あらゆる書物の直し方 メアリー・ルリユール著③
幾日か経った日のこと、朝食の席でフィカがこう尋ねてきた。
「ねえ、エセルちゃん。今日またダームスドルフに行こうと思うんだけど、一緒に来る?」
「うん、行く。行きたい」
エセルは一も二もなく返事する。
あの時の経験は、正直楽しいものではなかった。怖くはなかったけれど、悲しい、という表現がぴったりだろう。
荒廃した都市とそこに未だ縛り付けられている霊たちが、ただひたすらエセルには悲しいものに感じた。
それでも、あそこはフィカの故郷で魔法書たちが生まれた場所だ。
なら、魔法図書館でお世話になっているエセルはダームスドルフに行かなければいけないのだと、そんな使命感に似た気持ちがあった。
エセルの決意を感じ取ったのか、フィカは赤い唇を持ち上げる。
「そう。じゃ、支度ができたら行くわよ」
荒れ果てた都市の中に、衝突音が響き渡る。
「エセルちゃん、そっちに行ったわ!」
「うんっ。【ルーンの力を示せ。炎よ爆ぜろ、悪しき者から我が身を守れ】!」
『アアあぁァぁアアああっ!』
エセルの掌から出た炎に焼かれ、霊が退散していく。その様子をエセルはなるべく見ないようにした。歯を食いしばり、眉根をギュッと寄せ、視界から無理やり引き剥がして目を背ける。
そうして逸らした視線の先には、また別の霊が押し寄せてきているのが見える。
「…………っ。【ルーンの力を示せ。炎よ爆ぜろ、悪しき者から我が身を守れ】!」
呪文を唱える度にエセルの心が痛む。
苦悶の声を上げる霊に、申し訳なさが込み上げてくる。
前方ではフィカがもっと高度な呪文を駆使して群がり襲いくる霊をまとめて焼き払っていた。
霊は、単純な火魔法では倒すことができないとフィカは言っていた。
だからエセルが行っているのは単なる牽制だ。光を嫌う霊を炎で退けているだけだ。
肉体を持たない霊であっても、ルーン魔法の炎はある程度効くらしく、痛みに呻き声を上げる。
それがエセルの心に深く刺さり、傷となって瘤になる。
それでもエセルはこの場所に再びくることに決めた。
フィカのことを、知りたいから。
フィカが住んでいた場所を、もっとよく見たいから。
魔法書の生まれた都市を、体感したいから。
書物から得た知識以上に、体験することは己の糧になる。
自分の目で見て、耳で聞いて、肌で触れることで初めて、「経験」として自分の中に根付くのだということを、エセルは薄々勘づいていた。
それでも、なんの罪もない、都市のかつての住人たちを炎で焼くのはやっぱり心が痛い。
前回同様、どうにかこうにか宮廷図書館にたどりついたエセルとフィカ。
「ここまで来れば一安心ね」
フィカは額に伝う汗を拭っていた。
「さ、魔法書探しをしないとね」
「あのー、フィカさん。魔法書って、移動できるから、もしかしたら図書館以外の場所にも隠れてるんじゃ?」
フィカの服の裾をクイクイひっぱり、そんな疑問を発する。フィカは神妙な顔をした。
「よく気づいたわね、その通りよ」
「なら、他の場所も探した方がいいんじゃないかな」
「そうなのだけれどねぇ。ご覧の通りに壊れてるし、ひどい状態でしょう? 深く探索するのは危険だし、結局のところ図書館内が一番魔法書が止まっている可能性が高いのよねぇ。窓から空に飛んでいった魔法書は都市のどこにいったかわからないし……」
フィカは顎に人差し指をあて、苦悶の表情を作る。
エセルは気がついた。三百年、滅んだ故郷でひたすら魔法書を探しているのだから、エセルが思いつくことなんてとっくにフィカも考えたに決まっている。
(そっか……フィカさんは、わたしにダームスドルフを案内してくれてるんだ)
魔法書探しというのは建前で、きっとエセルが「来たい」と言ったから連れてきてくれたに過ぎないのだ。
そう思った瞬間、エセルはフィカの優しさに感謝の気持ちが湧き上がってきた。
「フィカさん、ありがとう」
「? お礼を言われるようなことはしていないわ。アタシが来たくて来ているだけなんだから」
「それでも、ありがとう」
エセルははにかみながらお礼を言う。フィカは根本が優しい。エセルを拾って一緒に暮らしてくれているし、こうして魔法都市にも連れてきてくれた。
「魔法書、探すね」
「ええ、よろしく」
もしかしたら一冊くらい、フィカが見落とした魔法書が隠れているかもしれない。
そう考えたエセルは、しゃがみ込んで魔法書探しを始めた。
結局のところ魔法書探しは前回同様なんの成果もあげられなかった。
エセルは落ち込んだが、それでも個人的な収穫はあった。
またしても、打ち捨てられていた印刷本を拾ってこっそりとケープの内側に入れていたのだ。
「エセルちゃん、そろそろ帰るわよ」
「うんっ」
ケープの内側にしまった本がずれ落ちないように気をつけながら、エセルはフィカの後について日が傾きかけたダームスドルフを後にした。




