魔法解呪術 ユリス・ウェイクフィールド著①
翌日、エセルはトボトボとした足取りで魔法図書館に向かった。
エセルが起きた時フィカは既に出かけた後で、エセルは一人でもそもそと朝食を取り、忙しそうに家事をこなすロフとロネを置いて一人で図書館に出かける。
何度も通ったので図書館までの道はもう覚えた。
手には、昨日作った護符を握っていた。
「けど……魔法書の作者さんたちになんて言えばいいんだろう」
エセルはうなだれた。
これで人間さんを図書館に連れてこれる! と勢い込んだのに、肝心のフィカがうんと言わないなら無理だ。
「どうしよう……どうしよう」
いい案が何も思い浮かばないまま魔法図書館に着いてしまった。
入り口には、朝日をたっぷりと浴びて気持ちよさそうに目を閉じているローラスの姿があった。
手足が木になっていて、頭に被っている月桂樹の冠もいつもよりわさわさと枝葉を伸ばしていた。
「ローラスさんっ、おはよう」
「おや、エセルさん。おはようございます」
「日光浴?」
「ええ。朝は暑すぎずちょうどいい気温なので」
体の半分が木の状態のままでローラスはエセルとの会話に応じる。
「おや? 手に持っているものは……」
「あ、これは……イチイの小枝で作った護符」
「エセルさんが作ったのですか?」
「うん」
「見せていただいても?」
エセルはコクリと頷いてからローラスに護符を差し出した。ローラスは枝になっていた手を人型へと変化させ、護符を受け取り眺める。
エセルはふと、思いついた。
ローラスもフィカと同じく魔法図書館の管理人の一人だ。
ローラスだって本の声は聞いているし、本たちが読まれたがっていることを知っている。
ならばローラスに事情を説明すればエセルの味方になってくれるのではないだろうか?
「綺麗に文字が彫れていますね。これならきちんと発動します。それにしても、どうして魔力の吸収を阻害する護符なんて作ったのですか?」
「あの……実は、たくさん護符を作って人間さんに渡して、魔法図書館に来てもらえたらいいなあって思って。魔法書の作者さんたちはもっと多くの人に読まれたがってるし、わたし一人だとその願いは叶えてあげられないから、他の人間さんを呼び寄せるのがいいんじゃないかなって思ったんだけど。ローラスさんはどう思う?」
ローラスは護符から目を上げ、エセルを見た。若葉のような薄い緑色の瞳は何か迷っているかのように揺れている。
「申し訳ありませんが、エセルさんのその意見には賛成しかねます」
口調は優しいが、意志ははっきりとしていた。
「どうして? フィカさんもそう言ってた。図書館の管理人さんなのに、どうして魔法書の作者さんたちの願いを叶えてあげないの?」
「私もフィカも、理由は違えど人間族が好きではありません。本を保管、管理するのはやぶさかではありませんが、利用者を増やすというのは反対です。いくら魔法書の頼みであっても、それだけは聞けません」
「…………」
明確に告げられた否定の言葉にエセルはショックを隠しきれなかった。
「これはお返しいたします。本たちに何を言われても、耳を傾ける必要はありません。彼らは世間知らずなのですから」
「世間知らず?」
「所詮、本の中に閉じ込められた存在。何も知らないから人間を連れて来いなどと言えるのです」
ローラスはエセルに護符を返し、言うだけ言うと再び木に姿を変えた。日光浴だろう。
エセルは何も言えないまま、護符を胸に抱いて図書館の中へと入る。
そうすると、ハリネズミのようなエキナリウスや魔法書たちがワッとエセルを取り囲むのだ。
「チチィ!」
『やあ、おはよう』
『護符は見せたかな?』
『フィカ殿はなんと言っていた?』
『効率良く大量生産する方法ならばここに書いてあるがーー』
「あのっ」
怒濤の如く押し寄せる本の波と作者たちの言葉を遮りエセルは大声を出した。
「む、無理って言われちゃった。人間は嫌いだって……!」
シーンとした。
沈黙がいたたまれない。
無言の圧力によって、エセルはなんだか非難されているような気持ちになった。
「役に立てなくて、ごめんなさ……」
『フィカ殿が……人間嫌い?』
『なぜだろう』
『むしろアイツは人間が好きだと思っていたのだが』
本たちはエセルの考えとは裏腹に、フィカについて話し合いをする。エセルの目は点になった。
「あのー、わたしのことを怒ってない?」
『む? 怒っているわけがない』
『むしろ、色々としてくれて感謝しているぞ』
『ああ。本来ならば我らがやらねばならないことだからな』
『本の身というのは不自由なことだ』
「みんな……」
エセルは感動した。魔法書の作者というのは、色々な知識があるだけでなく心も広い。
ここですすすっと現れたのは、特大にして図書館中で最も豪華な本、変化の書のウィディだ。
頭から爪先まで全身宝石をちりばめたウィディは煌びやかな光を撒き散らしながらその姿を表す。
作者の姿は本から浮かび上がるのだが、本自体が大きいウィディは他の作者にくらべて大きな姿で現れる。「初めてのルーン文字」のレインワーズ先生は手のひらサイズだったが、ウィディはエセルの腰くらいまでのサイズがあった。
『さて。フィカ殿が急に人間嫌いになった理由を探し当てなければ、我らはこの建物内で死蔵されたままだ』
これに対し、護符作りの本の作者ケレスが片眼鏡を持ち上げながら首を傾げる。
『そもそもここはどこなのだ? わしが元いたダームスドルフ宮廷図書館ではないようだが』
「わたしも詳しくは知らないけど、ここはメイホウの森ってところらしいよ」
『メイホウの森? それはダームスドルフから近い森の名前だね。なぜ森の中に図書館が移されたのだろう』
ウィディの言葉にエセルも「さあ」と首を傾げるしかない。エセルも記憶を失い迷い込んできた身だ。メイホウの森がどんな場所で、時々ローラスやフィカの口から出るダームスドルフが一体どんな都市だったのか全く知らない。
「わたし……自分の記憶がなくって、気づいたらメイホウの森にいて。フィカさんに言われるままに図書館で過ごしてるから、何も知らなくて……」
自分の無知が恥ずかしい。
「ダームスドルフっていうのがなんなのか、他の人間さんと何が違うのかもよくわかってないの」
恥を偲んで告げると、ウィディは見た目の派手さに反して真面目な顔でふむ、と頷いた。
『なるほど。そういうことだったか。エセル殿には順を追って話をした方がいいだろうな』
そうだそうだ、という声が他の魔法書からも上がった。
『そうだな……ダームスドルフについて語りたいところだが、生憎私の役割は変化の魔法を教えること。制約がある以上、歴史を語ることはできない。とはいえここは図書館だ。他の適任者がいるだろう』
ウィディの言葉にいそいそと近づいてきたのは、魔法都市ダームスドルフ歴史書だ。全四十巻にもなるその本は、先頭の一巻から作者が顔を出し、きっちり一列に連なってひらひらと舞い降りてくる。これを全部読むのは骨が折れるなぁ、とその場にいた誰しもが思っていたその時、図書館奥でガタガタと激しい音がした。
「えっ、何?」




