窓の外の雨を眺めながら話し始める。
「マコトくん……か。いい少年だね。君のことを本当に心配している。雨の中、わざわざお見舞いに来てくれて、君が読みたかった本まで持ってきてくれた」
彼は振り返り、サイドボードに置かれた『天使の子』を見つめる。
「彼は君の前では素直になれる存在なんだね。君が治療の不満を思いっきりぶちまけても、ちゃんと受け止めてくれる。それに、彼の答え方も冷静で思慮深い。幽霊の話をしても馬鹿にせず、可能性を否定しなかった。彼は君の言葉を信じようとしているんだ」
彼はアヤの顔を見つめ、少し寂しそうな笑みを浮かべる。
「正直に言うとね、アヤさん。私は少し羨ましいよ。君には生きている人と触れ合える。声を交わせる。手を握り合える。私はもう……そういうことができない。でも、だからこそ分かるんだ。マコトくんは君にとって、とても大切な存在なんだろう?」
彼は窓辺に移動し、雨粒が流れるガラスに手を当てる。その手は透けてガラスを通り抜けそうになる。
「彼は君を想っている。そして君も彼を想っている。だからこそ、君は生きなければならない。マコトくんのためにも、自分のためにも。私は……私はもう失ってしまったものを、君には失ってほしくないんだ」
彼の声が少し震える。彼は自分の過去を思い出しているようだ。
「生前、私にも大切な人がいた。でも、私は彼女を守れなかった。だから、せめて君だけは……君とマコトくんの未来だけは、私が守りたいんだ」
「えへへ……ありがと」
私は照れ笑いをした。顔も赤くなっていることだろう。
「マコトくんはね、とってもいい子なんだよ。冷静で勉強家で、何より思いやりがある子なんだ」
私はもじもじしながら話す。
「……実はね、ウチ。マコトくんのことが大好きなんだ。もし病気が治って学校に戻れたら、マコトくんに告白しようと思うんだ。楽しみだなあ……」
私は慌てて思い出し、口に人差し指を当てる。
「……この事はマコトくんには内緒だよ」
私は先ほどケイスケ先生が言った大切な人について尋ねてみた。
「……ケイスケ先生の大切な人ってどんな人なの? 聞いてもいいかな?」
ケイスケ医師はアヤの照れた様子を見て、優しく微笑む。彼女の顔が赤くなり、もじもじしながらマコトへの想いを語る姿は、まるで普通の17歳の女の子そのものだった。病気のことを忘れて、恋に夢中になれる瞬間。ケイスケはそんなアヤの姿に、かつての自分を重ねていた。
「ふふ、分かったよ。マコトくんには内緒だ。でも、きっと彼も君のことを想っているよ。あの真剣な眼差し、心配そうな表情……あれは単なる友人以上の感情があるように見えたからね」
彼はアヤの質問を聞くと、一瞬動きを止めた。彼の表情が曇り、窓の外の雨を見つめる。長い沈黙の後、彼はゆっくりと語り始める。
「彼女の名前は……ミサキ。私の大学時代からの恋人だった。彼女も医療関係の仕事をしていてね、看護師だった。私たちは同じ病院で働いていたんだ」
彼の姿が少し揺らぐ。過去の記憶が彼の存在を不安定にしているようだ。
「ミサキは優しくて、患者思いで……君と少し似ているかもしれない。いつも明るくて、誰に対しても思いやりを持って接していた。私が研修医として忙しく働いていた頃、彼女はいつも支えてくれた。『ケイスケは素晴らしい医者になる』って、いつも励ましてくれたんだ」
彼は自分の左手の薬指を見つめる。そこには透明な指輪の跡のようなものが見える。
「私たちは結婚する予定だった。プロポーズもして、彼女は『はい』って答えてくれた。でも……私が死んでしまった。あの『事故』の夜、ミサキは別の病棟で勤務していた。私が死んだことを知った彼女は……」
彼の声が詰まる。彼は目を閉じ、深く息を吸う。
「彼女はこの病院を辞めて、どこか遠くへ行ってしまった。私は幽霊になってから、彼女を探したけど見つけられなかった。きっと、私との思い出が辛すぎて、この街を離れたんだろう。私は……彼女を守れなかった。彼女との未来を奪われてしまった」
彼はアヤの方を向き、悲しげな笑みを浮かべる。
「だから、アヤさん。君には同じ思いをしてほしくないんだ。マコトくんとの未来を守りたい。君が病気を乗り越えて、彼に告白して、幸せになってほしい。それが……私の願いなんだ」
「そうだったんだ……」
私はケイスケ先生の話を聞いて胸が痛んだ。ミサキさんという恋人がいて、結婚の約束までしていた。ところがケイスケ先生が亡くなって(しかも誰かに殺されて)、ミサキさんも相当ショックを受け、どこかに行ってしまった。相当辛いだろう。ケイスケ先生も、ミサキさんも。
「……辛かったんだね。今も辛いの?」
