書物に宿る魔法の力
目を覚ましたエセルは、自分のベッドでぬくぬくとしていた。
全身がだるかったけど、それでも達成感に包まれていて嫌な気はしない。
何があったんだっけ、とエセルは記憶を辿った。
「んーと、風魔法を覚えて、フィカさんとダームスドルフに行って……そうだ。わたし、幽霊さんたちを天界に送ったんだった」
そう思い出したところで、部屋の扉がノックされてフィカが入ってくる。
「気分はどうかしら?」
「ちょっとだるいけど、気分はいいよ」
そう言って上半身を起こすと、フィカが薬湯を渡してきた。
湯気の立つそれを黙って飲むと、身体中が温まり、温まりすぎて耳からボフンと湯気がでた。
「今回のエセルちゃんの症状は魔力の使いすぎだから、月湖の水に薬草を煎じて煮たものを処方したわ。すぐに良くなるはずよ」
「本当だ、体が軽い!」
「流石に早すぎるわよ」
そうは言われても、本当にもう体が軽かった。
ベッドの上で腕を曲げ伸ばししたエセルにフィカが苦笑を漏らす。
「全く、無茶するわね。それにしても一体どうしてあんな魔法を急に思い出したのかしら?」
「それはね……この本のおかげなの」
エセルはベッド脇に立てかけてあった鞄から本を取り出した。
「それは、『エクレバー冒険記』?」
「うん。初めてダームスドルフの宮廷図書館で見つけた時、フィカさんには価値がないって言われちゃったけど、どうしても気になって持って帰ってきて、ちょっとずつ直したの。材料は図書館にあるものを使っちゃって……その、ごめんなさい」
フィカはエクレバー冒険記を手に取り、表紙を眺めたりページをめくったりとじっくり検分している。
どんな材料を勝手に使われたのか確認しているのかと内心でビクビクしているエセルだったが、フィカの言葉は予想に反したものだ。
「よれもほつれも破れも修復されているし、ページが綺麗に接着されてる。初めてにしては随分と上手に直したのね」
「メアリーさんに手伝ってもらったの」
「そう、なるほどね。道理でアタシが作業机に近づこうとしたら、アイツら揃って隠したわけだわ」
フィカはため息をついた。呆れが滲んでいたが、怒っているわけではなさそうだった。
「で、この本がどうしてさっきの魔法に繋がるの?」
「『エクレバー冒険記』の最後に訪れる村が、ダームスドルフにそっくりだったの」
エセルは本の内容を思い出しながら喋る。
「滅んだ村の魂を救うために、主人公は花の妖精さんからベルをもらって、それを村の高いところで鳴らす……そうすると魂が救われて天に昇る。その場面を読んだ時、わたし、どこかでおんなじようなことがあったなって思って……それでエルフに伝わる唄を思い出したの。あの唄は鎮魂歌。亡くなった者の魂をあの世へ届けるために、エルフが唄う唄」
エセルはかつて、あの唄を唄ったことがある。
それは誰の死を悼んだものだったのかは忘れたけれど、確かに唄い、そして送ったのだ。
「この本を読まないと、きっと思い出せないことだった」
フィカは複雑そうな顔をして『エクレバー冒険記』の表紙を眺めていた。
「こんな、ただの印刷本の大衆小説が、ねぇ」
このフィカの呟きに、エセルは眉をちょっと吊り上げた。
「フィカさん、その言い方は、わたしあんまり好きじゃない」
珍しく怒気の篭ったエセルの声に、フィカが本から目を上げる。エセルは言葉を選びながら話した。
「わたしね、魔法図書館に刻まれている言葉が好き。全ての書物には執筆者の想いが込められている。その想いは何物にも勝る魔法の力を宿しているーー初めは意味がよくわかんなかったけど、これって、魔法書だけのことじゃないと思うの」
「どういう意味かしら?」
「あのね、本を読むとワクワクしたりドキドキしたり、胸がぎゅーって締め付けられるように悲しい気持ちになるの。登場人物と一緒になって、わたしの気持ちも動いてる……それって、物語がとても素敵だからなることでしょ? わたし、そういう想いこそが、本がもたらしてくれる魔法なんだと思うんだ。この本も同じ。たくさん作られた印刷本で、流行に乗って書かれていて、フィカさんの言う文学的価値? はないのかもしれないけど、それでも読んでいて楽しいって思える本だから、わたしにとっては魔法書と同じくらい大切にしたい本なの」
今回エセルが鎮魂歌を思い出せたのは、『エクレバー冒険記』のおかげだ。
しかし大前提として、この本が面白くなければ途中で投げ出し、結末を読むことはなかっただろう。
『エクレバー冒険記』が本当に面白かったからこそ、エセルは短期間のうちに集中して最後まで読むことができ、あの結末にたどり着くことができた。
それが本の持つ魔法ではなく、なんだというのか。
だからエセルは、フィカに自分の気持ちを届けたくて、精一杯思いの丈を口にする。
「ページを開くと、いろんな世界が広がる……わたしは本が大好きだから、フィカにも、どんな本でも愛してほしいの」
エセルの純粋な訴えはフィカの心に響いたようだった。
視線を左右に彷徨わせ、わずかに迷いながら、それでも唇を開く。
「……エセルちゃんの、言う通りだわ」
フィカは手元の『エクレバー冒険記』に視線を落とした。
「アタシったら、なんて馬鹿だったのかしら……長生きしすぎて、いつの間にか大切なことを見失っていたみたい」
フィカは赤い目を細め、本の表紙を傷つけないように指の腹で優しく撫で、深く息をついた。
「どんな本でも大切に、なんて、司書の心得の初歩の初歩なのにね。本の価値にばかり目を向けるようになって……自分で自分が嫌になっちゃう。メアリーが正しかったと証明されたわけだわ」
メアリーとは、本を直す時にエセルも世話になった『あらゆる書物の直し方』の著者メアリー・ルリユールのことだろう。フィカとメアリーは同じ宮廷司書仲間だが、ソリが合わなかったと聞いている。
どんな本でも等しく愛し、修復したいと考えていたメアリー。
本の内容に重きを置き、価値ある本だけを救いたいと考えていたフィカ。
そのフィカが今、メアリーの考えを認めた。
エセルにはその事実がたまらなく嬉しい。
フィカはエセルを見て、やんわりと微笑んだ。
「これからは魔法書だけでなく、もっと多くの本を回収して直していかないといけないわね。忙しくなるわよ」
「うん! わたし、たくさん本を直したい!」
体のだるさなんてどうだって良くなるくらい嬉しくて、エセルはめいいっぱいの笑顔でフィカの言葉に頷いた。




