第三話
今回はとても難産でした。第二話から2週間以上経っているのはそのためです。
ある日の朝、冬雪のスーツに袖を通した桜が、いつものように朝ごはんを食べている。その顔は少し緊張しているのか、いつもより硬く感じられた。
「桜、今日は入学式でしょう?楽しんでくるのよ」
「ありがと、お姉ちゃん」
「ちゃんと昨日のうちに準備はしたかしら?ハンカチは持った?」
「お姉ちゃん、まだ出発しないよ……でもま、きちんと準備したから大丈夫!」
自信満々にブイッとピースのポーズをとる桜はとても笑顔で緊張もだいぶほぐれてきたようだ。
「それならよかった。それと、私のスーツを汚さないように、注意することね」
「うん。同じこと言われ続けてもう耳にタコができたよ」
あのスーツを試着した日から毎日のように同じことを言われている桜。流石にそろそろ本当に耳にタコができるのではないかと心配になる冬雪。それも今日が最後だろう。
朝の支度を終えると、桜は入学式に出掛けて行った。
* * *
桜を見送り、冬雪はゲームにログインする。
いつものように会頭室へリスポーンし、クリスからの報告を受けるが特に変わったことはない。リリエルは変わり映えのない日常がようやく戻ってきたような感覚になった。
「そろそろ加工品ができた頃合いかしら。クリス、私は少し外すわ」
「行ってらっしゃいませ」
リリエルは考え事をしながらセントレイアの街を歩く。
(一枚単価40,000で売った素材、せめて60,000シルバーくらいで買い戻せないと利益が出ないわね)
考え事をしているうちに、目当ての工房へ到着する。
「お邪魔するわよ」
コンコンコンとしっかり三回ノックをして、リリエルは工房へ入る。
「ん、エル?」
「ええ、そろそろかと思ってきたわ。リアならもうできたのでしょう?」
「もちろん」
リアと呼ばれた少女──アストリアは満足気な顔で矢の束を指し示す。
「毒の矢。原理はまだわかってない。ソフィアにでも聞いて」
「そう。まあもとよりその予定よ」
アストリアは矢を作る職人だ。
ガチャリ、ノックもなくドアが開く。
「おうアストリア。できたか?」
ベルンハルトだ。
「ベルンさん、乙女の部屋はノックをしてから入るものですよ」
「誰の部屋でもそう」
「お、おう。すまない」
「そこの」
アストリアは言葉少なに矢を示す。ベルンハルトへの返答だ。
「これは……10,000でも買うやつは買うだろうな」
ベルンハルトは雷毒竜の鱗を散りばめた矢を手に取り、その品質を絶賛する。リリエルはベルンハルトをアストリアに雇われたサクラにも見えると思い、苦笑する。
「ベルンさん、私はその値段では買えないんです」
「それはそうだな。だが、それなりの値にはなるだろ」
「リア、4,000シルバーでどう?」
「赤字。8,000」
「それはそうだろう。嬢ちゃん、あんたが売った値段だ。忘れたとは言わせねぇよ」
ベルンハルトが横から口を挟む。
「4,500よ」
「……」
アストリアは黙ってリリエルを見つめる。
(リアは無言ね。まだ安いと思っている)
「5,000……5,500」
「もう一声」
「わかったわ。6,500シルバーでどうかしら?」
「ん、売った」
「成立ね。後で商会の物に取りに来させるわ」
「待ってる」
リリエルが外に出るとベルンハルトも着いてきて、声をかける。
「嬢ちゃん、さっきの値段で利益は出てるのか?」
「買った値段ですか?ギリギリですけど利益にしますよ」
リリエルはベルンハルトの目を見てさらに続ける。
「それが私の遊び方です」
そう言ったリリエルは、心の底から楽しそうだった。
* * *
アストリアの工房を出たリリエルは、フィロソフィアのアトリエに向かっていた。
(リアのところでは良い買い物ができたわ。おそらく少し予算オーバーだけど、まあ素材だけで利益は十分すぎるほど出ているわ)
フィロソフィアのアトリエについたリリエルはやはりここでも三回ノックをする。
「ソフィアさん、こんにちは。その後、どうですか?」
「ああ、リリエル。ちょうどよかった。つい先ほど、新たな発見をしたんだ」
「それを聞かせてもらえるということですね?」
「もちろんだとも!これは錬金術だけでなく、攻略の発展なのだ。ところでリリエル、君はこの世界の魔法については詳しいかい?」
少し興奮しているような、食い気味なフィロソフィアにリリエルは大発見の期待が膨らむ。
「ええ、火・水・風・土の基本四属性がそれぞれ光・闇の二種に別れているんですよね」
「その通りだとも。そして基本四属性は錬金術
にも共通している──いや、そもそも西ユーラシア世界において古来より研究されてきた錬金術の四属性をこの世界の魔法に流用したと考えたほうがいいのかもしれない」
「なるほど、つまりこの世界では錬金術と魔法が繋がっているということですね」