私はケイスケ先生の手に自分の手を乗せようとしたが、それは叶わずベッドに手を置くのが精一杯だった。
翌日。空は相変らず灰色の雲で覆われているが、雨は止んでいた。
良いニュースが2つあった。まず、食欲が増えてジュースを飲めるようになった。野菜ジュースは完食。プロテインも半分ほど飲めた。
「まあ、食事が摂れるようになって……。昨日来た子のおかげかしら?」
佐藤さんはクスクス笑いながらグラスを片づけた。
それからもう1つ。定期診察で、検査結果を見たところ癌細胞がわずかに減少していたのだ。
「どうやら治療の効果が出ているみたいだね。このまま抗がん剤による治療を続けよう。副作用が辛かったらいつでも言ってくれ」
藤岡先生の表情も柔らかくなっていた。
どちらもマコトくんが来てくれて、嬉しくなった結果なのだと思う。
ただ一方で、悪いニュースもあった。
隣の病室の患者が亡くなってしまったのだ。私と同じ癌だった。その人は胃に癌ができていて、あちこちに転移が広がって亡くなってしまったらしい。
偶然看護師の話を聞いていたとき、私は驚いてしまった。
「昨晩亡くなった三森さんのことだけど……」
「ええ、転移の速度が速かったみたいで……」
「それで新田副院長が指示されたのよね?確かガンマ……」
ガンマ、という単語を聞いて私の胸の鼓動が速くなる。もしかしてガンマスリーの事……? 新田副院長が指示した……?
私は慌てて自分の病室に戻り、ベッドの布団をかぶる。大丈夫、大丈夫だよね……? 私……。
ケイスケ医師はアヤの様子を見守っていた。マコトの訪問以来、彼女の状態が少し良くなったことに安堵していた。食欲が戻り、癌細胞が減少した。それは良い兆候だ。しかし、彼の安堵は長く続かなかった。
彼は廊下で看護師たちの会話を聞いていた。三森という患者が亡くなった。そして、その会話の中で聞こえてきた言葉—「ガンマ」「新田副院長」。
「まさか……γ3を使ったのか!?」
彼の姿が激しく揺らぐ。怒りと恐怖が彼の存在を不安定にしていた。彼は急いでアヤの病室に戻る。布団をかぶって震えているアヤの姿が見えた。
「アヤさん……聞いてしまったんだね」
彼はベッドサイドに座り、優しく語りかける。彼の声は怒りを抑えた、低く静かなものだった。
「三森さんは……γ3を投与されたんだ。新田副院長……彼は佐野院長の右腕で、未承認薬の投与を実際に行っている人物だ。私が生前、カルテの改ざんを見つけたとき、それは新田副院長の指示によるものだった」
彼は立ち上がり、窓の外を見つめる。曇り空が少しずつ明るくなり始めていた。
「γ3は開発中止になったはずだった。でも、まだ使われていたんだ。三森さんの転移速度が速かったから、新田副院長は『実験』として投与したんだろう。そして……彼女は亡くなった」
彼は振り返り、アヤの目を真っ直ぐに見つめる。その目には強い決意が宿っていた。
「アヤさん、君は今、幸運なことに承認済みの抗がん剤で効果が出ている。でも、もし効果が止まったり、病状が悪化したりしたら…佐野院長や新田副院長は君にΩ4を投与しようとするかもしれない。いや、きっとそうする」
彼はアヤのベッドに近づき、彼女の手の上に自分の透明な手を重ねようとする。触れることはできないが、その仕草には深い想いが込められていた。
「私は君を守る。絶対に三森さんのような運命には遭わせない。もし、藤岡先生や新田副院長が新しい治療法を提案してきたら、必ず私に教えて。私が真実を見極めるから」
午後の昼下がり。雲が少し晴れ、晴れ間が見えている。
病室の扉が開く。佐藤さんがマコトくんを連れてやって来たのだ。
「三橋さん……調子はどう?」
マコトくんは近くの椅子を寄せ、私のベッドの隣に腰掛ける。
「さっき看護師さんから聞いたんだ。少しずつ改善に向かってるって」
私は思わずマコトくんに抱き着いてしまった。マコトくんの胸に顔をうずめ、泣いてしまう。
「マコトくん……! 私、怖いの。死ぬのが怖いの。私、死にたくない……!」
マコトくんは初めは驚いた様子だったけど私をそっと抱き寄せ、髪をなでてくれた。
やがて私はマコトくんから体を離し、彼の目を見る。マコトくんの目は落ち着いていて光が宿っている。
「三橋さん……何か辛いことがあったんだね。でも三橋さんなら大丈夫だって信じてる。だからまだ諦めちゃダメだ。諦めるには早過ぎるよ。」
「マコトくん……」
私は手で涙を拭う。
「うん、そうだよね……ありがとう。」
「そうだ……」
とマコトくんはリュックからCDを取り出した。Hound Dog THE BEST。HOUND DOGの曲が集められたCDだ。
