初めてのルーン文字 レインワーズ・ルルーシュ著③
その日の夜、どうにかこうにか『ウル』を理解したエセルは、ベッドの上にダイブした。
物置部屋の一室に作ってもらったエセルの部屋は、もうすっかり馴染んでいる。
エセルが暮らしやすいように、主にロフとロネが部屋を整えてくれたのだ。
部屋の床にはリビング同様絨毯が敷かれ、天井からぶら下がっていたイモリやコウモリの死骸は取り払われ、隅の床に積み上げられていた鉄鍋は姿を消し、瓶詰めが詰め込まれていた棚も姿を消し、代わりにエセルの服が詰まった衣装箪笥が鎮座していた。元からあったものたちは、新しく家の裏に建てた物置小屋に移動させたらしい。
そこまでしてもらってちょっと申し訳ない気持ちになったが、フィカはなんてことのないように「モノが増えてきてたし、物置小屋は作ろうと思っていたからちょうどよかったわ」と言っていた。フィカにも、ロフとロネにも感謝の気持ちでいっぱいだ。
エセルの服は今や、初めに貰ったエセルの瞳の色に合わせて作られたサファイアブルーのワンピースだけでなく、普段に着る動きやすい服数着、エセルに合ったサイズの寝巻き数着、どこにきていくのか全くわからないとても豪華なドレスが一着と、かなり豊富になっていた。
靴も服に合わせて数足あったし、なんとアクセサリーまでもが用意されていた。
キラキラ光って綺麗なそれをエセルは時々引き出しから出してはうっとりと眺めている。壊してしまうといけないので眺めるだけだ。
そんな生活環境に感謝して、以前にも増してフィカたちの役に立ちたい欲が強まっていた。それをそのまま夕食どきにフィカに伝えたところ、「なら早いところルーン文字を覚えなさい」と言われたのだ。
フィカはエセルにルーン文字を覚えて欲しい。なのでエセルは早く文字を覚えたい。
「うぅーん。けど、難しいなぁ……『フェオ』と『ウル』。どっちも牛から生まれた言葉なのに、意味が全然違うんだなぁ」
ベッドの上でバンザイしながらコロコロ転がり、エセルは唸る。
「まだあと二十二文字あるのかぁ……先は長いなぁ」
「エセル、ファイトです!」
「応援しているのです!」
ロフとロネの二匹がホットミルクを持ってエセルの元へとやってきた。ありがたく受け取り、二匹に笑いかける。
「ありがと。……がんばる」
「がんばるのです!」
「です!」
二匹が持ってきたホットミルクはほんのりと甘く、心がホッとする。お腹からポカポカと温まったエセルはカップをロネに返すとベッドへと潜り込んだ。すぐさま心地よい眠りが訪れ、夢も見ずにぐっすりと朝まで眠ったのだった。
エセルのルーン文字を習う日々は続く。
春のうららかな心地よい気候が続く毎日だというのに、エセルは魔法図書館の中に籠り、ローラスとレインワーズ先生の指導のもと、文字を覚える毎日だった。
ルーン文字一文字一文字が出来た成り立ち、その形のルーツ、意味するところなど、覚えることは山ほどある。ルーン文字は一文字に込められている情報がとても多い。
書き取ると頭に残りやすいということに気がついたエセルは、初めは机に指で見よう見まねで文字を書いていたのだが、ある日ローラスに紙の束と一枚の羽を渡された。
「これは?」
「ノートとペンです。羽の先が尖っているでしょう? このインクに浸すと、文字を書くことができるんですよ」
言われたエセルが早速試してみると、ペンの先がインクを吸い込み、たちまちノートに黒い線が書ける。
「あ、ほんとだ!」
「これだと自分の書いた文字の形を正しく知ることができます」
初めは拙い形だったが、書いているうちにどんどん本の文字に近づいた。レインワーズ先生がエセルの右手に両手を添えて、書き方を教えてくれたというのもあるだろう。レインワーズ先生は半透明なので実際にエセルの手を固定することはできないが、正しい書き方になるよう導いてくれた。エセルはこうしてルーン文字の形を覚えていく。
だが、どうしてもイメージができない、理解できないものもあった。『ラド』の文字だ。
「らど……旅。馬に乗っての移動?????」
「少しの移動も『ラド』に含まれますよ。例えば、エセルさんがフィカの家から魔法図書館に来るまでの道中ですとか」
「移動はわかったけど、旅とか馬に乗るっていうのがよくわからない」
「エセルさんは、遠くまで行ったことは?」
ローラスの問いかけにエセルは首を横に振る。
「多分、ないと思う。……あ、メイホウの森まで来たのが旅かな? でも、どうやって来たんだろう……」
エセルの故郷は今いるメイホウの森ではない。
だからエセルはどうにかして住んでいた場所からメイホウの森まで来たことになるのだが、肝心のどうやって来たのかがわからないので、「旅」というものに対しイメージが持てなかった。
加えて、「馬に乗る」というのもなんだかしっくりこなかった。
「エルフ族は馬には乗らないでしょうからね。人間族は馬に荷物を乗せたり自分で乗ったりして移動するんですよ」
「えぇー……そうなんだぁ」
「そうだ。こうしていてもおそらく理解できないでしょうし、エセルさんも一つ試してみましょうか」
「何を?」
「騎乗を」
ローラスはにこりと微笑むと、スッと立ち上がり、ゆったりした足取りで図書館の出入り口へと向かう。エセルはノートと羽根ペンを手放すと、慌ててその後にくっついていった。




