第二話
4月上旬のある日、次の月曜日に迫った入学式を前に桜は冬雪のスーツを着て鏡の前に立っている。
「お姉ちゃん、この服ちょうどいいよ。さすがお姉ちゃん!センスの塊!」
「桜、それは私のスーツよ。2年前の入学式用に買ったものだけれど……あなたも着れて良かったわ」
桜はてっきり自分のために用意されたものだと思い込んでいたが──もちろん、そんな余裕は冬雪にはない。つまり、お下がりだ。
「それと、入学式の後に懇親会か何かがあってもそれを汚さないように。私も就活で着るのよ」
「う、うん。気をつけるよ」
「ああそう、クリーニング代はあなた持ちよ。帰ったらクリーニングに出しておくこと」
さすがに桜も着たまま返そうとは思ってなかったのか、もちろんとばかりに大きく頷いている。
「それじゃあそろそろ着替えなさい。せっかくのスーツがシワになる前にね」
桜はスーツから部屋着に着替えて冬雪と昼食の準備をする。
今日のお昼ご飯は何にしようかなと考えている時間も楽しそうだ。
* * *
昼食を終え、ゲームにログインしたリリエルはいつものようにクリスから報告を聞いている。
「北方の特需は落ち着いたようですので、各便を平常運航に戻しております」
「そう、何か異常はあるかしら?」
「異邦者の鍛治ギルドと錬金ギルドが先日の雷毒竜の素材を巡って水面下で争っているという情報があります」
「雷毒竜──ヴァジュリスクのことね。前線組がようやく倒したアレもそろそろ流通になる頃じゃないかしら?」
「ええ、その雷毒竜です。異邦人のベルンハルト殿とフィロソフィア殿がどうにもと、報告が上がっております」
「そう、それならばそのうち来るわね。受付の者に来たらすぐ知らせるように指示して頂戴」
「承知いたしました」
「商隊の護衛の方はどうかしら?」
「一時期より減便しましたので、充足率としては上がっていますが、やはり足りておりません」
「そう……何やら外が騒がしいわね。来たかしら?」
ドタドタと受付の方で騒ぎがあるようで、リリエルが身構えた瞬間会頭室のドアが大きく開かれた。
「お取り込み中すみません!至急、会頭にお会いしたいと異邦人鍛治ギルドのギルドマスター、ベルンハルト殿がいらしてます!」
「応接室へ通しなさい。私も後から向かうわ」
リリエルは指示を出した後、全身鏡の前で身支度をしていた。
「お通ししてよろしかったのですか?」
「そうでもしないと彼、帰らないわよ」
リリエルは身支度の最終チェックを済ませて応接室へ向かった。
* * *
リリエルはクリスに先触れをさせてから応接室へ入る。
「こんにちは、ベルンさん。今日はどのような御用向きで?」
「ああ、嬢ちゃん──いやリリエル会頭、折り入って頼みがある」
「さて、頼まれるようなことはあったでしょうか。北方も一段落しましたので、セントレイアに便を戻しました。物流は問題ないですよね?」
リリエルは限界までシラを切る。交渉で優位に立つためには、相手に真の要求を言わせることが大切だ。
「んなこたぁ知っている。ヴァジュリスクの素材のことだ!」
「ああ、アレですか。もう少し経てば市場価格も落ち着くと思うんですけどね。それでも今すぐに欲しい、と」
「今なら高く仕入れてでも高く売れる。会頭殿の方がよく知っているだろ?」
「確かに市場というものは、希少な物に価値を見出すらしいですね」
リリエルはわざとらしく少し考えてまた続ける。
「ふむ……ところで、あなた方以外にもコレを欲しいという方々が多くいるんです。あなたはいくら出してくれますか?」
リリエルは雷毒竜の素材を持っている。つまり、雷毒竜の素材が喉から手が出るほど欲しいベルンハルトに対して優位に立てる。
「テメェ、攻略を停滞させるか!」