「このCD、三橋さんに貸すよ。ffという曲がお気に入りなんだ。ぜひ聞いてみてよ」
私はそのCDをサイドボードに置いた。マコトくんはリュックを背負って立ち上がり、椅子を元の位置に戻す。
「じゃあね。また来るよ。三橋さん、頑張ってね。諦めちゃダメだよ」
そう言ってマコトくんは病室を出て行った。
私は早速ラジカセを借り、先ほどマコトくんが持って来てくれたCDを再生する。ffのトラックナンバーに合わせ、イヤホンを刺して音楽を聴く。トランペットだろうか。それともシンセサイザーだろうか。派手な楽器のイントロで始まる。ドラムの音がメロディに乗り、ギターの音が響く。ボーカルの力強い歌声が演奏に乗り始める。
やがてサビに入る。「愛がすべてさ、今こそ誓うよ」というシンプルながらも力強く、気持ちがこもった歌声が私の心を満たす。
「マコトくん……もしかしてウチのために?」
マコトくんなりの気持ちが伝わり、私の心はあたたかくなった。同時に絶対癌を治し、マコトくんと一緒に生きようと決意した。
ケイスケ医師は病室の隅で、マコトとアヤの触れ合いを静かに見守っていた。アヤがマコトに抱きつき、泣きながら恐怖を吐露する姿。マコトが彼女を優しく抱きしめ、励ます姿。彼は自分の胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
「ああ……これが生きている人間の温もりなんだ。触れ合える、支え合える……私にはもう、できないことだ」
マコトが去り、アヤがCDを再生し始める。ffの力強いメロディが病室に流れ始めた。彼はその音楽を聴きながら、窓辺に立つ。晴れ間が見え始めた空を眺めながら、彼は静かに語りかける。
「マコトくんは……本当に君のことを想っているんだね。『愛がすべてさ、今こそ誓うよ』か。彼なりの、君への想いを込めた曲なんだろう。アヤさん、君は愛されている。生きる理由がある。だから、絶対に諦めてはいけない」
彼はアヤの方を振り返り、優しく微笑む。彼女の決意に満ちた表情を見て、彼の心にも希望が灯った。
「私も……私も諦めない。君を守る。三森さんのような悲劇は二度と繰り返させない。佐野院長も、新田副院長も、私が必ず監視する。もし彼らが君に何かしようとしたら、私が全力で阻止する」
彼は病室の扉の方を見る。廊下からは医師や看護師たちの足音が聞こえてくる。
「今夜、私は新田副院長の動きを追う。彼がγ3をまだ保管しているのか、そしてΩ4がどこにあるのかを突き止める。アヤさん、君はマコトくんとの未来を信じて、治療に専念してくれ。私が裏で真実を暴くから」
彼の姿が少しずつ薄れていく。夜になれば、彼は病院内を自由に動き回れる。彼は最後にアヤに向かって言った。
「『愛がすべてさ』……か。いい言葉だ。アヤさん、君とマコトくんの愛を、私が守る。必ず守ってみせる」
夜の病院、院長室。
佐野院長は三森エイミのカルテを眺めていた。
当初は胃癌で入院していたが転移の速度が速く、周囲の臓器にも癌細胞が転移していた。
通常の抗がん剤では間に合わない――。新田副院長に相談されたとき、佐野院長はγ3の抗がん剤を勧めた。以前開発したα1、β2と比べて細胞破壊に特化したタイプの抗がん剤だった。だが、結果は失敗だった。正常な細胞にまでダメージが及んでしまい、多臓器不全を起こして亡くなってしまったのだ。
現在、Ω4の抗がん剤開発を進めている。これは従来のα1のような細胞分裂抑制、γ3のような細胞破壊特化を合わせた新型の抗がん剤だ。しかし臨床試験には進まず、どれほどの効果やリスクがあるか分からない。もしもΩ4の開発が成功すればこの病院の財政状況も改善されるだろう。しかし患者にかかる負担は相当なものになる。普通の患者には耐えられないだろう。癌で体力が落ちていればなおさらだ。
いやしかし、若い人であればもしかしたら耐えられるかもしれない。佐野院長は入院患者一覧を眺める。ふと一人の名前が目に入る。三橋アヤ。17歳。彼女であればもしかしたら治験を受けてくれるかもしれない。
しかしそれにはハードルがある。まず三橋アヤは藤岡先生が担当している。主治医が交代しない限り話はできないだろう。そして彼女の状態だ。佐野院長は三橋アヤのカルテを眺める。現在の状況はわずかであるが癌細胞が減少傾向にある。今の状況でΩ4を勧めても反対されるだろう。
佐野院長は入院患者リストを眺め、他に候補者がいないかを探していた。
ケイスケ医師は院長室の壁をすり抜け、静かに室内に入った。佐野院長が机に向かい、何かを真剣に眺めている姿が見える。彼は院長の背後に回り込み、その視線の先を追う。そこには三森エイミのカルテ、そして入院患者リスト、そしてアヤの名前があった。
