おとぎ話全集 エドマンド・ニールセン著①
エセルの勉強の日々は続く。
文字の持つ意味につまずいたときは、『ウル』の時のように実際に試してみたりもした。
『ペオース』のルーンがそれだ。サイコロを用いた卓上遊戯から由来する文字だと言われ、実際にその卓上遊戯をフィカに教えてもらってやってみた。六面に数字を刻んだサイコロをカップの中に入れ、カラカラと転がし、上にきた目を当てるというとても単純な遊びだった。やってみるとなかなか数字が当たらずに、エセルは何度も挑戦した。
この遊びで、人間族は「賭け」をするのだという。当たれば金貨がもらえ、外れれば逆に金貨が没収される。この「金貨」はキラキラ光る綺麗な丸いもので、人間族は金貨を使って物を買うのだと言う。
エセルには馴染みがないことを、こうしてひとつひとつ、体験を通じて積み重ねていき、自分の知識としていった。ずっと机に座って書物に向き合っているより、経験する方がよほど身に付くことが自分でもわかった。そうしてぐんぐん、エセルは知識を蓄えていく。
ルーン文字は一文字ずつで意味を持つだけでなく、それぞれの文字を組み合わせるものなのだという。
組み合わせることで「意味のある文」を作り、それで情報を記すのだとか。
そんなわけでエセルは、ルーン一文字の意味を理解した後は、発音と組み合わせを理解していく。『はじめてのルーン文字』に書かれている基礎的な文章をエセルが読んだり、ローラスが簡単な文章を書いてくれたものを読んだりした。
そうしていると、エセルには、初めて魔法図書館に入った時にはただの引っ掻いた後にしか見えなかったものが、きちんと文章として読めるようになった。
「【全ての書物には執筆者の想いが込められている
その想いは何物にも勝る魔法の力を宿している】……どういう意味だろ?」
読めたはいいが、やっぱり意味はわからずに首をこてんと横に倒した。
「心を込めて書かれた本には魔力が宿るということですよ。動いたり喋ったり、まるで作者がその場にいるように感じられるでしょう?」
「本って、全部がそういうものなんじゃないの?」
「フィカが言うには、むしろこうした本は珍しいらしいです」
「へぇぇ、そうなんだぁ」
「きっと魂を込めて書いたのでしょうね。人間族というのは我々とはちがう、不思議な力を使うものです」
「うん。わたしもそう思う」
エルフ族がどんな魔法を使うのか、エセルは覚えていないけれど、文字も本も魔法図書館に来て初めて知った。きっとこれは人間族だけが使える、特別な魔法なのだろう。
そう、魔法。魔法だ。
エセルにとっては文字も本も、魔法のように見えた。
春の女神が温かな眼差しを送る日々は過ぎ去り、夏の男神が熱波と共に力強い日差しを届けるようになったある日のこと。
『上出来ですわ、エセルさん』
「ええ。とてもよく覚えました」
「やったぁ!」
とうとうエセルはレインワーズ先生の言葉を完璧に聞き取れるようになった。
「春の間に覚えきってしまうなんて、すごいですねぇ。私はレインワーズ先生が何を言っているのか聞き取れるようになるまでに、文字を覚えてからさらに三百日ほどかかりましたよ」
『ローラスさんは途中で来なくなる時がありましたからね』
「春先になると鳥たちが巣を作ることが多くて……巣立ちまで動けなくなるのです」
本質が木であるローラスの心優しさが垣間見える。
「たしかに、自分の体に鳥が巣を作ったら動けなくなるね」
「おや、エセルさんはわかってくれますか?」
「うん。動いちゃったら、鳥さんがかわいそうだもん」
「フィカには『さっぱり理解できないわ』と肩をすくめられてしまったのですが、エセルさんは話がわかる」
ローラスのするフィカの物真似は本人に似ていて、確かにフィカが言いそう、とエセルはふふっと笑った。
『では、エセルさんにはわたくしの教えはもう必要なさそうですね』
「はい、ありがとうございます、レインワーズ先生」
『久々に良い読み手に出会えて、わたくしも嬉しかったです。本は読まれてこそ、意味があるという物です。しまわれているだけでは仕方がありません』
「レインワーズ先生は、読んでくれる人が欲しかったんですか?」
『ええ。わたくしだけでなく、ここにある本全ての願いですわ』
魔法図書館の本たちは、いつもひらひらパタパタとエセルの周囲を舞っている。
それはバタフライブルーベルのように、エセルが何をしているのか知りたいという好奇心からくる行動なのかと思っていたが、もしかしたら読んで欲しくてそうしているのかもしれない。
『フィカもおそらく、いい読み手になって欲しくてエセルさんを連れてきたんでしょうね』
「そっか……そうだったんだ」
それでフィカはエセルに早くルーン文字を覚えるように言ったのだ。
「ローラスさんもそう思う?」
「はい。正直、魔法図書館の人手が足りていなかったので。エセルさんが読んでくださるなら、それに越したことはありません」
「わかった。わたし、いっぱい読む!」
お世話になっているお礼に、本を読むくらいなんてことない。それに、せっかく文字を覚えたのだから他の本だって読みたい。
意気込むエセルに微笑みかけ、レインワーズ先生がパンパンっと手を叩いた。
『それではそんなエセルさんにピッタリの本をわたくしから一冊ご紹介いたしましょう。『おとぎ話全集 エドマンド・ニールセン作・絵』こちらへいらしてくださいな」




