変化の書 オウィディウス・リドゲイト著①
「わああああ!」
どさっという音と背中に走った痛みとで、エセルは目を覚ました。
しばらく何が起こったのかわからず、目をぱちくりとさせる。
視界に映るのは、どこまでも続く青空と一筋の雲、それに緑色のドラゴンと少年エクレバーの姿……ではなく、見慣れた気張りの天井と、見事なステンドグラスで出来た照明。カーテンの隙間から差し込む朝の光。
夢と現の間を行き来する。
仰向けで床の上に寝そべっていると、扉が勢いよく叩かれた。
「エセルさま、大丈夫です!?」
「ものすごい音がしたのです!」
ここでようやくエセルはがばりと起き上がった。
「あ、うん、大丈夫。ベッドから落っこちちゃっただけ!」
「ベッドから落ちたです!?」
「大変です、怪我がないか見ないとです!」
「大丈夫!」
エセルはとにかく本を隠さなくてはとクローゼットを開けて奥へ突っ込み、それから扉を開けた。
ロフとロネが弾丸の様に室内に飛び込んできて、エセルの周囲をぐるぐる回った。
「頭は打ってないですか?」
「背中は? 腰は? 足はどうなのです?」
「わたし、どこも痛くないよ!」
部屋の中は大騒ぎだ。そんな風にしていると、あくび混じりのフィカがやってくる。
「ふわ……どうしたのよ、朝からうるさいわねえ」
「フィカさま! おはようです」
「エセルさまがベッドから落ちたのです!」
「あら、それは大変。痛むところはないかしら」
「うん。ちょっと寝相が悪かっただけ」
フィカはエセルをジロジロと見て、頭を触ったりまぶたを引っ張って眼球を見たり、全身の様子を確かめた。
「……ひとまず大丈夫そうね。ベッドから落ちるなんて珍しい。昨日のダームスドルフでの出来事がショックだったのかしら……気分を落ち着ける薬湯を煎じてくるわ」
「あの……そこまでしてもらわなくても大丈夫だよ」
「いいえ。かわいいエセルちゃんに何かあったら大変だもの。お前たちは朝食の準備に戻りなさい。今朝は食べやすい、消化にいいものにするのよ」
「はいです」
「わかりましたなのです」
「エセルちゃん、具合が悪くなったとか、何かあったらすぐにロフかロネを呼ぶのよ」
「うん」
コクリと頷いたを見て満足したのか、ぞろぞろと立ち去っていく。
エセルは胸を撫で下ろした。
まさか、竜から落ちた夢を見たなんて口が裂けても言えない。フィカに黙ってこっそり本を持ち帰ったという罪悪感もあるが、夢のせいでベッドから落ちたなんて白状するのは恥ずかしすぎる。
「と、とりあえず着替えよう」
エセルはクローゼットを開け、四つん這いになって本をもう一度慎重に奥へ奥へとしまい込むと、今日の着替えを取り出して着替えに取り掛かった。
今日の朝食はオートミールのお粥だった。たっぷりとミルクを吸って膨らんだオーツ麦の優しい甘さがお腹にほっと染み渡る。煮込んだりんごが上に載っていて、一緒に食べるとまた美味しい。
スプーンですくってパクパク食べる。
食後にフィカがマグカップを差し出してきた。
「はい。これ飲んでね」
湯気がホコホコと立ち上るカップを受け取り、中身をそっと覗いてみた。
薄黄色の液体が渦を巻いている。酸っぱい匂いがした。
「こ、これ……」
「気分を落ち着ける薬湯。飲みやすい様にレモンバームとハッカが入ってるわ」
「あ、そうなんだぁ」
ものすごく酸っぱい匂いがして、嗅いでいるだけで唾液が出てくる。エセルは息を止め、ぐっと一息に飲み干した。
レモンを丸かじりしたような酸っぱさだった。後味にハッカのスーッとした感じがくる。
エセルはカップをずいとフィカに突き返す。
「次からは、ハチミツいれてぇ」
「そうしたいところだけれど、蜂蜜を入れると効果が薄れちゃうのよねぇ。口直しにりんご煮込みでもおかわりしたら?」
「そうする」
ロネが直ちにりんご煮込みのおかわりをくれた。食べたら口の中が落ち着いた。同時に、朝からなんとなく浮き足立っていた気分も落ち着いたので、やっぱりフィカの薬湯は効果がとてもあるのだろう。
「さて、エセルちゃん。アタシはしばらくの間、薬を煎じないといけないからダームスドルフには行けないわ」
「じゃあ、わたしは魔法図書館にいるね」
「そうしてちょうだいな」
「支度したら、行ってくるっ」
「ええ。ローラスによろしく。お茶会の時間にはそっちに顔を出すから」
「うん」
エセルは椅子から飛び降りて、素早く身支度を整えた。
歯を磨いて顔を洗って髪を梳かし、ベレー帽を手に取って鏡の前で被った。
「行ってきます」と行ってフィカの家を飛び出す。
家の外に立てかけてあった箒を手に取り、浮遊魔法の練習がてら図書館まで飛んでいく。
もう道は覚えたけれど、歩いていくのと飛んでいくのとでは勝手が違う。
高く飛びすぎると木々の枝にひっかかってしまうし、地面に近すぎると靴のかかとを引きずってしまう。絶妙な高度を維持しつつエセルは魔法図書館までの道のりを飛んでいった




