魔法都市ダームスドルフの繁栄と滅亡 リリー・ハンロット著②
『大丈夫? お嬢さん』
リリーに声をかけられてハッとした。
目を開けば男の子の姿は見当たらず、あるのはエセルを心配そうに見つめる半透明な姿の作者たち。鼻腔をつくのは古びた羊皮紙とインクの匂い。耳に届くのは本たちが羽ばたき擦れる僅かな髪の音だけだ。
いつの間にかしゃがみ込んで縮こまっていたエセルは立ち上がって背筋を伸ばした。
「うん。ちょっと嫌な気持ちになっただけ」
『ごめんなさいね、あなたみたいな幼子には酷な話だったかしら。けれど、これが事実よ。こうして一千年続いた歴史ある都は滅び、ダームスドルフの生き残った民はメイホウの森に逃げ延びた。けれどねえ、問題はまたもや発生するの。メイホウの森は魔力満ちる神秘の森……いくらダームスドルフの住民でも、長く暮らすとなると魔力が毒となるのよ』
「え……でもフィカさんは平気そうだけど」
『体質によるの。普通の人間族なら一日持たずに命を落としちゃうけど、ダームスドルフの民は数年、生きることができる。森に潜伏して敵が引くのを待ち、他の場所で生きようと考え、その通りにした。襲撃から一年が経ち、生き残った民は目立たないよう少しずつ散り散りに逃げ、森に残ったのはあたしとフィカを含む宮廷司書のみとなった。あたしたちは本を守るという使命があるから、離れるわけにはいかなかったのよ。人間って不思議よね。時には、自分の命よりも大切なものがあるの……。さて、森に残ったあたしたちは、過剰な魔力を摂取した結果、体に異変をきたした。異常な短命もしくは人間離れした長寿化よ。森で過ごし始めて数年で仲間がどんどん死んでいく一方、魔力を体に馴染ませることに成功した者は現在の年齢から老いることなく生きることが可能になった』
「人間さんは何年くらい生きるの?」
『大体が五、六十……長く生きる者で百年かしらねえ』
「短いね!」
エセルはびっくりした。エルフは三、四百年、長いと一千年を超えて生きる者もいる。たったの百年しか生きられないなんて、短すぎる。
『人間族なんてそんなものなのよ。エルフとは違うわ。若さを保ったまま何百年も生きられるなんて羨ましい。いや、フィカを見ているとそうでもないのかもしれないわね。短い方がいいこともある……さて、森に満ちる魔力を己のものにできるかどうか……それは体質によるところが大きいの。長寿化に成功したものはわずか二名。あたしとフィカだけ。あたしはダームスドルフを出た時点で七十五歳、そしてフィカは二十四歳だったんだけど、そこからさらに二百五十年ほど生きることになるの。あたしたちはひたすら本を守りながら、待った。ダームスドルフの生き残りの者たちが、あたしたちの元にやってくるのを……都市の復興のために戻ってくるのを。あたしはダームスドルフの滅亡を書き記すために、この本を書いた。フィカは生きるために危険を顧みず外の街々に出向いて、生活に必要なものを調達した。連合国に見つからないよう細心の注意を払って……。先に命が尽きたのはあたしの方よ。当然ね、元々の肉体の老いが激しかったもの。死に際にこの本と魔法図書館をフィカへと託し、知識を未来へと繋ぎ、ダームスドルフの生き残った民たちと一緒に都市を復興するように言った。これがダームスドルフ滅亡の全てよ』
リリーの話を聞いていた本たちは、顔を見合わせ囁き出した。
『そんなことがあったのか』
『おかしいと思っていたんだ』
『目覚めたら見知らぬ場所だったからねぇ』
『なるほどメイホウの森の中の塔か……』
ざわめきを耳にしながらエセルはリリーだけを見る。
「フィカさんは、人間さんが大嫌いって言ってた」
憎しみに満ちた様子のフィカを、エセルは忘れることができない。
冷めた目も、歪んだ唇から吐き出された強い言葉も、全てが人間族を否定していた。
リリーは重々しく首を縦に振る。
『あの子の中には、祖国を襲撃した連合国民だけでなく、同胞までも恨む気持ちが募っている……無理もないわ。二百五十年、だーれもメイホウの森を訪れてくれないんだもの。ダームスドルフの生き残った民たちも他の人間族の国に溶け込み、それぞれの暮らしを見つけ……血が薄まるにつれて都市を復興させる気も次第に失せていったに違いないわ』
エセルはうつむいた。
「……ドライアドのローラスさんは、このこと知ってるのかな……」
『あの変わった月桂樹の子? もちろん、知ってるわよ。メイホウの森の管理者だから。初めはあたしたちが森に住むことにもいい顔はしてなかったけど、月日が経つにつれて受け入れてくれるようになったわ。焼け落ちた故郷を見て憐れんでくれたのかもね。けど、本質は樹木。あたしたち人間族とは根本が異なるし、都市復興の手助けはしてくれないわ』
「人間さんの仲間が必要なんだね?」
『そうよ。魔法都市ダームスドルフの復活こそあたしたちの悲願。エルフ族のお嬢さん、入り口に刻まれている言葉は読んだことある?』
「うん。『全ての書物には執筆者の想いが込められている。その想いは何物にも勝る魔法の力を宿している』だよね」
『よく覚えてるわ! あの言葉はあたしが刻んだの。本には、執筆されている事柄以上のものが秘められているのよ。書き手が何を考え、どういう経緯で本を書いたのか。何を伝えたかったのか……それらを正しく理解し、未来に伝えるのがあたしたち魔法司書の役目。けど、読み手がいなくちゃあ何の意味もない。だからあたしは、フィカに図書館の未来のためにも同胞を探せと言った。フィカの身は驚くほどメイホウの魔力と馴染み、その身を長らえさせているから、時間をかければあの子にならダームスドルフの復興も可能と考えてるの。けどねえ、フィカは聞く耳を持たず、あたしをここに閉じ込めて、多重封印まで施してくれちゃったのよ。ねえ、エルフのお嬢さん。もう一度、あの子を説得してくれないかしら……』
リリーは厚い瞼の下で目をしょぼしょぼとさせながらエセルを見上げた。
他の魔法書たちもエセルを見つめている。誰も彼もが真剣で、空気がピリリとしていた。
期待されている、と思った。
大勢から期待されることは、嫌なことじゃない。
むしろ期待されることに慣れているような、ずっとずっと前からそうだったような。
脳の奥で記憶が疼く。さっきの、燃えるダームスドルフの挿絵を見た時のような感じ。
(わたしは前にも、誰かに何かを期待されていた……?)
