全て特別でかけがえのない一冊②
ティーカップの中のハーブティーが冷めるのも構わずにフィカが思考していると、控えていたロネが耳をぴっと立てて玄関扉の方を向いた。
「フィカさま、ローラスさまが来たのです」
「ローラスが? ……こんな時間に?」
「はいなのです」
リビングに移動して間も無く、ロネの言う通り、扉をコンコンとノックする音が聞こえ、続いて「私です、開けてください」と耳に馴染みのある声がした。
ロネがすすすと進み出て扉を開けると、人型のローラスが立っている。その表情は張り詰めていて、いつものおっとりとした雰囲気はかけらもない。頭にかぶっている月桂樹の葉の冠も心なしか萎れているようだった。
「どうしたのよ、そんな辛気臭い顔して。この時期にアンタが人型になってわざわざウチまで来るなんて珍しいわね」
秋口のローラスは子リスや小鳥が木の実を足元に埋めに来るからと、木の形態のままじっと動かないことが多い。
ローラスは薄緑色の瞳でフィカをひたと見た。真剣な色を宿すその目に、嫌な予感で胸がざわめく。
「フィカ、どうしても貴女と話したいことがあります」
こちらの話に応じないローラスに、長年の付き合いがあるフィカにしても違和感を持った。
ともかく頷き、テーブルを挟んで存在している二脚の椅子の一つを指し示す。最近ではずっとエセルが使っている椅子だ。
「とにかく入って、そこに座って」
大人しく指示に従ったローラスは、椅子に座るとキョロキョロと辺りを見回す。
「エセルさんは?」
「もう寝てるわ」
「ならば良かった」
ホッとした様子で言うローラスを横目に、ロフが淹れなおしてくれたハーブティーにフィカは口をつけた。
「エセルちゃんに聞かせたくない話? 彼女に関わる話かしら」
「ええ。その前に一つ確認なのですが……今日の昼間、ダームスドルフにてエセルさんは鎮魂の唄を唄いましたか?」
「唄ったわ。起きてたの?」
木形態のローラスは昼夜となく寝ているような状態なので、てっきり今日の出来事にも気づいていないと思っていたのだが。
「あれほどまでに大きな魔力波動を感じれば、いやでも目が覚めます」
ローラスは、彼にふさわしからぬ沈痛な面持ちでまつ毛を伏せ、じっとテーブルの木目を見つめていた。
辛気臭いわね、なんなのよ、言いたいことがあるならはっきり言いなさいよーーフィカは喉元まで出かかっているそんな言葉を飲み込んで、腕を組み足を組みローラスの言葉を待った。
この男を急かしたって、どうせ何の意味もない。のらりくらりとかわされるだけだ。
ならば待っているしかないとフィカは長い付き合いの中で知っていた。
やがてローラスは、木目を見つめたままポツリポツリと話し始める。
「……我々ドライアド族は、エルフ族に近く、親しい。なので、他の種族が知り得ないエルフ族の情報について知っています。例えばフィカは、一括りにエルフ族と言っても、厳密にいえば彼らは三つの種族に分かれているということをご存じですか?」
いきなりの質問に面食らい、フィカは首を横に振った。
「いいえ、初耳よ」
「エルフ族は神秘の種族。この世を作りし神に最も近しい存在と言われていますが……実はハイエルフ、エルフ、ダークエルフの三種族に分かれています。エルフは最も数が多く、人間族とも時々交流がある。森に住み、魔法に長けている種族です。輝く金の髪に白い肌を持つ彼らは長命で、子を成し、産み、育てる。子供は人間族でいう二十歳ごろに達すると成長を止め、以降同じ姿で生き続けます」
「…………」
フィカは黙ってローラスの話の続きを待った。
「そしてダークエルフ。彼らは砂漠に住まうエルフです。白に近い金髪と日に焼けた肌を持ち、魔法も弓矢の腕前にも優れていて、機動力がありやや好戦的。狩った獲物を食料や道具に加工する。森に住むエルフとは異なるタイプのエルフです。そして……ハイエルフ」
ローラスは伏せていた目をついとあげ、まっすぐにフィカを見た。
彼の薄緑色の瞳は、まるで春に萌え出る新緑のような若葉色をしている。儚く見えて命の力強さを感じるその色に、今までに見たことのない真剣な色が宿っていた。
「ハイエルフとは、エルフやダークエルフ以上に神に近しい存在。全てのエルフ族を統べる種族であると私は聞いています。輝く金髪、白い肌、扱う魔法は普通のエルフ以上に強力。呪文、詠唱という形で魔法を使わず、唄によって魔力を操る。それはエルフにもダークエルフにもない、ハイエルフならではの特徴だと私はかつて共に過ごしたエルフの女性より聞き及んでおります」
「じゃあ、エセルちゃんはそのハイエルフだっていうわけ? それがどうして、あの子に聞かせたくない話になるのよ」
ローラスはフィカの問いにすぐには答えなかった。
みじろぎもせずにこちらを見つめてくるローラスは、大地に生えている木のように動じず、人間の形をしているのに人間から遠く離れた存在であることをひしひしと感じさせる。こうしたローラスの挙動を初めは不気味に思ったりもしたが、今ではもはや慣れきってしまっている。