のらりくらりとかわすリリエルに、ベルンハルトは語気を強める。しかし、リリエルにはそれは効かない。
「いえ、あなた方と同じように、攻略のためにコレを買いたいという方はたくさんいるんです」
「チッ、一旦引き上げる。だが、諦めたわけじゃねぇ。絶対にそれを買ってやる」
「ええ、またのお越しをお待ちしております」
ベルンハルトはまだ値段交渉ができないと思ったのか、引き上げるようだ。ニッコリとアルカイックな笑みを浮かべてリリエルはベルンハルトを見送る。
ベルンハルトが扉を閉めて数秒、リリエルは大きく息を吐いた。
「さすがにああいうタイプを相手にするのは疲れるわね。でも、商人としては楽しいのよ」
「お疲れ様でございました」
心なしか後ろに控えていたクリスも、一緒に疲れているように見えた。
* * *
ベルンハルトが帰った後、システムメッセージに通知があることに気づいたリリエルは、メッセージを確認する。どうやら、雷人からのメッセージのようだ。
(要約すると、これから会いたいというアポイントね。まだ時間はあるし、会いましょうか)
「クリス、応接間を整えておいて。これから攻略ギルド【センドウシャ】の雷人が来るわ」
「承知いたしました。整えておきます」
* * *
先に応接間で待っていたリリエルに、約束の30分後ピッタリに雷人が来訪した旨を知らせる職員が来た。今回もクリスはリリエルの後ろに控えている。
「会頭、【センドウシャ】の雷人殿がいらっしゃいました」
「ここに案内するように」
「そんな必要はない。建物というものは理論に従って建築されている。それはどの時代、どの国においても同じだ。であれば、私は案内されなくとも必要な時、必要な場所に向かうことができる。明らかなことだ」
案内の職員を引き連れ、雷人を伴って入ってきたのは錬金ギルドの重鎮、フィロソフィアだ。
「や、やあ。リリエル、こんなことになってしまってすまない」
「あなたが会いたいと言ってきたのよ。あなたが主体じゃないのは……まあ大体の経緯は想像がつくわ」
リリエルは半分諦めた目でフィロソフィアを見る。
「それでソフィアさん、今日はどのような用事かしら?知っていると思うけど、北方はそこの雷人たちが片付けたわ。セントレイアの便は全て通常に戻っているはずよ」
「リリエル、君は実に有能な商人だ。本題から視点をずらし、煙に巻いて利益を求める。それを当然のようにやっている。今日私がきたのは他でもない、ヴァジュリスクの素材の件だ」
フィロソフィアの話は長い。これは界隈では有名な話で、だからかはわからないがなぜか彼女のアトリエは多くの出入りが見られない。
これがベルンハルトであればきっと毎日のように色々な人が出入りしては世間話やさまざまな相談をしていることだろう。
閑話休題。
「ソレはいくらまでなら出せるのかしら?」
「いくら出せるかなどというものではない。雷と毒、2つの特徴を持つ素材は現状他にない。つまり、この素材を錬金術的に研究すれば、この後の攻略に大いに役立つということだ。人間は考える葦だという。リリエル、君は考えられないただの葦ではないだろう。だからこそ考えて欲しい!この素材が、錬金術がこの後の攻略に大きな成果をもたらすんだ!リリエル、どうか私に譲って欲しい。成果の暁には、君の名前を大々的に宣伝しよう!」
フィロソフィアはリリエルを前に堂々とプレゼンをする。
「話が長いわね。それで、今なんて言ったかしら。私の耳が間違っていなければ、譲れと聞こえたと思うわ」
「そう、譲って欲しいんだ。それが錬金、ひいては攻略の」
「長い話はもういいわ」
リリエルはフィロソフィアの話をバッサリと遮る。
「私は商人なの。慈善家じゃないわ。あなたが錬金術師なのはわかるわ。だからこそ、私は商人としてアレに適正な値段をつけなければいけないのよ」
