初めてのルーン文字 レインワーズ・ルルーシュ著作⑤
その後、エセルはローラスとユニコーンと一緒に月湖の周りを散歩した。
月湖の周りは魔法図書館の周りとはまた違う植物が生えていた。
エセルはこの植物を知っている。ヒソプという名前だ。
エセルの手でも容易く折れてしまいそうなほど細い幹に緑色の小さな葉がいくつもついている。
エセルはしゃがみこんで、じーっとヒソプを観察した。
「ヒソプを使って何かしてたような気がするの」
「ヒソプには癒しの力があります。フィカがよく煎じて薬湯に使っていますよ」
「じゃ、私が飲んでいた薬湯にも入ってたのかな」
「おそらく」
だが、エセルはヒソプをもっと別のことに使っていた気がするのだ。
「うぅん……これも思い出せないや」
エセルはパッとヒソプから視線を外し、気を取り直して散歩の続きをした。
ユニコーンは途中で進むのを嫌がったので、エセルは降りて、そこからは徒歩で戻った。
魔法図書館に戻った時には午後のお茶会の時間になっていた。
ロフとロネが忙しなく空中を飛び回り、お菓子やお茶の準備をしている。
すでにフィカがお茶会用の椅子に座っていた。足を組み、退屈そうに磨き上げた爪を眺めている。フィカの爪は長いのだが綺麗に手入れがされていて、赤く光っているのだ。それが何かと尋ねたところ「ネイルよ」と答えが返って来たのだが、ネイルがなんなのかエセルはよくわかっていなかった。
「おかえりなさい。どこか行ってたの?」
「エセルさんに騎乗の体験をしてもらいに」
「は? 騎乗?」
「『ラド』の意味を理解するためには、実際に馬に乗って移動するのが一番かと思いまして」
「……このあたりに馬なんていたかしら」
「正確にはユニコーンです」
「ああ、なるほど。確かにエセルちゃんならユニコーンも喜んで乗せてくれるわね」
フィカが納得顔でエセルを見つめる。今度はエセルが首を傾げる番だった。
「誰でも乗せてくれるわけじゃないの?」
「ユニコーンは気配に敏感で警戒心が強いから人間族は無理よ。近づくこともできやしないわ」
「そうなの?」
「ええ。ドライアドのローラスとエルフのエセルちゃんだからこそ、ユニコーンも警戒しなかったのね」
「フィカは、ユニコーンに乗ったことない?」
「無理無理。すっっっごく遠くから眺めるだけで精一杯。尻尾の毛の一本か、血の一滴でも手に入れられるといいんだけど……薬にした時、良い効果が得られるのよねぇ」
赤く塗られた唇を尖らせてそう言うフィカの顔は、先日子羊の肉を美味しそうに食べていた時のものにそっくりで、思わずエセルは身震いしてしまった。確かにこんな風に考えているフィカを背中に乗せるのは難しいだろう。さすがに血を搾り取ることはないだろうが、尻尾の毛を全部むしり取るくらいのことはしそうだった。
「エセル、おかえりなさいなのです!」
「お茶の準備が整ったのです!」
「わ、ありがとぉ」
ロフとロネに「早く、早く座るのです!」と急かされて、エセルは椅子に座った。
ティーポットが空中でくるりんと回転しながらやって来て、ピタッとカップの前で停止し、トポトポと中身が注がれる。琥珀色の液体が並々とカップを満たし、エセルが何も言わなくてもロフとロネが砂糖とミルクを入れてくれた。ティースプーンさえもひとりでにくるくると中身をかき回すので、エセルがすることといえば美味しく紅茶を飲むことくらいだ。
カップを持ち上げミルクティーを口に含む。本日もとても美味しい。
「で、ユニコーンに乗った感想はどうだったかしら?」
「はい。とても高くて景色が良くって、ローラスの頭のてっぺんが見えました! てっぺんは葉っぱがなくて、髪になってるんですね!」
「これは冠なので……」
ローラスは冠を外してテーブルに置く。青々とした葉が茂っていた。
「これって、木になったローラスさんから生えてる葉っぱ?」
「そうです。人型とはいえ頭に葉が無いと落ち着かないんです」
「アタシも帽子がないと落ち着かないわ」
フィカがスプーンに映った自分の姿を見つつ、三角帽子の角度をちょっと変える。エセルも真似して、ベレー帽の向きを直してみた。ローラスは何もみないで冠を被り直し、そのせいでやや後ろにズレてしまい、フィカに直されていた。手つきがやや雑だった。
「葉っぱが取れてしまったではありませんか。もっと丁寧に扱ってください」
「取れたっ葉っぱもらうわね。月桂樹の葉は消化促進作用があるし香り付けに料理にも使えるから、たくさんあっても困らないわ」
「…………」
ローラスが珍しく憮然とした面持ちをしているが、フィカは構わずティーカップを持ち上げてお茶を飲んでいる。
「『ラド』の意味はわかりそう?」
聞かれたエセルは、ちょっと考える。
馬に乗って移動した気持ちはどうだっただろうか。高くて、ちょっとだけ揺れて、自分で足を動かさなくてもどんどん先に進む。なんて楽なんだろうと思った。少しの移動なら自分で歩いたって全然構わないけど、これがもっと遠くまでとなったら、きっと大変だ。もしくは、重いものを運ぶ時とか。だから人間族は馬に乗って移動するのか。
「はい、わかったと思います」
「なら良かったわ」
フィカがティーカップ越しに満足そうに微笑んだ。
乗る前と後で、エセルの『ウル』という単語に対する解像度がまるで違っていた。実際にやってみるというのは、なんてすごいことなんだろうと思った。
その晩エセルは、ユニコーンに乗る夢を見た
。ユニコーンに乗って森を駆け、空に上り、とうとう夜空を走った。銀色の光の粒を撒き散らしながら走るユニコーンの姿が綺麗で、エセルは翌朝起きてからもしばらく夢のことを考えていた。