ぴくりとも動かないままに、口だけが開いた。
「ハイエルフは子を成しません。膨大な年月を経て魔力が溜まった木の虚から生まれ落ちる。種族として先ほど数えましたが、存在するのはいつの世もたった一人だけ。ハイエルフとは、別名でエルフの統率者……王となる人物。数多のエルフの祈りを聞き届け、霊樹より生まれ落ちる者。その身に帯びる莫大な魔力を馴染ませるため幼子の姿で虚から生まれ、周囲のエルフたちの世話によりゆっくりと大きくなる。エルフの王たるものは、神より直接力を授かり、尋常ならざる力を行使できるのです。少なくとも私が出会ったエルフの王は、確かに他を圧する魔力を保有していました」
ローラスの言いたいことを理解したフィカが、眉を跳ね上げた。
「じゃあ、エセルちゃんがそのエルフの王……ハイエルフの可能性があるって?」
「はい」
「……荒唐無稽だわ」
フィカはきつく眉を寄せ、威圧するかのように言い捨てる。
「エルフは実は三つに分かれていて、エセルちゃんはハイエルフとかいう種族で、ハイエルフっていうのはエルフ族の王? 急にそんなこと言われても、信じられるわけがないでしょう」
そうは言いつつも、フィカの内心の動揺は激しい。バッサリ「嘘でしょう」と言い切ることができないのも確かだった。
エルフというのは魔力の色濃い森の奥で暮らす種族で、人間とは交流がほとんどない。だからフィカが持っているエルフ族の情報というのは皆無に等しい。
だからこそ、エセルを保護するのはフィカにとっても有益だった。何か未知なる魔法を知ることができるかもしれないと思ったのだ。
黙り込むフィカに代わってローラスがなおも続ける。
「私が初めてエセルさんの名前を聞いた時、エルフ語で『エルフ』を意味すると言ったことは覚えていますか?」
「そういえばそんなこと言ってたわね」
「あの後私は、かつて同じ言葉を聞いたことがあると思い、考え、そして思い出したのです。……ハイエルフの女王はエセル・リースと呼ばれていました。エルフ語で『エルフの女王』を意味します。おそらく彼女は生まれた時よりずっと、そう呼ばれてきたのでしょう。だからこそ真っ先に思いついた名前がエセルだったのです」
突如投下されたローラスからの爆弾発言に、さすがのフィカも絶句した。息を強く飲み込んだせいで、喉からひゅっと変な声が漏れた。こんなの、たとえ三百年以上生きているフィカとしても、驚かざるを得ない。
「……アンタ、そんな重大な情報をよくも今まで隠し持ってくれていたわね……!! だいたい、唄がハイエルフの特徴だっていうのなら、ヒソプの布を織った時にはわかったことじゃないの!!」
「すみません、話そうと思っていてすっかり忘れておりました」
「忘れておりました、じゃないわよこのアンポンタン!!」
「アンポンタン……?」
フィカの罵倒が通じずにローラスは困り顔で首を傾げた。その動作がまたいちいち癪に触る。
フィカはテーブルにドンと拳を叩きつけ、向かいに座るローラスに顔を近づける。隣の部屋で寝ているエセルを起こさないようになるべく声量を落としてローラスにつめ寄った。
「ああもう、いいわよ! アンタってそういう奴なのよ。よぉぉぉっく知ってるわ。それじゃ……それじゃ、王であるはずのエセルちゃんが、ボロボロの状態で、記憶まで失って、メイホウの森まで飛ばされてきたってことなの?」
「そうなります」
「緊急事態だわ」
顔面から血の気が引いた。
王たる者が怪我をして遠い場所に飛ばされた。
それは、国に何かしらの一大事があったということに他ならない。
内乱か、多種族の侵略か、魔獣の襲撃を受けたのか。いずれにせよ国が国として成り立たなくなり、王一人だけでも逃さなければならない事態に陥ったということだろう。
しかも、強力な魔法を操るエルフという種族がだ。
フィカはかつての己の身に起こった境遇といやが応にも重ねてしまった。
突然破られた平和、彼方から攻め入るおびただしい数の軍勢、舞い上がる火の粉、阿鼻叫喚の地獄絵図……。
一体何が起こったのか様子を見に行ったほうがいい、とフィカは即座に考える。
「ハイエルフってどこに住んでいるのかしら。エセルちゃんのこれまでの発言を聞く限り、どっかの森か山の中みたいだけれど」
世界に魔力満ちる場所というのは複数あり、魔力を操る種族や魔法生物はそうした場所に住んでいる。時間はかかるが片っ端から探していくしかない。
「ハイエルフの住処は、たった一つ。神々の住む霊峰アルヴィースです」
「アルヴィース……!」
その名を知らぬ者はいない。
古今東西、世界中で多様な種族が独自の神を信仰しているが、必ず神の住まう場所としてアルヴィースの名前が出てくるという。
雲を裂いて遥か天界まで聳えるその高き山に魅入られる者は多い。
