第五話
4月末のある日、冬雪は朝のニュースを流しながら朝食を食べていた。
「次のニュースです」
今日、講義のない桜はまだ寝ている。リビングにはニュースを伝える機械音声だけが聞こえる。
(悲しいニュースもなければ、嬉しいニュースもないわね。どこそこの市の条例が決まったやら、国会で討論が行われましたやら、これが日常的でいいってことなのかしら?)
冬雪は朝食を食べ終わるとニュースを消し、大学に行く準備をする。一限は基礎科目だ。
準備を終えた頃を見計らって、妹の桜も起きてくる。
「おはよう、桜。私はもう行くわ。あなたも休みだからってゴロゴロせずに、外に出た方がいいわよ」
まだ眠たげな桜は家を出ていく冬雪に「いってらっしゃーい」と間延びした声を掛けてソファに横になる。
その姿を見て冬雪は玄関を閉め、鍵をかけた。
* * *
大学から戻った冬雪は、早速フロンティアネクサスにログインをする。課題は学校で終わらせている。
「クリス、今日の報告はあるかしら?」
いつもの商会長室にログインをすると早速クリスを呼ぶ。いつもの流れだ。
「会頭、ご報告があります」
いつも以上に改まった態度のクリスに、リリエルは少し不安を覚える。何か悪いことがあった前兆だ。
「西方、特にウェスティニアでの住民向けの売り上げが低迷しております。ウチは異邦人を主なターゲットにしておりますから大きな損失ではありませんが、放っておくのも大きすぎる損失です」
ウェスティニアでは、リリエルが主導して盗賊狩りを行ったのも記憶に新しい。
「そう……。確かに、あの時は若い人が多かったと聞いているわ。貧すれば……。なんでもないわ。ただ、私と彼らの道が最悪の形で交わってしまっただけ」
部下の前だからだろうか、特に何も思うところはないといった雰囲気で話すリリエル。
「彼らも、悪道にその身を落とさなければ再起の道はあったでしょうに」
リリエルの言葉を受けてクリスが返すが、リリエルは少し考えた後にクリスに告げた。
「それは違うわ。アレが彼らのあの時点での最善手だったのよ。リスクを見なければ、元の生活か、それ以上の生活を手に入れるための」
それだけ言うと、少し出かけてくるわと告げてリリエルは商会を出る。クリスもいってらっしゃいませと深く礼をして送り出す。いつもの日常が戻ってきたかのような雰囲気だった。
* * *
商会を出たリリエルは、北方都市スルマークにいた。今夜はネクサス攻略のための会議が開かれる。
「おお、異界の商人リリエルよ。よくぞ参られた」
「これは閣下。先の雷毒竜の時はとてもお世話になりました」
ボゴミル総督は一応、リリエルの来訪を歓迎しているようだ。今日はこのスルマーク邸で会議が行われる。
「ときにリリエル、先日は西方で大活躍だったそうではないか。どうかな?当家にいい品はあるか?」
「お耳が早いことで。残念ながら閣下にふさわしいものはなかったのですが……」
いくらインフラが未発達の世界とはいえ、そこまで広いわけではない。10日弱経っていれば、総督ほどの立場であれば耳にするだろう。
「場所はいつもの部屋だったな?案内は……必要ないな」
「お手を煩わせるわけにはまいりません。どうぞ、お気遣いなく」
いつもと同じようなやりとりを、いつもと同じように行う。別段特別なことではない。定刻、リリエルはいつも会議に使っている部屋に着いた。
「遅くなったわね」
扉を開けたリリエルが中に声をかける。すでに他の人は集まっていたようだ。
「遅くはない。定刻通りだ。さて、会議を始めよう」
ニコラテラスの声かけによって、会議が始められた。
* * *
会議を終えたリリエルは、ふと西方が気になり、ウェスティニアへ足を伸ばす。どれほど荒れているのだろうか。それともすでに元の生活に戻っているのだろうか。
できれば元に戻っていて欲しい。それは、純粋な願望だった。
「悪い意味で綺麗ね。何もない綺麗さと、違和感。ギフトボックス、あなたもそう思うでしょう?」