「リリエルもこう言っていることだし、そろそろ帰ろう、フィロソフィア」
話が長くなりそうだと思った雷人がフィロソフィアの退室を促す。しかし、それに従うフィロソフィアではない。
「雷人、君はいいのか?雷毒竜の研究でますます攻略ができるようになる。そしてその攻略で出た新素材をさらに研究することで、より多くの成果を出せる」
「また長話するつもりかしら?」
「つ、つまり……錬金術は哲学のようなものだ。時代を経るごとに前の時代までのすべての知識を使って新しい思想を頒布する。同じことだろう?思想が素材に変わるだけだ。素材の哲学だ!」
「フィロソフィア、その辺に……」
雷人が焦り始める。
「この雷毒竜時代、研究できなければ錬金術師として……いや、プレイヤーとして私は後悔するだろう。そしてその後悔は、攻略の停滞となる。リリエル、どうか譲って欲しい。攻略のため、そしてさらなる商売のために!」
「そう、残念だけど結論は変わらないわ。私は商人よ。仮に今回、あなたに譲ったとして、次回はあなたが買ってくれるのかしら?きっとあなたはまた言うわ。攻略のために譲ってくれ、と。別に私は特別高く買って欲しいとは思ってないわ。ただ、まだ価格を決めていないからもう少し待って欲しいだけよ」
「フィロソフィア、リリエルもこう言っていることだし今日は引き上げよう」
「そうね、今日は引き上げなさい。また何かあれば、私からも連絡するわ」
「わかった、最後にこれだけ言わせてほしい」
「嫌よ。あなた、『これだけ』で終わらないじゃない」
そうしてこの日の会合は終わりを迎えた。
「結局、2人とも値段は考えてなかったようね」
ベルンハルトとフィロソフィアの話を聞いたリリエルは遠くを見つめる。
* * *
フィロソフィアと雷人の去った応接間でリリエルは考えている。
「私は、商人なのよ。タダでなんでもするような、慈善家じゃないわ」
リリエルは、考える。
大昔の商人は売り手、買い手、そして世間体に気を遣っていたそうだ。
「私は素材をある程度で売れればそれでいい。それでも、値段のないものに値段をつけるのは……」
クリスは悩むリリエルを静かに見守っている。
「素材の仕入れ値は20,000シルバー、最低でも25,000は……需要を考えると30,000取ってもいいはずよ」
クリスは何も言わない。これは商会の長であるリリエルの仕事だ。
「……何も言わないのならば、吹っ掛ければいいじゃない。フフフ、なんでそう簡単なことにも気づかなかったのよ。売り手と買い手、双方が納得した値段であればそれでいいのよ」
ニヤニヤと笑うリリエルは、少し……本当に少しだけ、気持ち悪く見えた。他に誰もいない場所で良かったと、そこもし誰かがいたらそう思ったに違いない。
「クリス、ソフィアさんとベルンさんにアポイントを取ってきて頂戴。日時は私の予定の入っていない時間帯で最速。ヴァジュリスクの件だと言えばすぐに動くはずよ」
「承知いたしました。この後の時間を最速と考えて約束をして参ります」
クリスはクリスの部下へ指示を出すために部屋の外へ出ていく。
* * *
30分後、先ほどリリエルとそれぞれが会談をした応接間に、全員が揃っていた。
「この度は、お集まりいただきありがとうございます。今回は、我が商会の結論をお二人にお伝えしますので、単刀直入に行きますね」
「単刀直入とは……これはまた、この状況にてそのような言葉を使うとはとても面白い。リリエル、君は単刀直入の語源を知っているかい?ああ、答えられなくてもいい。単刀直入とは、一振りの刀で敵陣に切り込んでいく様を表した熟語らしい。私も今の仕事をしていなければ、特に興味も湧かなかっただろう。つまり、何が言いたいかというと、君は私とベルンハルトを敵だと思っているのか、ということだ」