記憶がない状態では、問いかけたって答えは出なかった。
それでも、なにもわからなくても、今の自分の気持ちならはっきりわかる。
「……うん、わかった」
魔法書のみんなから、色々なことを教わった。
初めて触れた文字と、文字を教えてくれたレインワーズ先生。
素敵な物語が詰まった、エドマンドのおとぎ話全集。
いろんなものに自由自在に変化してみせた変化の書のウィディ。
どれもこれもがエセルにとって未知の体験でわくわくした。
エセルは本を読むのが大好きになった。
そんな大好きな本たちの願いを叶えてあげたい。
素敵な本を、もっと色々な人に読んでもらいたい。
それはきっとシンプルで、ごくごく自然な感情なのだと思う。
「わたし、他の人間さんに本を読んでもらえるように、頑張ってみる」
おぉ、わぁ、という声が上がった。
『そうと決まれば頼もしいわ。じゃあ、フィカの説得を……』
「あ、待って欲しいの」
フィカを説得して欲しいと言うリリーの言葉をエセルは遮った。
「多分、フィカさんに何回頼んでも『うん』って言ってもらえないと思う。だからね……わたし、森の外に出て、他の人間さんに会ってみようかなと思うんだ」
『なんてこと! それは危険よ』
「ダームスドルフの他の生き残りの人間さんに会えたら、状況を説明できるでしょ? そうしたらフィカもちょっとはお話を聞いてくれる気がするから」
『んんん……けれどね、エルフ族のお嬢さんが人間社会に紛れるのは、ちょっと……ううん、かなり大変よ』
『それならば、私の出番じゃないだろうか?』
生き生きとした声とともに豪華な一冊の本が文字通りエセルの前に躍り出た。ウィディだ。ウィディは装飾を煌めかせつつ、本の角で立ってくるくると回転し、そして半透明姿の自身も回転した。
『人間社会に紛れるには、人間に変化してしまえばいい! 幸いエルフ族の外見は人間族に近い。耳だけ丸くすればいいだろう。多重封印魔法を一度で使ったエセル殿ならば、変化の魔法も容易く覚えられるはず!』
「確かに、耳は丸くしたほうがいいかも」
エセルは自分の両耳を指でなぞった。とんがり耳はエルフ族の印、遠く離れた音や小さな音でも聞き取れるのだが、どうやら人間の耳はそこまで優れておらず、おまけに丸い。
「変化魔法、覚えたいです。ウィディさん、よろしくお願いしますっ」
『お安い御用さ!』
ウィディは着飾っている外見に負けない煌びやかな笑顔を見せ、左手を胸に、右手をエセルに向けるポーズをとった。そんなウィディを押し退けて、他の魔法書たちがわらわらとエセルの前に出てきた。
『なら、他の魔法も覚えておいて損はないんじゃないかしら? 万が一人間族に正体がバレて襲われた時用に……攻撃魔法はいかが?』
『それなら、防御魔法も覚えるべきだ』
『解呪の魔法、もっともっと覚えるべきねっ』
『護符をたくさん仕込んでおくというのは……』
魔法書たちが好き勝手に喋り出した。
自分の本に書かれている魔法を覚えろと、やかましい。
エセルは終わりそうにない議論を中断すべく大声を出す。
「じ、順番っ。順番に読んで覚えるからっ。まずは変化の書から!」
むぅ、うむむぅ、あらぁ、と残念そうな声を押し退け、一際元気なウィディの声が響き渡った。
『よぉし、では早速レッスンといこうではないか!』
「はい、よろしくお願いしますっ」
こうしてエセルの、今までとは少し違う魔法図書館での日々が始まる。
魔法書たちに囲まれて、魔法を覚え、まだ見ぬ人間族に会うための修行の日々が始まった。




