魔法書の「魔力戻し」⑤
あっという間に三枚の布が出来上がり、作ったばかりの布を手にエセルたちは魔法図書館へと戻る。帰りの足取りは行き以上に早く、ほとんど走っているのに近い状態だった。
「エセルちゃん、アタシたちはそんなに早く走れないわよ」
「あっ、ご、ごめんなさい。魔法書を治せると思ったらつい……」
「今更そんなに焦らなくても、本は待っててくれるわよ」
「と言いつつ、フィカも随分機嫌が良さそうではありませんか」
「なっ」
「ふふ、口角が上がっていますよ」
ローラスの指摘にフィカは瞬時に口をへの字に曲げるとこほんと咳払いをした。
「……ま。無理だと思っていた魔力戻しができるって言うんだもの。期待しない方がどうかしてるわ」
軽やかな足取りで魔法図書館まで戻り、そのまま出入り口に飛びついて、重い扉を体当たりするように開ける。
「チィッ」
「チチッ!」
「わっ、遅くなってごめんね」
途端にエキナリウスたちがエセルのワンピースの裾に飛びついて出迎えてくれた。
しゃがみ込んだエセルのポケットからはみ出すヒソプの布に気がついたエキナリウスたちは、裾を掴んだ勢いでワンピースをよじのぼり、布の匂いをフンフンと嗅ぎ出す。
「この布はダメだよ、あげられないよっ」
魔力大好きなエキナリウスは興味津々で布を引っ張り、なんなら我がものにしようとしていた。必死に抵抗するエセル。だがエキナリウスはここ数日、本食い虫をたらふく食べて体積が増し力も増している。五匹がかりで引っ張られて、エセルの方が力負けしそうだった。
「破れる……ぐううぅ〜〜〜〜〜っ」
せっかく作った布が裂けそうになったその時、フィカの朱色の長い爪を持つ手がひょいと伸びてきた。フィカの手だ。
「なにを戯れてんのよ」
フィカはエキナリウスを親指と人差し指でつまむと、容赦無くぽいぽいと放り投げた。
「ヂイイ!」
「ヂィヂィ!」
「アンタたちのエサは図書館の奥よ。さっさと本喰い虫を捕まえにお行き」
しっしっと手で追い払うと、エキナリウスたちはちょっと怨みがましそうな目を向けてからシュッと尻尾を振って図書館内へと駆けて行った。
「シメるとこしめないと、もともとは野生の動物なんだからナメられるわ」
「う……はぁい」
「さっ、行くわよ」
フィカはずんずんと図書館内に進んでいく。エセルも慌てて後を追いかけた。
「さて、魔力を戻したい本にも順序ってもんがあるわ。布に含まれた魔力は有限で、魔力切れを起こした魔法書全部の魔力を戻すのは無理でしょうし」
「布の魔力がなくなったら、また月湖に浸して唄を唄えば戻るよ」
「あの長い唄?」
「今度は違う唄。そうやってわたしたちは、服に魔力を纏わせてたの」
「あら、そうだったのね……まあ、ともかく、順番を決めるのは大切なことだわ」
フィカはとても機嫌良く、魔法図書館内にずらりと並ぶ本棚にツカツカと近寄ると本を吟味し出す。
「魔力切れを起こしているのは古い本が多いから、どれもこれも希少性が高いのよね。んーどれにしようかしら。これは……ボロボロすぎて、魔力を戻す前に修復しないとダメだわ。こっちも。これはちょうどいいかもしれないわ」
「フィカ、この本は?」
エセルは本棚にしゃがみ込んで一冊の本を引き出した。
それは本と呼ぶにはあまりにも豪華なものだった。
エセルの上半身ほどもある大きさで、金箔を貼った表紙には宝石がちりばめられている。目も眩むようなピカピカした本だ。
なぜか中央にはエセルの拳ほどもある穴がぽっかりと空いていて、豪華な本にそこだけは似つかわしくない。
しかしエセルがこの本に惹かれたのは、単に見た目が他の魔法書とは段違いに派手だからというわけではない。魔法書のタイトルが目についたからだ。
「この魔法書のタイトル、『変化の書』ってあるけど、何かに化けられるってこと? わたし、変化見てみたい」
きっとこの思いは、『おとぎ話全集』の中の物語の一つ「毒蛇とリュート弾きの少年」を何度も読んだ体験からくるものだろう。
毒蛇が人間に化けたという話を読み、自分も何かに変化してみたいという思いがむくむくとエセルの中で膨れ上がったのだ。
『変化の書』には、猫とかフクロウとかエキナリウスに化けるための方法が書いてあるのかもしれない。もしかしたら竜とかユニコーンにもなれるかも。気になる。実際にエセルが何かに化けるのは難しくても、作者が出てきて変化を見せてくれたら嬉しい。
そんな気持ちでフィカにねだってみたところ、フィカは大層己と葛藤している様子で、「う〜〜〜〜〜ん、この本はねえ……まあ、でも……エセルちゃんがそう言うなら、そうしましょうか」と言ってくれた。
「やったっ!」
「で、具体的にはどうするの?」
「簡単だよ。布で本の表面を拭けばいいの」
「そんなんで魔力が戻るの?」
「うん。……と思う」
「急に自信なさげねぇ」
「本に魔力を戻すのは初めてだから……でも、ヒソプの布でできた服を着ていると魔法を使ってもすぐ魔力が戻るから、大丈夫だと思う」
「なら早速やってみましょうか」
「うん」
エセルは布をきっちりと四つに折り畳み、エセルの手でも持ちやすくしてから、フィカが机に置いた『変化の書』の真正面に移動した。
きらびやかな魔法書はしぃんと静まり返っている。
『なんだ、どうした』
『フィカ、一体何が始まるの?』
『随分と古い書物を持ち出したものだね』
他の魔力が切れていない魔法書たちが興味津々で近づいてきて、エセルたちを取り囲んだ。本から半透明な姿が浮かび上がりエセルに話しかけるその光景は、もはやエセルにとっては日常の風景だ。
「今からエセルちゃんが魔力戻しをしてくれんのよ」
『魔力戻し……まさか……』
『あれは魔導具がなければできないはず』
『どうやって?』
「どうやるのかは見てのお楽しみだわ。下がった下がった。じゃないとアタシが見えないじゃないの!」
群がる本たちをかき分けて、テーブルの上に空間を作るエセル。
「さ、やってみせて」
「う、うん」
思った以上にギャラリーが出来上がってしまった。少しドキドキしながら、エセルは右手に持った布で『変化の書』の表面をやさしく撫でた。