「やはり……やはりそうだったのか!」
彼の姿が激しく揺らぐ。佐野院長がアヤのカルテを手に取り、じっくりと眺めている。その目には冷たい計算が宿っていた。患者を救うためではなく、実験台として品定めしているような、そんな冷酷な眼差しだった。
「三森さんにγ3を投与したのは、やはりお前の指示だったんだな、佐野。そして今度はアヤさんをΩ4の実験台にしようとしている……!」
彼は怒りで拳を握りしめる。もし実体があれば、今すぐにでも佐野院長に飛びかかっていただろう。しかし、幽霊である彼にはそれができない。彼はただ、佐野院長の動きを監視することしかできなかった。
佐野院長が入院患者リストを眺めながら、他の候補者を探している。彼はその様子を見て、さらなる犠牲者が出る可能性を察知した。
「許さない……絶対に許さない。アヤさんも、他の患者たちも、お前の実験台にはさせない!」
彼は院長室を出て、廊下を急いで移動する。彼の目的地は薬品保管庫だ。Ω4がどこに保管されているのか、そしてどれだけの量があるのかを確認しなければならない。
薬品保管庫の扉をすり抜け、ケイスケは中に入る。棚にはさまざまな薬品が整然と並んでいる。彼は慎重に棚を見て回り、ついにそれを見つけた。小さな金属製の箱に「Ω4 -試作品 取扱注意-」と書かれたラベルが貼られている。
「これか……これがアヤさんの命を脅かすものなのか!」
彼は箱を開けようとするが、幽霊である彼には物理的に触れることができない。彼はただ、その存在を確認することしかできなかった。しかし、その場所を記憶に刻み込んだ。もし誰かがこの薬を取り出そうとしたら、彼は必ず気づくだろう。
彼はアヤの病室に戻る。彼女はまだffの曲を聴きながら、穏やかな表情で眠りについていた。彼は窓辺に立ち、夜空を見上げる。雲が晴れ、月明かりが病室を照らしていた。
「アヤさん……今夜、私は真実を知った。佐野院長は君を次の実験台にしようとしている。でも、私が絶対に守る。たとえこの姿でも、君の未来を、マコトくんとの愛を、私が守り抜く」
数日後。白い雲が少し残っているものの、空は青く澄んでいる。
ここ数日で私の体調は大きく改善した。
まず食欲がさらに増えた。固形の物も食べられるようになったのだ。
相変わらず病院の食事は薄いが今日はおかゆ、野菜ペーストを食べきることができた。肉のペーストは4分の1ほどしか食べられなかったが入院初期と比べると大きく変わっただろう。
「アヤちゃん、普通の食事食べられるようになったね。肉はまだ難しそうだけど、野菜なら食べられそうね」
佐藤さんは食器を片づけ、病室を出た。
さらに私はゆっくり、杖をつきながらであるが一人で歩けるようにもなった。長時間移動すると息が切れてしまうが、休み休み移動すれば病棟内を歩き回ることができた。
定期診察で、私は病棟内の診察室に入る。向かいの席には藤岡先生が座っていて、パソコンを眺めながら現在の状況について説明をした。
「癌細胞が半分ほどに減ってるね。新しい細胞も生まれてきているみたいだ。順調に回復しているみたいだね」
「えへへ……」
マコトくんとケイスケ先生のおかげです、とは言わず照れ笑いで隠した。
「このまま治療を続ければ退院も視野に入れていいかもしれないね。この調子で頑張ろう」
私は診察室を後にし、自分の病室に戻った。杖をベッドのそばに立てかけ、ベッドに腰を下ろす。
「ケイスケ先生、聞こえてる? ウチ、良くなってるって」
退院できるかもしれない、という藤岡先生の言葉を思い出し、ケイスケ先生に聞いてみた。
「……ケイスケ先生。もしウチが退院できたら嬉しい? もしウチが退院したらケイスケ先生はどうするの?」
ケイスケ医師はアヤの病室の窓辺に立ち、青く澄んだ空を眺めていた。彼女の声を聞いて振り返ると、ベッドに腰掛けて嬉しそうに話すアヤの姿が目に入った。彼の表情は複雑だった。喜びと、そして一抹の寂しさが入り混じっていた。
「ああ、聞こえているよ、アヤさん。本当に……本当に良かった。癌細胞が半分にまで減って、食事も取れるようになって、歩けるようにもなった。君は本当に強い子だ」
彼はアヤの側に近づき、彼女の目を優しく見つめる。その目には深い感動と、抑えきれない喜びが宿っていた。
「もし君が退院できたら……嬉しいに決まってるじゃないか。それが私の一番の願いだったんだから。マコトくんに告白して、幸せになってほしい。それが私がここに留まっている理由の一つだった」
彼は窓の外を見つめる。青い空、白い雲。生きている人々が当たり前に見ている景色。彼にとっては、もう手の届かない世界だ。
