はじめての魔法都市②
フィカはエセルが回復するのを待ってくれた。
その間エセルは、特にすることもないので周囲の観察をする。
ダームスドルフはどうやら平野に建っている都市らしい。巨大な建造物の入り口が口をポッカリと開けている。両脇にはこじ開けられた扉が打ち捨てられていた。扉にはルーン文字が刻まれていた。
「【我らの栄光ある魔法都市ダームスドルフは永遠なり。友には歓迎を。敵には裁きを】。魔法?」
「そ。侵入者避けの魔法よ。扉が閉まっているうちは、何人たりとも侵入できないわ」
「でも……滅されちゃった?」
「扉を閉める隙がなかったのよ。友として入ってきたからね」
「友達だと思ってた人に裏切られちゃったの?」
「まぁ、簡単に言うとそういうことね。さ、足は治ったかしら? そろそろ中に入ろうじゃないの」
「うん」
平野にペタンと座り込んでいたエセルは立ち上がった。まだ若干ふわふわした感じが残っているものの、しっかりと立てる。
「じゃあ、エセルちゃん。中に入る前に注意事項があるわ」
「うん」
「まず一つ目。都市の中はボロボロだから、足元に瓦礫が落ちていたり、道が塞がれていたりして進みくいの。しっかりと自分の進む道を見て、気をつけて歩きなさい」
「わかった」
「二つ目。ご覧の通り、ダームスドルフは都市自体が一つの巨大な建造物よ。窓がたくさんあるから日の光は十分届くけれど、壊れちゃってるから一部暗いところもある。そういう時は光の魔法を使うのよ。光の魔法の呪文は?」
「【我、命ず。指先に光を灯せ】」
エセルが呪文を唱えると、左手の人差し指にポウと光が灯った。フィカが満足そうな顔をする。
「上出来。さて、三つ目。これが一番重要なんだけど」
一旦言葉を切ったフィカは、エセルを真っ直ぐに見た。とても真剣な表情だった。フィカの赤い瞳に、緊張したエセルの顔が映っている。
「都市の中にはね、悪霊が潜んでいるの。燃やして土に還すか、照らして追っ払うかしかないから、見つけたら慌てず焦らずアタシに教えてちょうだい」
「!?」
「じゃ、行くわよ」
一番大事で危険な情報をサラリと伝えたフィカは、真紅のドレスローブの裾を翻し、さっさと都市の中に入って行こうとする。エセルは慌てて後を追いかけた。
「ちょ、ちょっと待ってぇっ」
「箒はその辺に立てかけておきなさい」
「あ、うん。……ねえ、悪霊? って危なくないの?」
「命あるものを見かけたら見境なく襲いかかってくるから危ないわよ」
「えっ」
「だから燃やすか照らすかすんのよ。エセルちゃんは絶対にアタシから離れないようにね。都市の中は崩落のせいで複雑極まりないから、はぐれたら帰れなくなるわよ」
エセルは慌ててフィカの元に駆け寄ると、長く垂れ下がっているローブの裾をキュッと握った。
恐る恐る周囲を見回す。
今にもどこかから悪霊が襲ってくるのではないかと思うと気が気じゃない。
おっかなびっくり進むエセルと堂々と進むフィカの姿は大層対照的だった。
入り口を通ると、中は広い空間が広がっていた。
床には埃が積もっているけれど、フィカが出入りをしているおかげか、埃も瓦礫も薄い箇所がある。まるで森の草葉をかき分けてできる獣道のように、ごく自然に出来上がった薄い道。フィカはその道を辿っていく。
天井が高くて彫像がたくさんある。
けれど、彫像のほとんどはボッキリと折れていたり、土台から引き倒されたりしていた。
近くに見えるのはユニコーン。首を高く上げ、額から生えている角を高々と掲げている様子は気高く、エセルがメイホウの森で友達になったユニコーンを思い起こさせる。
だから余計に、横倒しにされ打ち捨てられている姿は見ていて切なくなった。
エセルは壊れたユニコーンの彫像から目を逸らし、キョロキョロする。
高い天井はドーム状になっていて、真ん中はポッカリと空いていたので光がさんさんと差し込んでいる。前はガラスがはまっていたのだろうけれど、ほぼ割れて、粉々になって床に散乱していた。
ガラスが光を反射して、建物の中は不思議な光に満たされていた。中には虹色に光っているものもあり、綺麗だなとエセルは思う。
「こっちの廊下を通るわよ」
「うん」
建物内にフィカとエセルの声が妙に反響した。
廊下というのも、エセルが手を繋いで横並びになって十人は通れるほどに広い。
フィカの言う通りに縦長の窓が一定の間隔で並んでいるのでちっとも暗くない。おまけにその窓も凝った装飾が施されていて、窓枠は木と蔦と葉で表現されている。
エセルは悪霊に見つからないように、声を落としてフィカに問いかけた。
「ねえ、フィカ。すごいね。人間族って、みんなこんなにすごい街に住んでるの?」
「そんなわけないでしょ。魔法技術を駆使して造られたダームスドルフは、世界でも唯一無二の特別な都市よ。他の街なんて、大陸一とかほざいてる帝国の都だって、ダームスドルフに比べたらあばら家同然よ」
「へぇぇ……」
エセルはフィカの言葉にすっかり感心して、改めて感嘆の息を漏らした。
「ダームスドルフ、すごい場所なんだね」
「そうよ。世界で一番すごい都市よ」
フィカは誇らしげな顔をしている。本当にこの都市が好きなのだろう。
だからこそ、直後に見せた寂しげな表情が余計に胸に刺さる。
エセルはドレスローブを持つ手にキュッと力を込め、明るい声を出した。
「ねえ、フィカ。どこに向かってるの?」
「宮廷図書館跡よ。あそこが一番、本が残っている可能性が高いから」
そこはフィカが働いていた場所だ。
フィカは、エセルが多重封印を解いて『魔法都市ダームスドルフの繁栄と滅亡』を読んだことを知らない。
「バレたらきっとあの子は鬼のように怒るでしょうから、あたしを再封印してちょうだい」と他でもないリリーが言い出したので、仕方なく本棚は再度封印を施すことになった。
『封印術の極意』という魔法書を読んだエセルが封印を施したのだが、封印は封印解除よりも難しくて、エセルの今の力だと二重封印が精一杯だった。
幸いにしてフィカにはまだバレていない。フィカが図書館に来るたびにエセルはドキドキするのだけれど、フィカは封印がかけられている本棚にはあまり近づかないようにしているようだった。師匠のことを思い出して辛いのかもしれない。
そんなわけでエセルは、うっかり口が滑らないように必死だった。
エセルはあくまでも、ダームスドルフがフィカの故郷であるということを知っているだけ、という態度を取らなければならないのだ。
「宮廷図書館ってどんな場所なの? 魔法図書館よりも広い?」
「そりゃ、比べものになんないわ。なんてったって蔵書数が魔法図書館の十倍近くあったのだもの」
「十倍も! 早く見てみたいなぁ」
「まあ、行くまでに悪霊がわんさか出てくるんだけれど」
フィカは突如立ち止まった。
エセルがそっとフィカの体越しに前を見てみると、一本の道が伸びている。
道は、両脇に窓がたくさんあるにもかかわらず、のっぺりとした闇が渦巻いていて不自然な様子だった。
きぃぃんと高い音がする。風の音のようでもあるけれど、エゼルの高精度な耳はこの音の正体を正確に捉えていた。
泣き声。
女の人のすすり泣く声だ。