フィロソフィアは相変わらず話が長い。リリエルはその語源をたった今知ったばかりだ。
「そんな語源だったのね。さすが、センセイは博識ね」
「ンなこたぁどうでもいい。嬢ちゃん、結論を言え。いくらで売るんだ?」
「ええ、今回の素材の……特にお二人の欲しがっている【雷毒竜の鱗】は1つ50,000シルバーでお売りしましょう」
リリエルはとりあえず吹っ掛けてみるが、誰一人として表情を一つも変えない。
「そんな高値で売るつもりもないだろう。かつて日本の近江国──つまり現在の関西州東部、琵琶湖のあたりにいた商人は『三方良し』という商哲学を持っていたそうだ。勤勉な君は、もちろん知っているだろうが、世間良しはその値付けで足り得るのか?」
「相変わらず話が長いわね。それじゃあいくらなら買うっていうのかしら?」
「だから言っているだろう。錬金術の発展のため、攻略のために譲れ、と」
「そりゃあ聞き捨てならん!」
フィロソフィアの話にベルンハルトが口を挟む。
「静かに聞いていりゃあなんだその錬金至上主義は!それを言うなら俺たち職人が素材を使って道具を作ることでも攻略は進むだろ!それをなんだ錬金術の発展のため?攻略のため?テメェが素材を欲しいだけじゃねぇか!」
「はいはい静粛に。二人とも静かにしてもらえないとこの話すら無かったことになりますよ?」
リリエルは2人を落ち着かせ、話を続ける。
「それで、買うのかしら?ああ、もしお二人が買わないとしても、他に買いたいという人はたくさんいます」
「……それにしても会頭殿、50,000シルバーは高すぎじゃあないかい?せめて30,000シルバーに負けてくれないか?」
「……ふむ。ベルンさん、あなた先程は値段を提示しませんでしたね?なぜ今回は値段を提示するのでしょうか」
「無駄な議論で時間を無駄にする必要はない。攻略のためだ」
「あなたねぇ……タダで譲るつもりはないわ。次に同じことを言ったら出て行ってもらいます」
「そ、そうか。それでは32,000シルバーで譲って欲しい」
「45,000シルバー、ここは譲れません」
「35,000だ」
「いいや、38,000シルバー出す」
ベルンハルトの返答に対して少し食い気味に被せるフィロソフィア。値段はそろそろ均衡に達し、商談も無事に終えるだろう。
「40,000シルバーでどうでしょう。お二人とも納得するのであれば、この値段で構いません」
「わかった。俺は40,000シルバー払おう」
「私も払おう」
「では決まりですね。数量についてですが、お二人にちょうど同じ量を供給します。ここについては異論はないですね?」
値段が決まればあとはトントン拍子に話が進んでいく。さらに10分もすれば、正式に契約を結んで商品とシルバーの交換まで済ませていた。
「今回は良いお取引でしたね。また次回もぜひよろしくお願いしますね」
リリエルは満面の笑みでその場を去る。後に残った三人はなんとも言えない表情だった。
* * *
会頭室に戻ったリリエルはため息をつく。
「今回は仕入れ20,000の売り値40,000で、倍の値段で売れたけれど、私はそれを買い戻さなければいけないわね」
リリエルの商売は売って終わりではない。売った素材を加工したものを買い戻さなければ末端までの流通はできない。
「クリス、ベルンさんとソフィアさんに探りを入れて、どのようなものを作るつもりなのか調べておいて」
「承知いたしました」
クリスは部屋を出て、部下へ指示を出す。
「一つの道具にどの素材をどれくらい使っているのか、それが一番気になるわね」
リリエルは先ほどとは打って変わって少し気落ちした顔をしていた。今日のセントレイアは、雨が降りそうだった。