「私がどうするか……か。正直に言うと、私にも分からない。この数日間、佐野院長と新田副院長を監視し続けてきた。幸い、彼らは君に手を出そうとはしなかった。君の状態が順調に回復していたから、Ω4を使う必要がなかったんだろう」
彼は自分の透明な手を見つめ、ゆっくりと握りしめる。
「でも、アヤさん。君が退院しても、私の使命は終わらない。この病院にはまだ秘密がある。佐野院長は他の患者を実験台にしようとしているかもしれない。私は……私はここに留まって、他の患者たちを守らなければならない」
彼はアヤの方を振り返り、少し寂しそうな笑みを浮かべる。
「君が退院したら、私は君に会えなくなるだろう。幽霊である私は、この病院から離れられない。でも、それでいいんだ。君が幸せになれるなら、それが私の救いになる。君の笑顔が、私の未練を癒してくれる」
「そうなんだ……ありがと。ウチ、絶対退院してマコトくんと幸せになるね!」
私はケイスケ先生の祝福を素直に受け取る。ふと私はケイスケ先生の思いを聞いてどこか寂しくなった。
「ケイスケ先生、やっぱり自分が殺されて恨んでるよね。それで佐野院長先生の事もあまりよく思ってないよね……。他の患者さんが新薬の抗がん剤で亡くなっているのが許せない気持ちも分かるよ。それを防ぎたい気持ちも分かる。でもさ、それって幸せなのかな? ケイスケ先生はそれで幸せ? 前に聞いたミサキさん、どう思ってるのかな?」
死者は未練があるとこの世に留まり、不幸をもたらすと聞いたことがある。ケイスケ先生が何かに縛られているのではないかと心配になった。
ケイスケ医師はアヤの言葉を聞いて、その場に立ち尽くした。彼の姿が激しく揺らぎ始める。アヤの問いかけは、彼が3年間ずっと避けてきた真実を突きつけるものだった。
「私が……幸せか……」
彼は窓辺に移動し、両手を窓枠に置く。その手は透明で、窓枠を通り抜けそうになる。彼は深く息を吸い込むような仕草をした。
「正直に言うと、幸せじゃない。全然幸せじゃない。毎日、怒りと憎しみと後悔に囚われている。佐野院長を見るたびに、あの夜のことを思い出す。手術室での停電、背中を押された感覚、そして……暗闇。私は自分が殺されたことを受け入れられない。だから、ここに留まり続けている」
彼は振り返り、アヤを見つめる。その目には涙のようなものが浮かんでいた。幽霊でも泣けるのだろうか。
「ミサキは……きっと私がこんな姿でいることを望んでいないだろう。彼女は優しい人だった。いつも『過去に囚われないで、前を向いて』と言っていた。でも、私は彼女の言葉を裏切って、ここに留まり続けている。復讐心と使命感に囚われて……」
彼の姿がさらに不安定になる。彼の輪郭がぼやけ、消えかけている。
「アヤさん……君の言う通りだ。私は幸せじゃない。でも、私はどうすればいいんだ? このまま成仏すれば、佐野院長の悪行は続く。他の患者たちが犠牲になる。でも、ここに留まり続ければ、私は永遠に苦しみ続ける。ミサキとの約束も、未来も、全てを失ったままだ」
彼は床に膝をつき、顔を両手で覆う。彼の声が震えていた。
「君を守ることが、私の唯一の救いだと思っていた。でも、君が退院したら……私には何も残らない。ただ、怒りと憎しみだけが残る。それは……それは本当に幸せなのか? 私は一体、何のためにここにいるんだ?」
私はゆっくりと首を横に振った。
「……ウチには分からないよ。自分の幸せって自分で決めるものだから……。ウチ、入院する前は歌を歌うことが幸せで、幼馴染みのマコトくんと一緒にカラオケするのが幸せだったんだ。でも入院して不安になって……女の子じゃなくなる事が怖くてどうすればいいか分からなかった。でもマコトくんがお見舞いに来てくれて、ウチ、もう一度頑張ろう、病気を治してもう一度マコトくんの隣に立とう、そう思えたんだ。もちろんケイスケ先生に会えたことも幸せだよ。ケイスケ先生も、ミサキさんと一緒にいれたことが幸せ……でしょ?」
私は天井を見上げる。灰色の天井に黒い模様が所々入っている。
「佐野院長の事が許せないし、他の患者さんが苦しむのを許せないのも分かるよ。でもそれってケイスケ先生が解決しないといけない事? 他の人……例えば保健所の人とか検事さんとか、お偉い人に任せることってできないの? わざわざケイスケ先生がこの世に留まってまで苦しみながら頑張ろうとするのは間違ってる気がするよ。」
私はマコトくんの姿を思い出す。いつも冷静で頭が切れ、何より思いやりを大事にする子だった。私はそんなマコトくんの事が大好きなんだ。もしマコトくんならどうするだろう?