万年雪が降り積もる山を覆い尽くす色濃い魔力は、独自の生態系を育み、そこでしか見かけない魔法生物や魔法植物が数多く存在しているという。
あまりにも強力な魔力に覆われているため、普通の人間ならば近づくことすら不可能。
それがアルヴィースという場所だ。
「アルヴィースとメイホウの森は同じ大陸にあるとはいえ、まっすぐ行ける場所にないわ。アタシが箒で飛んでも三十日はかかる場所から、ちっこいエセルちゃんがどうやって瞬時に現れたのかしら」
フィカもローラスも気配には敏感な方だ。魔力を纏っている者の存在感を察知するなど、意識しなくても出来る。
そのフィカもローラスも、魔法図書館の近くに急に現れたエセルを感知できなかった。
ロフとロネに言われるまで全くわからなかった。
どこかから飛翔魔法で飛んできたのだとしたら流石にもっと早くにわかる。
「エセルさんがエルフの王ならば、持つ力は私やフィカ以上のものです。……たとえば彼女は、遠く離れた場所に瞬時に移動できる転移の魔法を使ったのかもしれません」
「そんなのどう考えたって不可能だわ」
「人知を越える術を使うのがハイエルフという種族です。フィカ、先ほどの唄で気づいたことはありませんか? 風に乗って私の元まで唄が届きましたが……あれは、魂を天界に導くための道を作る唄でした。ならば同様のことを、生身のものにもできるとは思いませんか?」
フィカは喉を詰まらせた。
確かにあの時、エセルは唄で光の道を作り魂を天へと送っていた。
それが生身の人間にも使える、というのは考えたことすらない。
「……アルヴィースの様子を見に行ってくる」
「エセルさんも連れてですか?」
フィカは首を横に振った。
「どういう状況なのかがわからないからアタシ一人で行ってくるわ。アンタにだけエセルちゃんの面倒を見させるのは激しく不安だから、ロネを置いていく。ローラス、アルヴィースのどの辺りにエルフが住んでるか知ってる?」
「はい。ですが……」
「じゃ、教えて。ロフ、大陸地図を持っといで」
「はいです」
バサァっと広げられたのはメイホウの森とアルヴィースとがある大陸全土の地図だ。
メイホウの森は大陸の東端にあり、そこから人間族の国をいくつか挟んで大陸中央にアルヴィースが存在している。
単純に山と言ってもその区域は広大で、雪が積もっている上に未知の魔法生物がわんさか住んでいるので目安がなければとてもではないが探すことなどできない。凍死するか魔法生物に襲われて死ぬかの二択だ。
「アルヴィースを東端から登った先、ちょうど雲がかかるより少し下に魔法結界が張られている場所があり、そこに彼らは住んでいます。普通に行っても見えないでしょうから……これを持っていってください」
ローラスは自身の頭に被せてあった月桂樹の冠をテーブルへと置いた。
「馴染みの魔力を感じれば、彼らも貴女を迎え入れてくれるはず」
さも当然のように言うローラス。
フィカは、向かいに座るドライアドの青年の得体の知れなささを改めて感じる。
フィカとローラスの奇妙な付き合いは長い。魔法図書館設立まで遡る。
ざっと三百年ほど一緒にいるけれど、ローラスはあまり自分のことを話したがらないので、フィカが彼について知っていることといえばごくわずかだった。
かつてエルフと共に暮らしており、理由があってメイホウの森までやって来たこと。
たったそれだけだ。
「……アンタは……」
「詮索はなしと申し上げたはずですよ」
いつも柔らかな笑みを浮かべている青年は、こと自分のことになると頑なな態度を崩そうとしない。今のエルフの話だって、きっと必要に迫られなければしなかったのだろう。
息を一つつく。
「ハァ……わかったわよ。じゃあアタシは、アルヴィースまで行ってくるから」
「はい。よろしくお願いいたします」
ローラスはそれだけ言うと、すくっと立ち上がってフィカの家を出ていく。閉じた扉を眺め、フィカは視線をテーブルの上に置いた地図に戻した。
霊峰アルヴィース。
人々の崇拝と畏怖とを集める山。
「……行く前に情報収集が必要になるわね。確か図書館に、アルヴィースについて書かれた伝記があったはず」
調べなければと立ち上がる。
「ロフ、ロネ。エセルちゃんをお願いね」
「はいです」
「おまかせするのです」
フィカは一つ頷いて、マントを手に取り家を出る。
秋の夜は長い。まだまだ調べ物をするくらいの時間はある。
見上げると木々の隙間から丸い月がぼんやりと周囲を照らしていた。
枯れ葉が厚く覆う地面を踏み締め、フィカはまっすぐと魔法図書館へ向かったのだった。
お読み頂きましてありがとうございます。
第二章はここでおしまいです。
次から第三章にはいるので、今しばらくお待ちいただければと思います。
ここまでで面白かったと想っていただけましたら、ぜひ☆☆☆☆☆の色を変えて評価をお願いいたします。