不意に独り言を発したリリエルは、後ろを振り向きつつ話しかける。
「いやだなぁ、リリエルさん。なんでボクがいるとわかったんですか?」
ギフトボックスは半分笑いながら、リリエルの前に出る。
「それはあなた、気づかれるように真後ろに付けていたわよね?」
バレてましたかと笑ってごまかすギフトボックスの横を、リリエルは通り過ぎて街の市の方へ進む。本来、今日のような晴れた日であればテントの下に多くの店が構えられているはずだ。
「これほどまでに、国民は困窮していたのよね。これは元の田沼の濁り恋しきという感覚かしら?」
「あのー、なんの話かわからないんですけど、濁っている方がいいんですか?」
リリエルの独り言に、ギフトボックスはまっすぐ反応する。
「いいえ、これは比喩よ。徳川時代の政治家に田沼という人がいたのだけれど、田沼は経済を回すことで国を支えようと考えていたのよ。結果、不正が多くなって失脚してしまったのだけれど」
「なるほど、それで次に不正をしっかり取り締まる人が出てきたわけですね?」
ギフトボックスの理解はリリエルの思っていた以上に早いらしく、まさに1を聞いて10を知ったような受け答えをする。
「そう。その人の政治は確かに綺麗だったのだけれど、文化も抑圧したから余計に元の濁りが恋しくなったのでしょうね」
一通り歴史の解説を終えたと思ったリリエルは、さらに歩き出す。このまままっすぐ進めば議会堂が見えてくるはずだ。
「でも、それとこれとはなんの関係が……」
「そうね。ここからはあくまで憶測でしかないのだけれど、ウェスティニアは最近になって歴史に残るフランス革命のように革命が起きたのよ。その時は領主一家も殺されたと聞いているわ」
リリエルは歩みを進めながらギフトボックスに説明をする。
「凄惨な歴史があるんですね。ボクのようなタイプのゲーマーは、ついフレーバーテキストのように読んでしまうので補完してもらえてありがたいです」
おそらくギフトボックスは地頭はいいがそれの使い道を持て余しているタイプだろう、と判断したリリエルは会話の速度を1段階引き上げる。
「それまでは一部の特権階級が政治を行なっていたのだけれど、革命の後からは一応全ての国民が政治に参加できるようになったわ。その結果、多くの人の利害が衝突してしまい、何もできなくなってしまった、というのが私の予想よ」
リリエルの説明になるほどと唸ったギフトボックスは、少し加速してリリエルの前に出るとクルリと半回転してリリエルの方を向く。
「今日のところはボクはこの辺りで失礼します。ただ、リリエル商会長にはお世話になったのでこれだけ伝えさせてください。あなた、明日にでもきっと指名手配されますよ」
それだけ言い残すとギフトボックスはログアウトしていった。後に残ったリリエルは、その言葉の意味を考えている。
* * *
ウェスティニアを離れ、本店へと戻ったリリエルは会頭室へ入りクリスを呼ぶ。
「クリス、今後数日について3つの大事な話があるわ」
「はい会頭。どのようにいたしましょうか」
クリスはすぐにやってきて、会頭室の鍵を内側から閉める。
「まず1つ、これは今日中になるべく早めに頼むのだけれど、ウェスティニアが私を指名手配しようとしているという噂を聞いたわ。真偽を調べるように頼むわ」
「なんと……!先日の件ですか?しかしアレは……」
嘘か本当か、クリスはとても驚いたような顔をする。リリエルはクリスであればすでに調べがついているだろうと思っているが、クリスはいったん持ち帰るようだ。
「2つ目に、仮に私が指名手配されたとして、おそらくここですら安全ではないわ」
「セントレイアとウェスティニアは犯罪人引き渡し条約を結んでおりましたね」
「明日明後日のうちにセントレイアの憲兵隊がやってくるでしょうね」
しかしリリエルは悲観していない。やるべきことをやるだけだと、覚悟を決めた顔で話を続ける。
「だからこそ、クリスには私の財産の大半を預ける。明日朝イチの便と同時にウェスティニアへ走って最悪の場合は私の保釈金を払って欲しいのよ」