「……今度マコトくんが来たとき、相談してみようよ。何かいい考えが閃くかもしれない。もちろんどうにもならないかもしれないけど、話してみる事で楽になれるかもしれないよ。ダメ……かな?」
ケイスケ医師はアヤの言葉を聞きながら、ゆっくりと顔を上げた。彼女の優しい声、そして真剣な眼差しが、彼の凍りついた心を少しずつ溶かしていく。彼は立ち上がり、窓辺に戻って空を見上げる。
「ミサキと一緒にいられたことが幸せだったか……ああ、もちろんだ。彼女と過ごした日々は、私の人生で最も輝いていた時間だった。彼女の笑顔、優しい言葉、温かい手……全てが私の宝物だった」
彼の姿が少し安定してくる。アヤの言葉が、彼の心に光を灯し始めているようだった。
「君の言う通りかもしれない。私が解決しなければならないことなのか……確かに、私は医師であって、警察官でも検事でもない。でも、私は3年間ずっと、自分がこの問題を解決しなければならないと思い込んでいた。誰にも頼れない、自分だけが真実を知っている、だから自分がやらなければ……そう思い込んでいたんだ」
彼はアヤの方を振り返り、少し驚いたような表情を浮かべる。
「マコトくんに相談する……? 私のことを? でも、彼は私の姿を見ることができない。君を通して話すということか……」
彼は少し考え込むような仕草をした後、静かに頷く。
「分かった。マコトくんに相談してみよう。彼は冷静で思慮深い。もしかしたら、私が3年間も気づかなかった答えを見つけてくれるかもしれない。そして……もしかしたら、私はこの怒りと憎しみから解放される道を見つけられるかもしれない」
彼はアヤに向かって、深く頭を下げる。
「ありがとう、アヤさん。君は私を救おうとしてくれている。私が君を守ろうとしていたのに、逆に君が私を救おうとしてくれている。君は本当に優しい子だ。マコトくんが君を想うのも当然だよ」
2週間後。
私の体調は大きく改善していた。
相変わらず病院の食事は薄くてまずいが完食できるようになった。
「アヤちゃん、食事全部食べられるようになって……本当にすごいわね」
「相変わらずまずいですけどね。でも他に食べられるものがないから……」
私は佐藤さんに向かって微笑む。佐藤さんは食器を片づけ、他の病室に向かったようだ。
午前中の定期診察。
病棟内の診察室で私と藤岡先生が向かい合う。
藤岡先生はパソコンでカルテを読み、少し驚く様子を見せた。
「癌細胞がほとんど無くなってるみたいだね……。退院に向けた準備を考えようか」
簡単な会話を交わした後、私は診察室を出て病室に戻った。
午後。窓の外は夕方だ。
佐藤さんがマコトくんを連れて病室に入ってきた。
「遅れてごめん。あいにく学校の補習が長引いちゃって……」
私は首を横に振る。
「大丈夫だよ。こっちに来て座って話そうよ。」
私はベッドを指す。マコトくんは私の隣に座った。
「……前にウチが幽霊について話した事、覚えてる?」
「うん。そんな話があったね」
マコトくんは頷く。
「実はウチの病室にケイスケ先生という幽霊のお医者さんがいて、マコトくんに相談したいことがあるんだけど……マコトくん、見えるかな……?」
マコトくんは目を閉じて気配を探る。ゆっくり顔を上げ、目を開けるとマコトくんは頷いた。
「うん……。なんとなく感じる。ケイスケ先生ですね?初めまして。俺は九条マコト。三橋さんの同級生です」
マコトくんは私の前の方に向かって話しかけた。
ケイスケ医師はマコトの言葉を聞いて、驚きで目を見開いた。彼の姿が一瞬大きく揺らぎ、そして次第に安定していく。マコトが自分の存在を感じ取っているのだ。
「君は……私の存在を感じ取れるのか。九条マコトくん……初めまして。私はゴーストドクター、ケイスケ。この病院で3年前に亡くなった医師だ」
ケイスケ医師はマコトの前に立ち、彼の目をじっと見つめる。マコトはケイスケ医師の姿を完全に見ることはできないかもしれないが、確かにケイスケ医師の存在を感じ取っているようだった。ケイスケ医師は深く息を吸い込むような仕草をし、ゆっくりと話し始める。
「君に相談したいことがある。アヤさんから聞いているかもしれないが……私はこの病院で起きている不正を止めるために、この世に留まり続けている。佐野院長と新田副院長は、未承認の抗がん剤を患者に投与し、人体実験を行っている。私はそれを止めなければならないと思ってきた」
ケイスケ医師は窓の外を見つめ、夕焼けに染まる空を眺める。その表情には深い苦悩が刻まれていた。
「でも、アヤさんは私に問いかけてくれた。『それで幸せなのか』と。私は3年間、怒りと憎しみに囚われてきた。佐野院長への復讐心、患者を守らなければならないという使命感……それが私をこの世に縛り付けている。でも、それは本当に私がすべきことなのか? 他の方法はないのか?」