「ああ、そうだ。気になる点がないとは言えないが、基本的にプレイヤーは光と闇を一種類ずつ選んで覚えることができる。もちろん知っているとは思うが、同じ属性から選ぶことはできない」
「そうですね。水・光と火・光のような組み合わせや、水・光と水・闇のような組み合わせはできなかったと思います。──まさか、その常識が覆ると……!」
リリエルはこれは大発見だと身を乗り出す。
「残念ながら、それはダメだった」
リリエルは乗り出した体を元に戻す。
「そ、そうですか……」
「しかし、魔物も同じように二つの属性を持つことができるということがわかった」
「雷と毒ですね」
「ああ、雷が風・光で、毒が水・闇だ。これらは素材ごとに顕性・非顕性が割り振られていて、例えば雷毒竜の鱗は水・闇が顕性で風・光が非顕性だ」
「それでリアの矢は顕性、つまり表属性の毒矢になったわけね」
「実物を見たわけではないから憶測に過ぎないが、おそらくそうだろう。その非顕性属性を顕性とすることができたのが、今回の成果だ」
リリエルは一旦自身で内容をまとめてみる。
「つまり、内に隠れている属性を外に出すということ──雷毒竜の鱗でいうところの、表にいる水・闇を裏にいた風・光に変換したわけですね?」
「……まあそう思ってもらって構わない。そこで、重要なのがどのタイミングでなら属性の変更ができるか、だ」
「タイミング、ですか」
リリエルの相槌はフィロソフィアにとっても話しやすくなる潤滑油のようで、どんどん話が進んでいく。
「ああ、タイミングさ。一度加工をすると属性が固まってしまう。要因はまだ研究中だが、まあ錬金術も万能ではないということだろう」
「そうですか。貴重なお話をありがとうございます。ところで、風・光の鱗は在庫ありますか?」
一区切りついたところで、リリエルは商談を始める。しかし、返ってきた答えにリリエルは肩を落とす。
「全て研究に使ってしまったよ。残念ながら、私は大金を溶かしたみたいだ」
言葉とは裏腹に、フィロソフィアは朗らかな顔をしている。
* * *
フィロソフィアのアトリエを離れたリリエルは、会頭室で一人考え事をしている。
(ソフィアさんの研究成果は確かに革新的よね。だけど、それは素材の価値を高めただけで、加工物の価値は素材分しか上がっていない。これでは私の利益が圧迫されてしまうわ)
「なんとかしないといけないわね」
リリエルはハッと声に出ていたことに気づいたが、幸か不幸かそれに反応する人物はいなかった。
「クリス!」
その後しばらく沈黙していたリリエルが、クリスを呼ぶ。クリスはすぐに入室する。よく見る光景だ。
「はい」
「二つ指示を出すわ。一つ目に、ソフィアさんのところまで、誰かに雷毒竜の鱗を売りに行くように。二つ目に雷毒竜の素材買取キャンペーンを始めるように」
「かしこまりました」
「ソフィアさんの方は価格据え置きで、他に素材の注文があれば漏れなく聞いてきてほしいわ。キャンペーンの方は一割り増しで買い取るよう各拠点に明日の便で通達すること。開始は明後日の朝イチからよ」
「すぐに手配いたします」
リリエルは指示を出し終わると一仕事を終えたとログアウトをして現実世界へ戻っていった。時刻はそろそろ18時。考え事の片手間に食べていたクッキーも、現実の空腹感には影響がないらしい。後を引かない穏やかな甘さだけがクッキーのあった証拠だ。
* * *
冬雪はコクーンから起き上がり、家の中を見渡す。まだ桜は帰ってきていないようだ。
冬雪は桜が帰ってくる前に夕食の準備を済ませる。
(LLSがあるとはいえ──あるからこそかしら?贅沢品は高いわね)
LLS──ライフラインサポートは最低限の生活を支えるためのシステムだ。大学生の財布では毎日豪華に食事とはいかない。冬雪はLLSに少し足した比較的豪華な食事で桜を待つ。
しばらくして、桜が帰ってきたのか玄関を開ける音がする。
「ただいまー」
「おかえり、桜。入学おめでとう」
「あ、ありがと……」
桜は照れているのか、食卓に並べられた夕食を見ている。
「さ、食べるわよ」
冬雪は桜が座るのを見届けて、その対面に座った。
LLSでは普通、栄養ブロックとビタミンドリンクが支給されるがそのどちらもこの食卓にない。とても豪華な食卓だった。
「あ、このサラダのクルトンLLSだ」
「節約よ」
冬雪は考えていたよりも早くそれが見つかってしまい、やり場のない視線を下に落とした。
* * *
フィロソフィアの発見をリリエルが聞いてから数日後、セントレイア公会堂の一室に集まった一同は一様に押し黙り会議が始まるのを今か今かと待っている。
ドアが開き、フィロソフィアが姿を現す。彼女が最後の一人だ。そのまま演壇へと上がり、話を始める。
「今日は集まってくれてありがとう。これから、私の新発見をお話ししたい」
フィロソフィアはリリエルに話した内容と同じことを演壇で話す。もちろん話が長いので、リリエルは話半分に聞いている。
