あらゆる書物の直し方 メアリー・ルリユール著⑤
「でね、そのお話では、お姫様と騎士は両想いなんだけど、身分の違いから想いを告げられずにいるんだよ」
エセルは翌日、魔法図書館で『エクレバー冒険記』の修復作業をしながら、魔法書相手に昨日読んだ本の内容を語って聞かせていた。
本のちぎれや裂けを直す作業が多すぎて、肝心の糸閉じまでまだ辿り着いていない。おそらく今日も、ページの修復で一日が終わってしまうだろう。
話を聞いていたウィディが、髪留めをいじりながらふむ、と鼻を鳴らす。
『ロマンス小説だな。私が生きていた時代にはなかった本だ』
『初期のダームスドルフには自然崇拝の叙事詩が多かったので、恋愛物語はわたくしたちに馴染みがありませんね』
レインワーズ先生もそう相槌を打つ。
解除術が得意なユリスが早口でまくし立てる。
『お二人の時代はそうでしょうね。ちょうどあたしの時代から流行しだしたのよ。この手の身分差を描いた悲恋は女性を中心に爆発的な人気になってねえ。そう……それによってあたしの本が目立たず、売れなくなったってわけ!』
『ユリス殿の本はどっちにしろ、内容からして中級魔術師以上は閲覧禁止だっただろう。大衆向けの娯楽小説と張り合ってどうするのだ』
護符作りでお世話になったケレスがユリスの言葉に渋面を作る。
エセルは気がついた。
「そっか……ここにはたくさんの本があって、みんなお友達だけど、書かれている時代が違うんだね」
これに頷いたのは、現在進行形でお世話になっている『あらゆる書物の直し方』の著者メアリーだ。
『その通りですわ。レインワーズ先生の『はじめてのルーン文字』はかなり初期に出版された本で、ルーン文字を学ぶ上での必須教本でございますの。そして『変化の書』作者のオウィディウス先生はレインワーズ先生の弟子、つまり同年代に生きた方達。『生活に密着した護符の作り方』作者のケレス先生と『魔法解呪術』の作者ユリス様は実際にご友人であると伺っております。そしてわたくしは、ダームスドルフ滅亡をこの目で見届けた……ウェネーフィカ嬢と同じ時代に生きた者』
「えっ、フィカさんとお友達?」
意外な事実に、エセルはページのよれを直すためにせっせと動かしていた筆をピタリと止めた。
『友人、と呼べるかどうかはいささか微妙なところですわ。しょっちゅう言い争いになっていましたから。仕事仲間とでも形容しておきましょうか』
「ということは……メアリーさんも宮廷司書? フィカさんとはあんまり仲良くなかったの?」
メアリーは苦笑を漏らす。
『そう、わたくしもウェネーフィカ嬢同様に、ダームスドルフ最後の宮廷司書でしたの。彼女ってば、少し考えが偏っているというか、頑固というか、自分を曲げないというか……印刷本を馬鹿にしますでしょう?』
エセルは素直に頷いた。
初めてダームスドルフに行き、散乱している本に興味を示したエセルに、フィカは言った。
「わざわざ回収して修復して魔法図書館に保管する価値がないものなのよ」
軽蔑の目と共に放たれたその言葉にはまぎれもない実感がこもっていた。
フィカは印刷本に何の価値も感じていない。
メアリーは垂れ目を細め、憂いを帯びた息を吐き出す。
『わたくしにとって、本というのはすべからく愛すべき存在ですの。遥か昔に書かれた文学的価値の高いものも、時代に合わせて書かれた大衆向けの娯楽本も、それが本であるならば慈しみ、大切にすべき存在ですわ。だからこそ、わたくしは『あらゆる書物の直し方』を執筆したのです。古典的な革製本から大量生産された印刷本まで、等しく修復し、永く読めるように。でも……フィカの考えとは合わないようでしたわね。彼女は宮廷図書館に俗物的な本を置くことに反対していましたから』
「宮廷図書館にはどんな本も置いてあったの?」
