滅亡の魔法都市①
翌日、エセルは魔法図書館に飛び込むと、「ノトケルさん、ノトケルさん!」と大声で読んだ。
すると『初級魔法術』の本が塔の上の方からややふらふらしながら飛んでくる。
『やあ、エセル君。そんなに慌てて、一体どうしたんだね』
ノトケルは半分寝ぼけ眼で、話し方もいつもよりハキハキしていなかった。
「あれっ、ごめんね。まだ寝てた?」
『いやなに問題ない。昨夜はオィディウス殿と少し議論が弾んでしまってね』
「ウィディさんと?」
オィディウスといえば、エセルもお世話になっている『変化の書』の著者である。
きらびやかな表紙とそれにそぐわない派手な見た目の著者は、この魔法図書館の中でもかなり目立つ魔法書だ。そんな魔法書である『変化の書』は、『初級魔法術』同様にふらふらしながら塔の上から舞い降りてきた。するすると姿を現したウィディは、ノトケル同様精彩を欠いていて、いつものきらびやかな笑顔は鳴りを潜めている。
『ノトケル殿は魔法に造詣が深いので、話しているとついつい熱中してしまうんだ』
『なんの。我輩はただ、広く浅く知識を持っているに過ぎない。専門性で言えばオウィディウス殿の足元にも及ばんよ』
目をしょぼつかせながらノトケルは言った。
どうやら魔法図書館の中で、本同士色々と交流があるようだ。
『それで、我輩に何の用かね』
「あっ。そうそう。あのね、わたし、違う方法で風魔法を使いたいなと思って」
『ふむ……違う方法、とは?』
「風に命令するんじゃなくて、風に話しかけて力になってもらいたいの。言葉としては、えーっと……風よ刃になれ、じゃなくて、風よ我の力になれ、みたいな感じで。フィカが魔法で引き出しから紙を取り出して、机まで運んだことがあったんだけど、ああいう魔法が使いたくって」
『なるほど。それは風魔法の中級術だなっ。風を意のままにコントロールする魔法だっ。すると必要なのはこの初級本ではなく、中級本となるっ』
ノトケルがついと視線を上げると、一冊の本がバサバサバサとページを羽のように羽ばたかせながら降りてきた。銀色の表紙に黒文字で『中級魔法術』と書かれている本がエセルの目線まで降りてくると、そこからスイーっと作者が姿を現した。
『お初お目にかかるっ。我輩はノトケル・バルブルズ。『中級魔法術』の作者だ』
そこには、『初級魔法術』の作者とほぼ変わらないノトケル・バルブルズの姿があった。
「えっと……ノトケルさんが二人????」
『我輩は『初級魔法術』を執筆したノトケル』
『そして我輩は『中級魔法術』を執筆したノトケルだっ。髭の色がうっすら灰色だろう?』
「半透明だから、色はちょっとわからない……」
『何っ。言われてみればたしかにそうだな』
『初級魔法術』と『中級魔法術』のノトケルは互いに互いの顔を見て、ふぅむと唸る。
全く同じ人物が並んでいる様は何だか妙な感じだった。
『まあ良いっ。して、我輩を呼んだということは、初級の内容は既にマスターしたということか?』
『いや、それは違うっ。彼女……エセル殿は、中級風魔法を覚えたいと言っていてな』
『ということはつまり、初級の風魔法をマスターしたから中級の風魔法を覚えたいということか?』
『それも違うっ』
『中級魔法術』のノトケルは首を捻る。
『エセル殿は魔力操作に長けている……が、どうも攻撃性のある魔法が苦手なようでな。ものはためしに、中級風魔法を習ってみてはと考えたのだっ』
『初級魔法術』のノトケルの説明に『中級魔法術』のノトケルはむむぅと唸った。
『初級魔法を出来ずして中級魔法ができるとは思えんが、我輩本人が言うのだ。ひとまず、やってみるとしよう』
『中級魔法術』のノトケルは自分自身に説得され、納得した。
「ありがとうっ。よろしくおねがいします!」
エセルは図書館の中で、大量の紙の束と向き合っていた。
『中級魔法術』のノトケルはそんなエセルに対して言う。
『良いかね、中級の風魔法を扱う上で重要なのは、ズバリ魔力操作、それのみだっ。一枚一枚の紙を浮かせ、動かしたい方向に動かすっ。繊細な魔力の扱いが必要なのだっ』
「わかった」
エセルは頷き、人差し指を紙の束に突きつけた。
目を閉じて深呼吸を数回繰り替えし、心を落ち着け、それからゆっくりと目を開く。
呪文を紡いだ。
「【ルーンの力を示せ。風よ、我の意志を汲み、我の意のままに動け】」
積み上がった紙が一枚浮き上がり、ヒラヒラと宙を舞う。それはまるで意志を持っているかのように優雅な動きで図書館内を一周した。
おぉ、という二人のノトケルの声がエセルの耳に届いた。
(……まだ)
エセルは集中力を切らさず、次の紙に意識を向ける。
二枚目、三枚目と続き、十枚の紙が持ち上がった。
紙はそれぞれバラバラの方向に向かって、蝶のようにヒラヒラと飛ぶ。
ゴウッとやや強めの風が吹き、紙がひとまとめになり、そのまま元の紙の束の上へと収まった。
「できた……!」
全くできなかった風魔法が、ついにエセルにも使えるようになった。
『お見事!』
『うむ、すごい才能だ!』
二人のノトケルに褒められてエセルは顔を綻ばせた。しかしキッと表情を引き締め、拳を握り締める。
「もっと何枚も、もっと遠くまで飛ばせるようにならないとっ」
『うむ!』
『この調子なら、すぐにできるようになるぞっ』
よぉし、と腕まくりをして気合いを入れたエセルは再び紙に向き合った。
今日は丸一日、風魔法の練習だ。




