あらゆる書物の直し方 メアリー・ルリユール著①
「というわけで、本を修復したいの」
翌日、魔法図書館に出向いたエセルは早速壊れた本を机の上に置き、集まった魔法書たちに経緯を説明した。
『ふむ、なるほど……たしかに随分と傷んでいるな』
『この本、なんだか安っぽくないか?』
『表紙、本文、糸……確かに全て粗悪品とまではいかないが、良い素材ではない』
『我々とはモノが違うな』
『このような安物を使うから壊れてしまうのだ』
散々な言われようだ。
「本の直し方を書いた本って、あるのかな?」
『勿論です』
柔らかな声がした。決して大きな声ではないけれど、不思議とよく通る声だった、魔法書たちがぱかっと二列に分かれ、道を開けると、ふわふわと一冊の魔法書がエセルの前へと現れた。
真っ青な表紙に黒いインクで『あらゆる書物の直し方―魔法書から印刷本まで―』と書かれている。異常に分厚い本だった。
本が机の上にパタンと横たわるとそこから著者の姿が浮かび上がった。
ふわっとしたスカートが床まで届くドレスローブに、細かな装飾を施した三角帽子を被っていて、帽子からはヴェールが垂れていた。
長いまつ毛と垂れ目が印象的なその女性は、厳かに言う。
『はじめまして。わたくし、メアリー・ルリユールと申す者ですの』
「はじめまして。わたしはエセルです」
上品な言葉と丁寧な仕草で挨拶をされ、エセルもたどたどしく自己紹介をした。
メアリーは垂れ目をにこりとさせて微笑む。
『本を直したい。とても殊勝な心がけだわ。印刷本は普及しはじめてからというもの、皆、本を消耗品か何かの様に扱う様になって嘆かわしい限りだったの。さあ、わたくしと一緒に本のお直しをいたしましょう。直したい本はこちらね?』
「はい」
エセルが頷くと、メアリーは自著ごと少し移動をし、ばらばらになっている本を眺める。
『まあ、随分と傷んでしまっていること』
「ごめんなさい、わたしの扱いが乱暴だったのかも」
『いいえ、これは寿命よ』
「直せる?」
『勿論』
メアリーは自信たっぷりに言う。
『ですが直すには、それなりの道具が必要になりますわ。ついておいでませ』
メアリーは本ごと飛び上がると、ふよふよと飛び、魔法図書館の奥へと向かう。
いくつかの本棚を通り過ぎ、フィカの師匠であるリリーが閉じ込められている本棚よりも手前で右に折れると、壁際へと進む。
そこには一脚の椅子と、どっしりとした机、そして机の両脇には棚が置かれていた。棚の中には束ねられた紙や紐、それにエセルが見たことのない道具類がきちんと整頓されて詰め込まれている。
「ここは?」
『ウェネーフィカ嬢の書物の修復場所ですわ。書物の修復に必要な道具は全てこちらに揃っておりますの』
「勝手に使って、怒られないかなぁ」
ましてエセルが今回直そうとしているのは、フィカ曰く「価値のない本」だ。バレたら色々と怒られそうな気がする。
しかしこのエセルの懸念に、メアリーはおっとりとした笑みを浮かべる。
『大丈夫ですわ。最近では魔法書を発掘できないのか、ウェネーフィカ嬢がここを使っているところはあまり見ないので』
「えっと……つまり?」
『つまり、勝手に使ってもバレないということですわ』
バレなければ使っても構わない。
そんな強引な言葉が、こんな見るからにたおやかそうな女の人の口から出るとは思っていなかった。エセルは思わず目を瞬かせ、メアリーを凝視した。
メアリーは全く動じるそぶりを見せない。
『さ、早くこのかわいそうな本を助けてあげましょう。第十七章。印刷本の修復方法。特に、糸の替え方について』
千ページはあろうかという本の表紙が持ち上がり、パラパラとめくれていく。十七章が開き、メアリーがスラスラと内容を読み上げていく。
『必要なもの。まずは道具。ナイフ、ハサミ、作業用板、羽根ペン、インク、定規、糊、糊を入れるための容器、刷毛、筆、手拭き用の布に圧着用のこすり布、ヘラ、目打ちに針、蜜蝋。次に材料。背表紙用の板紙、見返し用の紙、背紙、魔法糸の……そうね、この本でしたら十五番が良いですわ』
「えぇっと……?」
凄まじい勢いで必要な道具と材料を述べられ、エセルは混乱した。道具の名称からして不明なものも多いし、どこに何がしまってあるのかわからない。
「一つずつ用意するから、ゆっくりお願いします!」
メアリーに手伝ってもらいながら、必要なものを引っ張り出して机の上へと置いた。
奥行きも幅もある広い机の上が、本を修復するための道具と材料でいっぱいになる。
「こ、こんなにいろんなものが必要なんだね」
『破れた表紙を直すとか、傷んだ表紙を修正するくらいならばもっと少ないのですけれど、今回は豪快にページが破れてしまっておりますからね。必要なものも多くなるのですわ。……まず初めに、作業用板を敷いて、カッターで背表紙を切ってしまいましょう』
「えぇっ!? 切っちゃうの?」
『だってボロボロで使い物になりませんもの。ここまで破損している場合、切って、新たに作り直した方が良いですわ』
エセルはメアリーの助言に従い、右手にナイフを持った。
背表紙は全体的にボロボロで、今はかろうじて本の表紙にくっついている様な状態だった。
これから本を直そうとしているのに、直すためにはまず壊さないといけないなんて。なんだか悪いことをするみたいで緊張する。
それでもこれは、必要な工程なのだ。
『なんだか緊張しているようですが……大丈夫ですの?』
「う、うんっ」
エセルが震える手でナイフを入れれば、背表紙はすぐにぽろりと外れる。
『糊付けを美しくするために、切り端を整えておきましょう』
「わかった」
エセルは言われた通り、ボロボロになっていた切り端をナイフで削ぎ落として綺麗にした。
「ふぅーっ」
額に浮かんだ汗を拭う。まだまだ作業を始めたばかりなのに、もう一仕事終えた気分だった。
『さて、次は……本文が傷んでいたり、糸がかり用の穴が広がっている場合、直すのだけれど、そこまでいたします?』
「うん」
エセルは間髪入れずに肯定した。
『エクレバー冒険記』は魔法図書館にある魔法書に比べると痛みがひどく、ページがバラバラになった以外にもページの端が破れたりちぎれたりしていた。中にはページが真っ二つになる勢いで裂けている箇所もあった。幸い読むのに支障はなかったのだが、こうしたページを見つける度に胸がキュッと痛んでいたので、直せるならば直したい。
『時間がかかりますけれど、よろしくて?』
「うん。どれだけ時間が掛かってもいいから、自分の手で直したいの。……わたし、この本、好きだから」




