変化の書②
図書館の前にはローラスがいた。
相変わらず全身の九割が樹木の状態で、幹の半ばに人間の顔が埋め込まれていた。目を閉じていたが、エセルに気がつくとニコリと微笑みかけてくれる。
「おはようございます、エセルさん」
「おはよう、ローラスさん」
「最近はいい気候ですね。今年は木々の実りが豊富で、リスや小鳥たちの冬支度もはかどりそうです」
「ローラスさんの足元の地面も、掘り返されてるね」
「ええ。木の実を埋めているのでしょう。ふふ……こうして小さい命が懸命に生きている姿を見るのは、いつもながらに微笑ましいです」
「ローラスさん、動けなくなっちゃうねえ」
「木というのは元来動かないものなので、動けないならそれはそれで木としての役割を全うします」
さすがは長寿を誇るドライアド。考え方が超越している。
「私が動けなくなると、魔法図書館の管理が気がかりだったのですが……エセルさんがきてくださったのでフィカに小言を言われる心配もなくなりました」
「うん、わたし、図書館のお仕事するから。ローラスさんも安心して木になって過ごしてね」
「頼もしい限りです」
「じゃあ、行ってくるね!」
「はい。ほどほどにしてくださいね」
「うん!」
エセルは箒を図書館前に立てかけて、中へと入っていった。
魔法図書館に入ってまずエセルを出迎えてくれたのは、エキナリウスのマールだ。丸々太った体を懸命に動かし、エセルの靴のつま先に飛びついてきた。以前はジャンプすればスカートの裾くらいまで飛び上がれたのだが、夏の間に本喰い虫をたらふく食べて太りすぎた今はこれがやっとだった。エセルはしゃがみこんでマールを掌に乗せる。
「マール! ちゃんと帰ってきてたんだね、えらいえらい」
「チチィ!」
「ロフとロネに攻撃された時はどうしようと思ったけど……あのおうちには近づかない方がいいね」
「チチィ」
昨夜のことを思い出したのか、マールは背中の針をぶわっと逆立たせた。
マールを手に乗せたまま魔法図書館の中に入っていけば、魔法書たちのお出迎えだ。
ばさりばさりと本棚から舞い降りた本たちが、エセルの周囲に集まってくる。
『お待ちしていましたわよ、エセル』
『今日は何から学ぶ?』
『もしくは、息抜きにちょっとばかり娯楽小説を読むという手もあるが?』
『今日はわたくしの番のはずよ』
『あなたは四日前にエセルに読んでもらっていたじゃないの』
本から姿を表した半透明の作者たちが、エセルに読んでもらおうとこぞって言い合いを始めた。
エセルはその様子を苦笑いしながら見て、言う。
「今日は、変化の魔法の練習をしようかな」
『その言葉を待っていたよ!!!』
他の本を押し退けて、一際大きな本がエセルの前にやってくる。金箔と宝石とで彩られた絢爛豪華な本から姿を表したのは、これまた豪華な衣装に身を包んだ青年。
『この私、オウィディウス・リドゲイトがエセル殿に完璧な変化の魔法を教えてしんぜよう!』
身振り手振りも大袈裟な、通称ウィディだった。
エセルが人間族と接触するためには、変化の魔法を覚えるのが必須だ。
でもエセルはまだ、自分の体を変化させるまでには至っていない。だから変化の魔法を覚えるのが最優先だと考えていた。
エセルはマールを机の上に放してやり、ウィディに向かってペコリと頭を下げる。
「よろしくお願いします、ウィディさん」
『任せておきたまえ。私にかかれば、すぐに変化の魔法を習得できるはずさ!』
ウィディは胸に手を当てて自信満々に言い切り、そしてスッとテーブルの上にいるマールに指を向ける。
『大変優秀な生徒であるエセル殿はすでに無機物を変化させる術を身につけている。次は有機物だ。ちょうどそこにいるエキナリウスで試すのが良いだろう』
「えぇっ!?」
「チィ!?」
エセルも、急に矛先を向けられたマールもびっくりした。
「ウィディ先生、わたしまだ、マグカップをティーカップに変えるくらいしかできないけど……!」
『マグカップをティーカップに変えられれば、もうあとは話が早いのだよ。エセル殿は変化の魔法における基礎の理論を完璧に理解しているからね』
「えぇ……?」
『それに今回、エセル殿が変化させたいのは、自分の体でもごく一部の部分。尖っている耳を丸くするだけなら、そんなに難しくはない。手始めにエキナリウスの針を丸くする練習をしよう。理想的な練習台だ』
エセルはマールをじっと見た。魔法生物であるマールは賢い。言葉を完璧に理解している。
だからこそ「練習台」と言われたマールは怯え、机の上でバサァッと毛を針の様にトゲトゲにしてウィディを威嚇していた。
対するウィディは余裕の表情である。金糸銀糸を編み込み、宝石で留めた三つ編みをいじっていてマールを歯牙にもかけていない。
「さ、エセル殿。やってみて。方法は無機物と変わらないので」
「うぅ……わかりました。マール。絶対絶対成功させるから。わたしを信じて」
「チチィ」
マールは葛藤しているようだったが、最後には極々小さく頷いてくれた。友情が、何をされるかわからない恐怖を上回ったのだろう。期待に応えなければいけない。
エセルはすーはーと大きく深呼吸をして気持ちを整え、それから両手をマールに向けた。




