生活に密着した護符の作り方 ケレス・アーティカ著③
「イチイの木、イチイの木っ」
エセルは夏の昼下がりの森の中を疾走する。相変わらず日差しは強いけど、この辺りは木々がたくさん生い茂っているので木陰が多く、涼しかった。
麦わら帽子が落ちないように手で押さえつつ走っていると、木立の間からひょっこりと白い影が見えた。
「あっ、ユニコーンさん。こんにちは」
すっかり仲良くなったユニコーンがエセルの隣でパカパカと並走する。今日はフィカが一緒にいないので姿を現してくれたのだろう。
「えぇっと、あったあった」
イチイは春に花を咲かせ、秋には赤い実をつける。
見上げた先には幹を伸ばし、天に向かって堂々と葉を茂らせるイチイの木の姿。
そっと幹に手を当てて、エセルはイチイの木に向かって話しかけた。
「《護符を作るのに枝が必要なの。分けてもらえる?》」
「《最近は暑くて、枯れそうなの。月湖の水をかけてくれるのなら》」
「《わかった。運んでくるね》」
イチイの木の想いに応えて、エセルはパッと走り出した。
「えぇっと、水を汲むためにまずはバケツが必要だよね。一度フィカの家に戻って、それから月湖に行って……と」
ブツブツとエセルが呟いていると、ユニコーンが「ヒヒン」と鳴いた。
「乗せてくれるの? ありがとう!」
ユニコーンにまたがってフィカの家の近くまで行って下ろしてもらい、バケツとついでにナイフも借りて月湖まで行く。水をバケツにたっぷりと汲んだら、バケツを持ったままユニコーンに跨るのは無理だと言うことに気がついて、こぼさないように気をつけながらトコトコ歩いて行った。
先ほど話しかけたイチイの木の根本にザブッとバケツの水をかける。
すると、木の枝がポトリと落ちてきた。
「《ありがとう》」
「《こちらこそ、お水をありがとう。エルフのお嬢さん》」
枝は太すぎず細すぎず、文字を刻むのにちょうどいい太さだった。
枝を手に入れたエセルは図書館に戻る。途中でユニコーンと別れ、やや駆け足で戻った。
図書館の外にはローラスがいて、日光浴をしていた。
「お帰りなさい、エセルさん」
「ただいま、ローラスさんっ」
息を弾ませローラスの真横を通り過ぎて図書館に飛び込む。
「ケレスさん。イチイの枝とナイフ持ってきたよ」
『おぉ、仕事が早い』
「さっきの文字、も一回見ていい?」
『もちろんだとも』
ケレスは該当ページをすぐに開いてくれ、エセルはそれを凝視する。
内容としては簡単だ。魔力を防ぐための意味を表すルーンの文字列を刻めばいい。
「【制約を以って魔の力より其の体を護る ルーンに宿る力により魔力を防ぐ文字を刻む】。うん。これならこの枝にも刻めるくらいの文字量だね。よし、早速……」
『図書館内での作業は厳禁』
「うっ」
ケレスの言葉にエセルは持ち上げていたナイフをピタリと空中で止めた。
『……といいたいところだが、吾輩は図書館の外に出られない。特別に作業を許可しよう』
「ありがとう」
改めて、エセルは枝にナイフを振り下ろした。
「ルーン文字って曲線がないからナイフで刻みやすいね」
『わざとそういう文字体系になっているのだ。紙のない時代に生まれた文字だから、石や木に刻みやすい形になっている』
「なるほど、そんな理由があったんだね」
『物事の一つ一つには理由があるものだ。普段は気にもとめないようなものにも、きちんと意味がある』
「そっかぁ……」
エセルはケレスの話に耳を傾けつつ、枝にルーン文字を彫った。文字数が多いので細かく刻まなくてはならない。
『大丈夫か、君? 随分と危ない手つきだ。怪我をしてもおかしくないぞ』
「大丈夫ですっ。っつぅ!」
『言ってる側から……!』
ケレスに返事をした瞬間、手元が狂って左手の人差し指をザックリ切ってしまった。
だくだくと血が流れる指を庇って、えへへと笑う。
「このくらいかすり傷です」
『どこがだ! 早く手当をしなさい』
「あとでフィカさんに塗り薬をもらうことにして……とりあえずヒソプの布を巻いておこうっと」
慌てるケレスに構わず、エセルは魔法書の魔力戻しに使ったヒソプの布を指にぐるぐる巻きにした。魔力を含んだ布は傷の回復も促すので、普通の布を巻いているより早く治るだろう。
「片手だと巻きにくいや」
『こんな姿でなければ手伝ってやれるのだが……』
エセルが指に布を巻くのに苦戦していると、なぜかケレスが肩を落とした。
「えぇっ? 怪我したわたしが悪いんだよ! ほら、もう巻けたから大丈夫! 続き彫るね」
『うむ。……文字の形を正しく彫るように』
「うん」
『イチイを表すルーンを末尾に彫るといい。加護の力が増す』
「わかった。えぇっと、エフォルだよね」
『その通り。なんだか文字がぎこちないが』
「読むのはいっぱいしたんだけど、書くのはあんまりやってなくて……」
レインワーズ先生に習ってルーン文字を覚える時には蝋板に尖筆で引っ掻いて文字を書いたが、一旦覚えてしまったら読むのに夢中で書かなくなってしまっていた。
『なるほど、道理でたどたどしいわけだ。これからは書く練習もしたほうがいい』
「うん。そうするね」
ケレスの教えに従って、どうにか小枝にびっしりとルーン文字を彫っていき、周囲を木屑まみれにしながらようやく作業を終える。エセルの両掌を合わせた程の長さの小枝の表面は、今やルーン文字で覆い尽くされていた。
「ふぅっ。できた」
『初めてにしては上出来だ。あとは呪文を唱えればいい』
「うん」
エセルはナイフをケースにしまい、心を落ち着けてから呪文を口にした。
「【ルーンの力を示せ。護符よ我を守りたまえ】」
枝がカタカタと震え、小枝に刻まれたルーン文字が青白い光を帯び、輝く。
風もないのにエセルの髪がふわっと持ち上がる。
不可思議な現象は長くは続かず、枝はすぐにまた静まったが、文字には時折青白い光が走った。
「わっ……!」
『護符の完成だ』
「これで、魔力の吸収を防げるの?」
『試してみるといい。手に取るだけで効果を実感できるはずだ』
「うん!」
エセルは出来上がったばかりの護符を手に取った。




