魔法都市ダームスドルフの繁栄と滅亡 リリー・ハンロット著①
「フィカさんのお師匠さん?」
『ええ、そうなの』
リリーと名乗った老人は、こくりと頷く。見た目に反して口調は若々しかった。話しやすい雰囲気が漂っていたので、エセルも質問をしやすい。
「なんであんなにしっかり封印されてたの?」
『フィカの仕業よ』
「フィカさんがどうしてお師匠さんの本を封印しちゃうの?」
『それはねえ、あの子がこの本を気に入らなかったせいよ。魔法都市ダームスドルフ滅亡の記憶は、あの子にはとっても辛いもの……思い出したくなかったんでしょうね。ところで、本棚の中で聞いていたんだけど、お嬢さんはダームスドルフについて知りたいとか?』
「うん、知りたい」
エセルは即答した。
「ダームスドルフがどんなところで、フィカさんにどんな関係があって、どうしてフィカさんが人間を嫌いになったのか、知りたいの」
『わかったわ。お嬢さんの疑問の全てにあたしは答えることができる』
エセルはこの時、リリーの「あたし」という一人称の言い方がフィカそっくりなことに気がついた。
表紙が持ち上がり、目次が過ぎ去り、最初のページが現れる。
『一冊にまとめたから簡易的なんだけど……導入本としてはちょうどいいはずよ。初めは……都市について。魔法都市ダームスドルフはその名の通り、魔法使いが住む都市。住民全てに魔力があり、魔法を使える人間族が暮らす街。当然、都市は他の国に比べ高度な技術を持っていた。何をするにも魔法の力を使った。ダームスドルフで作られた製品は全て魔力が宿り、他国がこぞって買い求めた。都市は豊かで、一千年もの間平和だった……』
はらはらとめくれたページには、見開きで挿絵が描かれている。
挿絵が立体的になり、動き出した……三角屋根の建物がひしめき合い、その上をフィカのような格好をした人々が、箒にまたがり空を飛びながら行き交う。路上にいる人は、指先から炎を出してランタンに火を灯したり、噴水の水をウサギの形にしてから氷漬けにして氷像を作ったり、何もないところからポンポンとお菓子を出現させては子供たちに配ったりしている。
『ダームスドルフは王政で、代々王もしくは女王によって統治がなされたの。都市の中心に宮廷があり、そこがそのまま国の中心でもあった。様々な事柄が宮廷で決められ、宮廷で文明が発展していった。五歳から十五歳までの魔法教育の義務化。魔法機関および魔法研究施設への惜しみない投資。聖地を管理する賢者たちの育成および修行施設の運営。魔導具組合との議論。貿易品の管理。そしてもちろん、全てを記録し保管するための図書館運営』
「図書館運営……」
『そうよ。図書館に興味がおあり?』
エセルが頷くと、リリーは垂れ下がった瞼に埋もれた目を細めて微笑んだ。
『それは嬉しいわ。一気に八十七ページまで進めるとしましょ』
八十七ページはダームスドルフの図書館について書かれたページだった。
挿絵からにょきりと立体的に姿を表したのは、現在エセルがいる魔法図書館よりも優美で、溢れんばかりの装飾が施された優雅な空間だ。丸天井の下に広々とした空間が広がり、両脇にどっしりとした本棚が天井まで延びている。
『ダームスドルフには大小様々な図書館が存在していたの。学校にも各研究機関にも、魔法騎士団の本部にさえも図書館があった。印刷技術が発展していたから、書店も多く、本は人々にとって手軽に手に入り、いつでも閲覧可能なものだったのよ。中でも最も蔵書数が多く、希少な書物を保管していたのが宮廷図書館』
「リリーさんが働いていた図書館?」
『そ。そしてフィカも同じく宮廷図書館で働いていたの。蔵書数十七万三千九百冊。三万三千九百の原本に、五万冊の写本、それに九万冊の印刷本が収蔵されていた。ちなみに魔法図書館の蔵書数は二万四千五十二冊』
「へええ、すごくたくさんの本があったんだね!」
エセルは二十万冊という途方もない数の本が並ぶ宮廷図書館の挿絵を眺めた。
本棚だけでなく閲覧用の机がずらりと並んだ図書館内では、利用者の姿が多く描かれている。図書館が賑わっていたのが感じられる絵だった。
『そうよぉ。ダームスドルフ宮廷図書館は大陸一、いや世界一の図書館だったわ』
リリーは胸を張り誇らしげに言った。
『けど、ダームスドルフの栄光は永遠には続かない……都市の文明力の高さ、そして何より魔法という力を脅威に思った人間族が徒党を組み、連合軍と名乗って攻めてきたの。ダームスドルフは対抗したけど、数の力は強大で、都市はすぐさま敗北を悟った。王家はできるだけ多くの民を逃そうと奔走して、戦えない市民は森へと逃げた。ダームスドルフの北にあったメイホウの森は古来より魔力に満ち、神聖視されていたけど、同時に魔力慣れしていない他の人間族を寄せ付けない安全地帯でもあった。民はメイホウの森へ逃れた。宮廷図書館の筆頭司書であるあたしは、侵略者たちが貴重な書物をどう扱うかを心配した。あいつらは都市のあちこちに火をつけていたからね。まったく本当になんて野蛮なのかしら。そうしてあたしは、一冊でも多くの本を残すため、メイホウの森に古くから建っている塔へと本を移す決意をした。とはいえ、時間がない中で十七万冊もの本を全て運ぶのはいくら魔法の力を使っても不可能。あたしは運ぶ本の優先順位をつけた。まずは、何がなんでも作者が手書きをした原本。魔法書たりえる原本はダームスドルフの知恵の結晶。本が興奮しないように眠りの魔法をかけ、司書たちで手分けをして運んだ……けど、原本さえも全てを運び切ることは不可能だったわ。敵の手は早く、ダームスドルフは数日しか持ち堪えられなかった。こうして運び込んだのが、現在魔法図書館に保管している二万四千五十二冊の本というわけ』
先ほどまでの平和な絵とは真逆の、阿鼻叫喚図が描かれていた。
燃える都市、逃げ惑う人々、侵略してくる敵。
ただの絵ではなく、動くからこそ、より現実味を帯びてエセルの五感に容赦無く襲いかかってくる。
胸が苦しい。崩壊する都市に住む人々の叫びが、悲しみが、まるですぐそばで起こっている出来事のようにありありと飛び込んできた。
「う……」
燃える木々と建物の嫌な匂いまでもが鼻を突く。
目を瞑っても苦しむ人の顔が見えて、耳を両手で塞いでも断末魔が聞こえてきた。
これは本当に挿絵によってもたらされる苦しみなのだろうか?
それとも……。
ざわめく人々の声に混じり、エセルの耳にはっきりと声が響いた。
女の子の声だった。耳に心地いい、懐かしい気持ちがするその声は、とても焦っている。
『エセル様……おやめください! その力は……』
『わたしがやらないと、誰も助からないから』
『しかし!』
エセルはくるりと振り向いた。
振り向いた拍子に、エセルが身に纏っている装飾がシャラリと音を立てて揺れる。
目に飛び込んできたのは、エセルとあまり変わらない年齢の少年だ。金色の髪を短く切り、もみあげだけ伸ばしている。瞳の色はエセルと異なる深い翠。森の色みたいでエセルが大好きな色だ。
『逃げるべきです、あなたは……あなただけは!』
『ちがうよ』
必死に叫ぶ男の子にエセルはキッパリと首を横に振った。
『わたしは逃げちゃいけないの。わたしは……みんなを逃さないと。それがわたしの使命だから』
『エセル様!』
『ばいばい』