『ええ。わたくしたちが仕えた王の時代より、書物収集令が敷かれましてね。出版された全ての本を宮廷図書館に集めるようお触れが出ましたの。ですが、ウェネーフィカ嬢をはじめとした一部の者たちからは反対の声も随分と上がりましたわ。由緒正しき宮廷図書館に俗めいた本を置くべきではない、ってね。宮廷図書館には正しく価値のある本、作者の魂が宿った魔法書以外には置きたくないと考える人の何と多かったことか』
「印刷本じゃなくて、原本を宮廷図書館におけばよかったんじゃないかな。そうしたら、魔法書って呼べるでしょ?」
『本を印刷する関係上、原本は印刷所もしくは作者が所持していることが多かったのです。思えば、印刷術が普及して以降、魔法書が宮廷図書館に納品されることは少なくなりましたわね。昔は皆、依頼を受けて作者が手で本を書いていましたのに。そういう事情もあって印刷本を宮廷図書館に置いていたのですけれど、理解が得られていたかどうかは微妙なところでしたわ』
エセルは手元で修復中のエクレバー冒険記に目を落とした。
確かにこれまでエセルが読んでいた魔法書と違い、紙はペラペラで薄く、文字には筆者の癖などがなく均一だ。表紙も凝った装丁ではなく極めてシンプルで、無駄を削ぎ落とした作りになっている。
「……でも、面白いし、そんなに嫌わなくたっていいと思うんだけどな……」
エセルは本の価値というのがいまいちわからない。
『変化の書』くらい宝石がたくさん使われていれば貴重な本なのだろうなということはわかるけれど、そのくらいだ。
エセルにとっては、本という存在自体が奇跡的なものだった。
文字を持たないエルフ族のエセルには、たくさんの情報が書き連ねてある本はこの上もなく尊いものだ。魔法図書館で過ごすうちに、エセルはすっかり本の虜になっていた。
「わたしは、メアリーさんの意見に賛成だよ」
『まぁ、それは嬉しい言葉ですわ』
メアリーはにっこり微笑んだ。満足したエセルは止めていた手を再び動かし、せっせとエクレバー冒険記の修復作業に勤しむ。
「あのね、メアリーさんにひとつ相談があるんだけど」
『何かしら?』
「魔法書じゃない本を読むと、どこまで読んだかわかんなくなっちゃうんだけど、どうにかならないかなぁ?」
『エクレバー冒険記』も『琥珀の姫と棘の騎士』も、どちらも結構長めの本なので、寝る前の読書時間だけでは一日二日では読み切れるものではない。何日もかけて読むことになるけれど、いちいち「あれ、どこまで読んだっけ?」と考えるところから始めるのが少しわずらわしかった。早く読み進めたいのに余計なところで足止めを食らってしまっている状態だ。
エセルが唇を尖らせて訴えると、『それなら、うってつけの方法がありますわ』とメアリーが言う。
「えっ、どんな方法?」
『栞を挟めば良いのです』
「……しおり?」
聞いたことのない単語にエセルは首を傾げた。
「えっと、それは……どんな魔導具なの?」
『魔導具ではありませんのよ。簡単に申し上げますと、読んだ箇所に挟んでおく目印のようなものですわ。何なら紙切れでもかまいませんの。何か挟まっていれば、そこまで読んだことがわかりますので』
「あ、そっか!」
確かに、目印があればどこまで読んだかがすぐにわかる。
『ただの紙では味気ないので、ダームスドルフではさまざまな栞が作られ売られていましたのよ。レース模様、透かし彫り、ステンドグラス風……手作りでは押し花が人気でしたわ』
「おしばな?」
『花を押して乾燥させたものですわ。そうすると花を美しいままに保存できますの』
「へぇ、素敵!」
『エセルさんも是非、お時間があるときに作ってくださいませ』
たおやかに微笑むメアリーに、エセルは目を輝かせて「うん!」と答えた。




