魔法書の「魔力戻し」⑦
エセルが眠りについた頃、フィカはまだ自室で起きていた。
ゆったりと揺り椅子に座り、肘掛けに腕を持たせかけ、考える。
今日の昼にエセルが見せたヒソプの葉を布に変えた技。あれは、「布を作る」という単なる作業ではなかった。
「唄」を用いた魔法と言った方が正しい。
人間族が布を作るにはもっと多大なる工程を要する。植物の繊維を取り出し、あるいは虫の繭を細く引き、糸を紡ぎ、機織りで布を作り出す。ひとつひとつに手間がかかり、熟練の職人技が必要となってくる。それは魔法都市ダームスドルフでも変わらないことだ。
エセルは全ての工程をすっ飛ばし、葉から布を作り出してしまった。
あれはエルフ族に伝わる布作りの魔法なのだろう。
自分にもできやしないかとエセルの唄に耳を傾けていたけれど、一つとして理解ができなかった。言語体系が違いすぎる。フィカが再現するのは不可能だ。
「布一枚で魔力を戻せるなら、便利なことこの上ないのだけれどね……」
フィカたちが魔力を回復する手段も存在する。
一つは魔法薬による回復。
そしてもう一つが魔導具を使った回復だ。
魔法薬による回復は液体を飲む、もしくは対象物に塗布することによって魔力の回復を図るという代物で、水気が厳禁の魔法書には使用できない方法だ。
別に本が動いたり喋ったりしなくともいいではないか、というのが一般的な人間族の考え方なのだろうが、フィカたちダームスドルフに住む住民たちの考え方は違った。
本は、作者が現れてこそ、真に理解ができるものだ。
言い回しや言葉の意味は時代が経るにつれて変わるもの。
同じ単語であっても時の移ろいにより真逆の意味になったりもする。
そうした時、執筆当時の情勢を知る作者が現れ、説明してくれるというのは非常にありがたいことなのだ。
だからダームスドルフにて本を管理する「魔法司書」たちは、魔法書に魔力を戻す専用の魔道具を開発した。
魔法陣を刻み込んだ円盤の上に魔法書を置き、上からも円盤を被せ、ネジで固定する。上部の円盤には大人の掌ほどもある水晶が嵌め込まれている。透き通る水晶は円形で、魔法書はちょうど水晶の真ん中に来るように置く。
水晶は月の光を集める。
そして月の光には魔力が満ちている。
水晶に宿った魔力を魔法書に移すために必要なのは円板に刻まれたルーン文字による魔法陣、それから詠唱。魔法司書たちは魔力戻しの儀式を、図書館の屋上にて、最も月の力が強まる満月の夜に行うのだ。
そうまで用意をしなければ、魔法書の魔力というのは戻らない。それがフィカの中の常識だった。
「それがあんなに簡単に戻るなんてねぇ」
布に宿った魔力は有限だが、月湖に浸してまた唄を唄えば魔力を吸い上げるのだというのだから便利なことこの上ない。
あれが人間族とは異なる、遥かに魔法に精通した種族――エルフ族のなせる技なのか。
「だとしたら……守ってあげないとね」
奇跡の御業を目にすると、人はその有用性を我が物にしようとする。
エセルを人間族の前に出してはならない。
彼女を悪意ある人間に会わせてはならない。
人間族は欲深く、思いもよらないことをしでかすものだから。
夜は更け、魔力満ちる森は闇に沈む。
長い時を生きるフィカは、人間族の良い面も悪い面も嫌というほど知っていた。
だからこそ、ユニコーンと心を通わせられるほど純真無垢なエセルを守らねばと強く思うのだ。