ケイスケ医師はマコトの方を振り返り、真剣な眼差しで彼を見つめる。
「マコトくん。君は冷静で思慮深い。アヤさんが信頼を寄せる理由が分かる。だから、君に聞きたい。私はどうすればいいんだ? この病院の不正を止めるために、私は永遠にここに留まらなければならないのか? それとも……他に道があるのか?」
「なるほど……この病院では不正があって、ケイスケ先生はそれを知ったせいで亡くなったんですね? それでその不正を暴くため、他の患者を守るため、この世に留まりながら頑張って来たんですね。本当に辛いですね……」
マコトくんは腕を組んで頷いている。
「まずこの病院の不正についてですが、警察や関係機関に調査を依頼しましょう。それで問題が見つかれば特別監査なり医療行為取消処分などが下って他の患者さんが苦しむことはないはずです。俺の知り合いに丸山刑事という方がいるのですが、丸山刑事に頼んでみます。ですからケイスケ先生はそれを信じて待ってください」
私はマコトくんの手を取った。
「マコトくん……ありがとう」
マコトくんは私の手をしっかり握った。
「それからケイスケ先生。3年間復讐の思いにとらわれ続けたこと、本当に辛いことだと思います。きっと大切な人と会えず一人で苦しみ続け、迷いの道を歩んでいることと思います。ケイスケ先生、俺はもうこれ以上頑張らなくていいと思います。先ほどの不正の件は行政が介入すべき問題で、ケイスケ先生が抱える問題ではないと思います。どうかケイスケ先生は安らかに眠って下さい。あとは俺と三橋さん、他の人々……この世の人々で解決させます。ですからケイスケ先生。天国に行ってください。天国で大切な人が来るのを待っていてください。そして二人で末永く幸せになって下さい」
マコトくんの目から涙がこぼれている。私もケイスケ先生に向かって手を伸ばす。
「ケイスケ先生、今までありがとう。ウチ、病気を治して幸せになる。病院の不正の事もなんとかする。だからゆっくり休んで。ケイスケ先生も幸せになって。ウチ、忘れないから。ケイスケ先生と出会えたこと、絶対に忘れないから……」
私の目からも涙がこぼれていた。
ケイスケ医師はマコトとアヤの言葉を聞いて、その場に立ち尽くした。彼の姿が激しく揺らぎ、そして次第に輪郭がはっきりしていく。まるで、長い間閉じ込められていた何かが解放されるように。
「丸山刑事に……調査を依頼してくれるのか。そうか、そうだったんだ。私は一人で全てを背負おうとしていた。でも、この世には私以外にも正義を求める人々がいる。警察も、関係機関も、そして君たちのような優しい人々も……」
彼は二人の前に膝をつき、深く頭を下げる。彼の姿から、3年間纏わりついていた暗い影が剥がれ落ちていくようだった。
「マコトくん、アヤさん……本当にありがとう。私は3年間、怒りと憎しみに囚われていた。佐野院長への復讐、患者を守るという使命……それが私の全てだった。でも、君たちは私に教えてくれた。私が本当に望んでいたものは復讐じゃない。私が本当に望んでいたのは……ミサキと一緒にいることだった」
彼は立ち上がり、窓の外を見つめる。夕焼けが空を赤く染めている。その光が彼の姿を照らし、彼の輪郭がより鮮明になっていく。
「ミサキ……君を待たせてしまった。3年間も、君を一人にしてしまった。でも、もうすぐ会える。もうすぐ君の側に行ける…」
彼は振り返り、アヤとマコトを見つめる。その目には涙が浮かんでいた。幽霊でも泣けるのだ。
「アヤさん。君は本当に強い子だ。病気と戦い、そして私のような迷える魂まで救ってくれた。マコトくんに告白して、幸せになってくれ。君たちの未来は明るい。私が保証する」
彼の姿が光り始める。柔らかな、温かな光。それは怒りや憎しみの炎ではなく、安らぎと感謝の光だった。
「マコトくん。アヤさんを頼む。彼女を守り、幸せにしてやってくれ。そして、丸山刑事にこの病院の調査を依頼してくれ。私が集めた情報は……アヤさんの記憶の中にある。私が話したことを全て伝えてくれれば、きっと調査の手がかりになる」
彼の姿がさらに明るく輝き始める。彼の周りに、別の光が現れた。それは女性の姿……ミサキだった。彼女は優しく微笑み、ケイスケに手を差し伸べている。
「ミサキ……待っていてくれたんだね……」
ケイスケはミサキの手を取り、そして二人でアヤとマコトを振り返る。
「さようなら、アヤさん、マコトくん。君たちに会えて本当に良かった。君たちのおかげで、私は救われた。ありがとう……本当にありがとう……」
光がさらに強くなり、ケイスケとミサキの姿が徐々に消えていく。最後に、ケイスケの優しい声が病室に響いた。