「つまり!この発見こそが今後の攻略のキーになると私は考えている!」
最後にこう締め括ったフィロソフィアは万雷の拍手の中演壇を降りた。次はリリエルの番だ。
壇上に立ったリリエルは一度議場を見回してから話し始める。
「先ほどソフィアさんからの話にあったように、ゲームの新しい仕様が見つかりました。その検証についてはソフィアさんをはじめとした生産職の方々が執り行うでしょうから一度おいておきまして、情報についてを私はお話ししたいと思います」
リリエルは一呼吸おいて続きを話す。
「さて、情報というのはもちろんこの二面性についてです。この場のみの極秘の情報とするか、それとも全体に公開するか。どちらにもメリット・デメリットがあります」
「公開すれば私たちの独占性が失われるが、極秘とすれば後続のユーザーが育たねぇし、そもそも独占がバレたときのデメリットがデケェか」
ニコラは冷静に可能性を提示する。
「まあつまり、そういうことです。私としては、情報を公開したい。それが錬金術の、そして攻略の発展になると考えています。おそらくソフィアさんも同意見でしょう」
リリエルの話にフィロソフィアは大きく頷く。
「その通りだ。確かに核心技術は秘匿もすべきだが、しかし開示すべきものもある。例えこの情報を独占しようとも、なぜか値段の上がる雷毒竜の素材、なぜか属性の違うアイテム、何かを隠している雰囲気、そのほか様々な要因から隠していることがバレてしまう。それは私も本意でない」
「ですから、私はこの情報は大々的に公開するべきだと考えています」
話したいことの全てをフィロソフィアに話されてしまったリリエルは、短く終わりの言葉を告げて壇上を去る。あとはニコラに任せたとばかりに視線を送り、割り当てられている席に着く。
「そういうことで、多数決を採る。全員の手元に紙を配った。賛成ならAの紙を、反対ならBの紙を箱に入れてくれ。何か質問は?」
あえて反対意見を述べさせず、投票に移るニコラ。反対意見もなく粛々と進められる投票作業。
結果、賛成が圧倒的多数で情報の公開が決められた。
* * *
場面は戻ってフィロソフィアの新発見の翌日、リリエルはニコラを訪ねていた。
「ニコラさん、お時間いただきありがとうございます」
「お互い忙しい身だ。簡潔に話そう」
実際、ニコラは雷毒竜の巣より北のマップの攻略を中断してリリエルとの会合に臨んでいる。
「ええ、単刀直入に話します。実は先日、ソフィアさんが世界の新しい仕様を発見しました」
「ほう、新しい仕様?」
リリエルはニコラにソフィアから聞いたことをそのまま話す。
「私としては私の商売のためだけでなく、攻略のためにもこの情報を大々的に公開するべきだと考えています」
「そうだな……公開すればソフィアやリリエル、そして私たちの情報の独占性は失われるが、その分得難い信用を勝ち取れる」
「ええ。反対に独占をすれば情報的優位に立つことで攻略の幅の差を広げられますが、それは世界全体を上に押し上げる力としては公開する場合に比べて見劣りします」
「そうだな、その情報を持たない新規前線組メンバーが増えたところで……いや、そもそも追いつけずに辞めていく可能性もあるな」
ニコラはどうやら公開派のようで、リリエルと話が合う。
「発見者のソフィアさんも公開をするべきだと考えているようですが……」
「ああ、血気盛んな奴らが黙ってないだろう。元気なのはいいが、目先の利に飛びつくからな」
おそらくリリエルとニコラには同じ人物が浮かんでいるだろう。彼が暴走する前に、会議の決着をつけるための方策を考えなければならない。
「わかった。私が司会で強行採決をしよう。多少の批判はあるかもしれんが、背に腹はかえられぬ、だ」
「ええ、お願いします」
そうして二人の会合は一つの目的に合意することで終わった。
* * *
その後の展開はトントン拍子に進んだ。
雷人はフロンティアネクサスの中では有名人で、よく攻略生配信をしている。そのチャンネルにフィロソフィアがゲスト出演し、今回の新発見を発表した。
結果、瞬く間にその話は誰もが知るところになり、雷毒竜の素材の市場価格はどんどん上がっていく。
「さすがに、私もここまで高騰するとは思っていなかったわ」
「ここまでの高騰は、滅多に見ませんね」
少し引き気味に独りごちるリリエルに、真面目に返すクリス。リリエルは微笑みながら、次の指示を出す。
「クリス、買取の値段も相応にあげて」
「既に手配済みです」
「そう、それはありがとう。雷毒竜は色々な変化をもたらしたけれど、次はどんな変化があるのかしらね」
リリエルはクッキーを食べながら、北の大空を眺めている。
これで雷毒竜編は完結になります。最後までお付き合いいただきありがとうございました。
この後は閑話をいくつか挟んだ後、第四話を投稿する予定です。
今後ともどうぞよろしくお願いします。