「大命、承りました」
クリスは短く返事を返す。それを聞いたリリエルは、満足そうに頷いた。
「そして3つ目、これが1番重要ね」
リリエルはなんでもないように笑ってみせるが、クリスは真剣な表情でリリエルを見る。
「私がいない間、この商会を頼むわ」
「承りました。会頭が不在の間、しっかり守らせていただきます」
クリスは一旦下がる。会頭室の鍵を開けて情報収集に出ていった。
* * *
翌日朝、リリエルは会頭室にログインをするとすぐにクリスがやってくる。
「会頭、昨日ご報告したように憲兵隊の皆様がお待ちです」
国家間で結ばれた正式な条約を正式な手続きをもって履行するために、リリエルの手に縄を掛けに来た。リリエルは頭では、理性ではわかっていても、実際それをされるという段階では一瞬で緊張をした。
「私は、この商会の尊厳をもって逃げも隠れもしません。あなた方にウェスティニアまでご足労いただく必要はございません。ちょうど今からウェスティニアに出頭しようと準備をしていたところでした」
リリエルは、極めて努力して理性を保ち、憲兵隊の応対をする。しかし、憲兵隊の言い分としてはそれは叶わないとのことだった。
鐘のような形の竹籠に身を隠され、4人の兵士によって護送されるリリエルは、籠の中で様々なことを考えている。
(このタイミングでログアウトするとどうなるのかしら?GMコールしてみましょうか)
とりあえずは現実と非現実の区別はついているようで、大きな焦りの影は見えてこない。
幸いなことにGMは数コールで応答した。
「こちらフロンティアネクサスゲームマネージャーAIです。どのようなご用件でしょうか?」
「要件、仕様確認。座標、セントレイアよりウェスティニアに向けて移動中。バグを起こす可能性などを確認したいとGMに伝えて」
リリエルは要件をまとめて応答したゲームマネージャーAIに伝える。保留音の後、数十秒でアバターが現れた。
「こんにちは、リリエルさん。私はマネージャーアルビレオです。あなたのことは少し観察してましたので、現状に対する説明は不要です。要件をお聞かせください」
「こんにちは、アルビレオさん。私からの質問は1つです」
リリエルは一呼吸置いて、アルビルオに第一の疑問点を伝える。
「私がこの状況でログアウトを行った場合、内部処理的にバグなどが起きる可能性があると思います。その辺りの仕様を教えていただきたいです」
「なるほど、捕縛されているなど自由が取れない状態でのログアウトについてですね」
アルビレオは話しながらもリリエルに見えないコンソールをスクロールしているようで、手指が上下左右に動いている。
「あー、わかりました。結論をお伝えします」
アルビレオは真剣な表情でリリエルの方を向く。
「結論、ログアウトに関する処理は行えます。ただし、次回ログイン時に場所が移動している可能性があります」
「たとえば、森の中でログアウトしたとしても、次にログインするときには牢に入れられていたりなどですね?」
リリエルは要点をうまく読み取り、確認をする。冬雪のクセだ。
「ええ、そうなることもあります。またその間、アバターがログアウト処理で消えないよう、特殊に処理されていますので、NPCから不審に思われることもありません」
「ありがとうございました」
リリエルが礼を告げるとアルビレオはすぐに消える。後に残ったリリエルは、今まで縮めていた脚を伸ばし、この後の動向について考えていた。
* * *
翌朝、ログインしたリリエルはまだ籠の中にいた。やることもないのでしばらく揺られていると、不意に籠が停止する。
「降りろ、着いたぞ」
そうしてリリエルは牢に入れられた。
そのあたりのことは、あまり覚えていない。気づいたらシトシトと雫の滴る地下牢に居た。
「クリスはうまくやってくれるかしら?」
リリエルは平静を保つように、なんでもないように、これからのことを考える。
すぐにやることがなくなって、ログアウトした。




