初めてのルーン文字 レインワーズ・ルルーシュ著①
「良いですか、エセルさん。ルーン文字とは、魔法都市ダームスドルフで使用されていた文字で、二十四文字から成ります。フィカが勧めていた『初めてのルーン文字 レインワーズ・ルルーシュ著作』に一覧表とそれぞれの意味を説明するルーン詩が載っているので、レインワーズ先生と一緒に一語ずつ発音しながら覚えていきましょう」
「はいっ」
エセルは建物内にある細長い机にローラスと横並びに座り、早速ルーン文字について教わっていた。
ローラスが手にしていた本は、斜めに傾いたテーブルに置かれている。ローラスの言葉を聞いていたかのように濃い緑色の表紙が持ち上がると、パラパラと中の白いページが勝手にめくれる。そうして最初のページが開くと、そこには文字が書き込まれていた。さっと数えたところ、確かに二十四文字あった。縦線と斜め線を色々な方法で組み合わせたものだ。
白いページからするすると人型の半透明の姿が浮かび上がる。
本から飛び出した手のひらサイズの人物は、髪をきっちりまとめ、四角いメガネをかけ、衣服の上からストールを巻いた女性だった。その人物はローラスやフィカよりも年上に見える。
ローラスは女性を紹介した。
「彼女こそこの本の著者、レインワーズ・ルルーシュ先生です。私もルーン文字を覚えるにあたり大変お世話になったものです。ちなみに種族は人間族です」
「初めまして。エセルです。よろしくお願いします」
エセルは本から飛び出たレインワーズ先生に頭を下げて挨拶をする。
先生はエセルを見て丁寧に頭を下げる。
『ーー。ーーーー』
「まだ今は何を言っているか聞き取れないでしょうけど、すぐにわかるようになりますよ。一覧表を覚えるところから始めましょうか」
「はいっ」
エセルは気合を入れ、本に書かれている文字を眺める。
レインワーズ先生は本の上を滑るように移動し、一番左端にある文字を指し示し、そして声を発した。エセルからするとなかなか聞き取りにくい、独特の音だった。
「えっ?」
「今のがこの文字の発音ですよ。フェオ。富を意味する言葉です」
「ふぇ、ふぇお」
「ちょっと発音が違いますね。レインワーズ先生の言葉をもう一度聞いてみましょう。口の形も、よく見ていてください」
「はいっ」
エセルは小型のレインワーズ先生にぐいっと顔を近づけ、その口の形を見逃すまいと目を近づけた。レインワーズ先生はちょっと笑ってから、もう一度発音する。
何回か見ているうちに、なんとなく違いがわかった気がした。
(そっか……わたし、口を大きく開け過ぎてたのかも。もっと小さく。それでいて舌は巻き込むように……)
「フェオ」
「上出来です」
ローラスが満足そうにいい、レインワーズ先生も微笑んだ。
「ゆっくり覚えていきましょう。何度も繰り返し口にしていれば、しっくりくるはずです」
「はいっ」
「ちなみにこのフェオですが、富を意味する他、畜牛という意味もあります。エセルさんは、牛という動物を知っていますか?」
問われ、エセルは少し考えた。
牛。うし。
その言葉から連想されるのは、白い皮膚に黒いまだら模様の大きな動物だ。
エセルはコクリと首を縦に振る。
「であれば話は早いです。このフェオという文字は、牛のツノに似た形をしているでしょう? 牛をたくさん所有している人間はそれだけ豊かだった。つまり、富を蓄えていた、という意味になり、このフェオの文字は富を意味するようになったのです」
「ゆたか……? とみ?」
「食べるものや住むところ、着るものなど、暮らしに困らないという意味ですよ」
「牛がいると、暮らしに困らないの?」
「ええ。私も理解するのに苦しみましたが、どうやら人間族というのは生きていく上で途方もなく色々なものを必要とする種族のようでして。牛をたくさん所有しているということは、牛の乳や肉、角や皮をいつでも手に入れられるということであり、またそれらを服や他の物品、食料などと交換できるということらしいです」
「! 牛を……食べちゃうの?」
「食べるらしいんですよねぇ、人間族というものは」
「……!」
エセルは震え上がった。
エセルにとって動物というのは仲良くすべき存在だ。断じて食料にしていいものではない。ミルクならばともかく、肉を食べる。しかも皮を剥いだり角を取ったりもするらしい。
「人間族、こわい……」
「フィカも人間族の端くれですよ」
「!!」
さらなる衝撃だ。
「フィカも牛を食べるのかな」
「ムシャムシャ食べてますよ。なんなら『今夜はご馳走ね! オホホホホ!』っていいながら上機嫌に食べます」
「……! ……!!」
エセルは頭を抱えた。
種族が違うとこんなにも考え方が違うのかとびっくりした。
文字を一文字覚えて理解するだけでも一苦労である。
「ちなみに人間族だけでなく、ロフとロネも牛肉を食べますよ。彼らも肉食ですからねぇ。まあ、普通のフクロウやネコは牛肉なんて食べないかと思いますが、フィカのおこぼれに与っているようです」
「えぇえええ……!」
こうなってくるともう、エセルの味方はローラスだけのような気がしてきた。
ドライアドのローラスは水しか飲まない。事実、この四日間のお茶会でローラスは水しか口にしていなかった。
エルフであるエセルはもうちょっと色々なものを食べたり飲んだりするが、基本野菜や木の実などばかりだ。「牛の肉を喜んでムシャムシャ食べる」という感覚がよくわからない。それならば「水しか飲まない」と言われる方がまだしっくりくる。
人間族を理解する自信を少し無くしたエセルは、小刻みに震えながら隣に座ったローラスを見上げる。
「ローラスさん、わたし、ルーン文字をちゃんと覚えられるかなぁ」
「大丈夫です。ドライアドの私にだって覚えられたのですから、エセルさんもきっと覚えられます」
「そうだよね……がんばる」
「がんばりましょう」
本から飛び出したレインワーズ先生は、この一連のやり取りを辛抱強く見守ってくれていた。




