はじめての魔法都市
ふわりふわり。
二本の箒が冴え渡る秋の空を飛ぶ。
夏は駆け足で過ぎ去り、涼やかな風と共に秋の女神がやってきた。
暑かった日々が嘘のようで、今は心地よい気温で思わず外に出たくなってしまう。
厚く高く積み重なった綿飴のような夏の雲はどこかへと飛んでいき、今はちぎれ雲がところどころ青空に浮かんでいるのみだった。
箒には乗り手がいた。
一人はウェーブのきつい黒髪に大きな三角帽子を被り、真紅のドレスローブを身に纏っていて、危なげのない飛行をしている。
もう一人は絹のような金髪の上に水色のベレー帽を被り、同色のケープとワンピースを着用している。短い靴下にはレースとフリルがあしらわれており、履いている靴はチョコレート色だった。こちらは上下にぐらぐらとしていて、安定しない飛び方だ。
金髪の少女は情けない声を出す。
「フィカさん、ちょ、ちょっと待ってっ」
「待たないわー」
「飛ぶの、高くないっ?」
「ぜーんぜん。これでもいつもより低いわよ」
「これでぇ!?」
既にメイホウの森の木のてっぺんよりも高く飛んでいるのに、低いとは。
「フィカさん、いつもどのくらい高く飛んでるのっ?」
「そうねぇ……」
前方を飛ぶフィカは、秋風に髪を揺らしながら少し顎を逸らせた。
「太陽に届くくらい、かしら」
「えぇっ?」
その答えがエセルをからかっているのか、それとも本気なのかはわからない。
エセルからはフィカの背中しか見えない。けどエセルの耳に届く声は、なんだか楽しそうだなということはわかった。
「チチィ……」
エセルのベレー帽の中から、ハリネズミに似た魔法生物、エキナリウスが顔を出す。一際丸く太っているのでマールとエセルによって名付けられたこの子はエセルによく懐いていて、なぜか本喰い虫が出なくなった後も森に帰らず図書館に住み着き、エセルの行くところについてくるようになった。
かわいいし、世話も楽なのでエセルもマールの好きなようにさせているのだが、流石にこの飛行の旅に連れ出すのは可哀想だったかなと思う。大人しく図書館で待つように説得すればよかった。
現在エセルとフィカは魔法都市ダームスドルフの跡地に向かっている。
フィカの故郷にして、滅亡した古代の街だ。
エセルは魔法図書館内の本たちに「利用者を増やす」と誓ったけれど、そのためにはまず変化の魔法を覚える必要があった。エセルは筋がいいと「変化の書」作者のウィディに誉められたが、それでもまだ、ティーカップをマグカップに変えるくらいのことしかできない。有機物の変化は無機物を変化させるのに比べると難しいという話だし、自分の尖った耳を丸くするにはもう少し時間がかかりそうだった。
その他の魔法も現在、魔法書たちに教えてもらいながら習っている最中だった。
コツコツと地道に魔法を覚えていくのは性に合っていると感じたし、エセルは夢中で勉強をしている。
そんなある日、エセルは思い切ってフィカにこう言った。
「フィカさんの故郷に行ってみたい」と。
これはちょっと前から思っていたことで、エセルは魔法都市ダームスドルフに強い興味を抱いていた。
魔法都市ダームスドルフがフィカにとって辛い思い出のある地だということは知っている。
『魔法都市ダームスドルフの繁栄と滅亡』という本の著者にしてフィカの師匠でもあるリリー・ハンロットから聞いた。
もしかしたらフィカは、もう二度とその場所に足を踏み入れたくないのかもしれない……思い出したくないのかもしれないと、迷った時期もあった。
しかしエセルの葛藤は、魔法図書館の管理人であるドライアドのローラスの一言によってあっさりと破られた。
「フィカは三日に一度はダームスドルフに行っていますよ」
曰く、まだ未回収の魔法書が見つかるかもしれないと、フィカはせっせとダームスドルフに行っては魔法書を掘り起こす作業をしているらしいのだ。
だからエセルは遠慮なく、フィカに面と向かってお願いをした。
「フィカさんがどんなところで暮らしていたのか気になるし、魔法書が作られた場所を見てみたい!」と。
そう訴えたところ、フィカは眉間に皺を寄せ「エセルちゃんの足で歩いたら、時間がかかりすぎちゃうから無理よ」と素気無く却下された。
しかしそこで諦めるようなエセルではない。
『優雅な空の飛び手になるには』という本を熟読したエゼルは、箒を使った飛行魔法を習得した。
図書館の前で箒にまたがり、その場でくるくるとフィカの周りを飛び回りながら「ほら! こんなに早く飛べるようになったんだよ! だから魔法都市に連れて行って! ね!」と訴えたところ、根負けしたフィカが「わかったわよ」と言ってくれたのだ。
かくしてエセルは今現在、メイホウの森から魔法都市ダームスドルフに向かっているところだった。
風が耳元をびゅうびゅうと吹き抜ける。
練習では木よりも高く飛んだことはなかった。
吹く風はこんなにも強くなかったし、視界もここまで開けていなかった。
数十メートル高く飛ぶだけで視界も体感気温も一辺し、エセルは両手でぎゅっと箒を握りしめ、バランスを取りながら必死でフィカの後を追う。
行きたいと言い出したのはエセルなのだから、あまり弱音を吐いてばかりもいられない。
「エセルちゃん、下をご覧なさい。見えたわよ」
「へ? ……わあっ!」
これまで下を見るのが怖くてフィカの背中ばかりを見ていたエセルが恐る恐る視線を動かすと、そこには確かに、巨大な建物が見えた。
メイホウの森の高い木々さえ追い越すようなそれは、白い大理石で出来ているようだった。
建物は縦にも横にも魔法図書館よりももっと大きく、存在感を放っている。
こんなに近づくまで気が付かなかったのが嘘のようだった。
「着陸するわ。見失わないようにしっかりついてらっしゃい」
「うん!」
フィカの高度が徐々に下がっていく。緩やかで滑らかで、『優雅な空の飛び手になるには』の作者がお手本で見せてくれたものと同じ、理想的な下降だった。
一方のエセルはそんなに綺麗な下降ができない。
急にガクッと下がり、止まり、またガクッと下がるを繰り返していた。
スマートじゃないし、下がる、止まるを繰り返すたびにお尻が箒の柄にぶつかって痛い。
マールも恐怖を感じるらしく「チィッ! ヂィッ!」としきりに鳴いている。
そんな風にしてどうにかこうにか下降を終え、エセルはしばらくぶりに地面に降り立った。
「はふぅ……やっと地面だぁ。地面、安心する……」
ずっと箒に跨っていたので、降りた後もまだしばらく体がふわふわする。生まれたての子鹿のように足をプルプルさせるエセル。
一方のフィカは余裕のようで、飛行中に乱れた髪を整えた後、三角帽子をきちんと被り直していた。
「初めての長期飛行にしては、まあまあの線をいってたわよ。あとはもっと安定した飛行ができるよう、バランスの取り方を覚えなさい」
「はひぃ……」
なんだかいつもよりも情けない返事しかできなかった。