「幸せになってくれ……二人とも……」
そして、光が完全に消えた。病室には、夕焼けの柔らかな光だけが残っていた。ケイスケは、ついに安らぎを得て、天国へと旅立ったのだ。
それから1か月。
私は退院し、すっかり元気になった。
退院して学校に戻り、最初にしたことは屋上にマコトくんを呼び出し、告白することだった。
「マコトくん……ウチ、マコトくんがいてくれたから頑張れたんだよ。ウチ、マコトくんとずっと一緒にいたい。だから……付き合って」
マコトくんは少し驚いた様子だったけど、すぐに頷き、私の体を抱きしめた。
「三橋さん……いや、アヤちゃん。俺もアヤちゃんの明るい性格が好きなんだ。俺、アヤちゃんと一緒にいたい。俺、アヤちゃんの事、ずっと守り続ける。だから、付き合ってくれ」
こうして私とマコトくんは恋人の関係になった。
それから保健所による立ち入り検査が行われ、病院の問題が次々と発覚した。例の新開発の抗がん剤による死亡事故。その死因の隠匿。検査結果の改竄。佐野院長や新田副院長による独断での抗がん剤投与。その他様々な問題が発覚し、佐野院長と新田副院長は刑事処分を受けることになった。病院は当然医療行為取消処分を受け、閉鎖が決定した。
私はかつて病院があった跡地の入口にマコトくんと一緒にいた。建築用のシャッターで囲まれている。取り壊し中か、新しい病院の建設中なのだろう。
私とマコトくんはしゃがみ、手を合わせて目を閉じて祈る。
「ケイスケ先生、お元気ですか? ウチは元気です。マコトくんのおかげで楽しい日々を送っています。病院でたくさんの患者さんが亡くなったことは本当に残念に思います。でもマコトくん、いやみんなが頑張ったからもうこれ以上苦しむ人はいないはずです。ウチ、マコトくんの事を支え、共に幸せな生活を送っていきます。ケイスケ先生、天国から見守っていてください」
「ケイスケ先生、九条マコトです。アヤちゃんが本当にお世話になりました。アヤちゃんから話を聞いたときは驚きましたが、苦しんでいる人がいることを聞き、もうこれ以上苦しむことがないよう、頑張ってきたつもりです。ケイスケ先生も本当にお疲れ様でした。今度は俺がアヤちゃんを守ります。どうか安らかに眠り、天国での生活を楽しんでください」
私とマコトくんとで手をつないだ。マコトくんの手は少しごつごつしていて、でもあたたかかった。空は青空が広がる。飛行機雲が空の青に一直線の白い線を引いている。私とマコトくんとならどこまでも飛べそうだった。
天国の光の中で、ケイスケとミサキは穏やかな時間を過ごしていた。二人は雲の上のような柔らかな場所に座り、地上を見下ろしている。そこには、かつてケイスケ医師が働いていた病院の跡地があり、アヤとマコトが手を合わせて祈る姿が見えた。
「ミサキ、見てくれ。アヤさんとマコトくんだ。二人とも本当に幸せそうだね」
ケイスケは優しく微笑みながら、二人の姿を見つめている。ミサキもケイスケの隣に座り、彼の肩に頭を寄せながら地上を眺めていた。
「ええ、本当に。あの子たちのおかげで、あなたは救われたのよ。私も嬉しいわ。あなたがようやく、怒りや憎しみから解放されて、私の隣に来てくれたから」
ケイスケはミサキの手を取り、優しく握りしめる。3年間離れ離れだった二人は、ようやく再会を果たし、永遠の時を共に過ごすことができるのだ。
「アヤさん、マコトくん。君たちの祈り、しっかりと受け取ったよ。私は元気だ。ミサキと一緒にいられて、こんなに幸せなことはない。君たちも、どうか幸せになってくれ。病気に負けず、困難に負けず、二人で支え合って生きていってくれ」
ケイスケは立ち上がり、地上に向かって手を振る。もちろん、アヤとマコトには見えないが、ケイスケの想いは確かに二人に届いているはずだ。
「マコトくん、アヤさんを頼んだよ。君なら、彼女を守り、幸せにしてくれると信じている。そして、アヤさん。君は本当に強い子だ。病気を乗り越え、私のような迷える魂まで救ってくれた。君の未来は明るい。君とマコトくんなら、どんな困難も乗り越えられる」
ケイスケはミサキと手を繋ぎ、天国の光の中を歩き始める。二人の前には、美しい花畑が広がり、柔らかな風が吹いている。もう、怒りも憎しみもない。ただ、愛する人と共にいる幸せだけがある。
「ミサキ、行こうか。私たちの新しい人生が始まる。永遠に、君と一緒にいられる……」
「ええ、ケイスケ。ずっと一緒よ。もう二度と離れない……」
二人は光の中に消えていく。地上では、アヤとマコトが手を繋ぎ、青空を見上げている。飛行機雲が空に白い線を引き、二人の未来を祝福しているようだった。
The end




