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03 中学二年生の十二月

 

 中学二年生の十二月

 休み十日、遅刻・早退六日



 変えた薬も娘には効かず。また病院では一時間ほど待ち時間。

 医師からMRIを撮りましょうと言われる。幸いもう少し待てば検査枠に空きがあるというので、その日に検査をしてもらう。遠くてもいいと思って通い出したけれど、往復三時間はかなりの負担で、その日に検査してもらえてありがたい。


 MRIを撮るも、脳などに異常はなし。学校に通えていないこと、処方した薬では効かないことから、医師から大学病院の思春期外来に紹介状を書いてもらえることになった。診断書と違って、診察時間が終わってから医師が個別に書いてくださるので、後日私だけで取りに来ることに。


 脳に異常がないことに一安心しながらも、やっぱり思春期外来か……と思った。

 最初からかかることが出来ていれば、今頃娘は楽になっていたかもしれない……とも思うが、投薬の効きや検査を経て、専門科目に紹介されるのは病院がパンクしないためには必要なこと。誰だって自分を一番に手厚く診て欲しい。そうすると後回しにされる人が出るわけで、その中には緊急の人だっている。その緊急度は自己判断ではなく医師の判断であるべきで、娘には必要な時間だったと飲み込む。

 感情的には、もっと早くに……と荒れたが、飲み込む。


 本格的にというと言葉はおかしいが、娘はいよいよ学校に行けなくなっていて、休みか遅刻か早退か。毎日学校と連絡をやりとりする日々に、今が踏ん張り時だと気持ちを持ち直す。

 辛いのは娘だ。


 無事紹介状とMRIの画像をいただいた。大学病院では初診は予約制ではなく、受付時間内に紹介状を持って受診すればよいとのことで、さっそくその週に受診する。こちらも片道一時間半。


 思春期外来と言っても、小児科と併設されていて、いきなりガチの専門医が診てくれるわけではなかった。まずは小児科の医師が問診や必要な検査を行い、それから専門医につないでくれるとのこと。

 朝一で受付して、採血など何種類か検査をして小児科に戻ってきたのが午後。

 この後、専門医の予約を取って終わりとなるのだが、専門医の予約の空きが一ヶ月後だった。やっぱりそれくらいは待つのかと溜め息が出た。予約しないことには仕方ないので、最短の日にちで予約をお願いしたところ、ここで娘に小さな奇跡が起こる。


 今のこの時間に診察予約のキャンセルが出て専門医が空き、その医師が「これから診れますよ」と声をかけてくれたのだ。

 空き時間として休憩することだって出来ただろうに、「丁度空いて良かったね」と娘を診てくれたのだ。

 穏やかな女性の医師。ほわわわんとしているのに、ゆるがない感じで、娘と相性も良かった。

 この医師が終診まで娘を診てくれることになる。


 ものすごく丁寧というか細かい問診の後、起立性調節障害の確定診断のために必要な検査は一泊の入院が必要とのことで、最短で取れる日にちで検査入院の予約を取った。それでもやっぱり一ヶ月後だったけど、元々一ヶ月後に受診して、それから検査入院の日程を決めるはずがとんとん拍子に進んでいる。病院も医師も娘一人を診ているわけではないので、順番待ちは仕方がない。だが、こっちを向いてくれているというだけで、こんなにも安心感があるのだと痛感した。


 検査入院では、日中の検査のほか、起床後すぐの検査をして、様々な数値から診断をするとのこと。起立性調節障害は起床時に症状が大きく出るので、眠りの状態も見ながら起床後すぐの検査が必須だという。

 確かに、娘は朝起きられないが、午後に不調はあまりない。むしろ午後は元気だ。

 確定されれば、投薬などの治療を行い、八割が思春期を抜ける二十歳頃までに改善すると聞き、肩の力が抜けた。

 もしも症状が改善しなくても、病名が分かってるのといないのとでは不安感が段違いだ。医師も「改善しなくても、朝は頭痛や倦怠感があると分かっているなりの生活や仕事をすればいい」と、『ただの持病』だと言ってくれた。

 私自身ひどい花粉症で、偏頭痛や慢性じんましんもある。花粉シーズンは花粉を寄せ付けない対策をするし薬もしっかり飲む。偏頭痛も定期的に受診して薬を持ち歩いている。それを思うと、自分の身体を把握していることは、本当に『ただの持病』だ。


 検査で起立性調節障害でなければ、また頭痛の原因を探ることになる。

 本末転倒だが、もうそうであって欲しいと思ってしまった。病名が分かれば、治療が始まるから。







 冬休み前の中学校の三者面談。

 頭痛がひどくて通院中であり、大学病院を紹介され、今度検査入院することを説明した。幸いにも担任は理解があるというか、なんらかの原因で学校に毎日通えない生徒がどの学年のどのクラスにも複数人いると言っていた。そりゃ慣れてるわ。


 時代なのか……と思うと同時に、もしかして学校がヤバいんじゃねーのか? と疑問を持った。

 担任はうるさい時はあるけれど自分のことを理解してくれていて良い先生だと娘は言っていた。教科の先生たちが怖いのだ。そんなに不登校がいるんじゃ、学校の体制自体にも問題があるんじゃなかろうか。


 私はPTA役員などもくじで引いた時だけの最低限しか関わっておらず、あまり学校に関する情報がない。

 娘は土日の部活には行くことができていて、すぐの土曜日は大会だった。娘はベンチだが、調子が悪くなったら連れ帰る要員として私も応援がてら会場に行った際、顔見知りの同級生の夫婦に会ったので、ちょっと聞いてみた。


 学校の雰囲気どうなの?

 私のそのたった一言で、「あー、行けてないんだっけ?」と娘を心配してくれて、アンテナが高い二人からは教師にひどいのが何人かいるとの話が出てきた。


 気に入らない生徒には、あくびをしたとか肘をついたとか、注意すればすむことを立たせたまま何十分も怒鳴りつけるとか。

 その間他の生徒は黙って聞いてなければならないとか。

 生徒は叩かなくても、怒鳴りながら物を叩いて威嚇するとか。

 お気に入りの生徒はテストで赤点をとっても成績が良いとか。

 逆にテストで九割とっても良い成績がつかない生徒がいるとか。

 授業中に指されて答えられないと残りの授業時間ずっと怒鳴られるとか。

 お気に入りの子は答えられなくても優しく教えるだけとか。

 気に入られないとどんなに上手くても部活のレギュラーになれないとか。


 それ、話半分以下で聞いても教師としても大人としてもおかしいから。

 一番おかしいのが、校長がそれを良しとしているらしいということ。


 このご時世、保護者は黙らない。

 それでもなくならないのは、校長が「指導」だと言い張るのだという。

 教育委員会に言った保護者もいるが、「学校の裁量」と取り合わないという。


 逆らうと怒鳴られて授業が進まない。目をつけられるとそれだけで成績が悪くなるし、部活のレギュラーからも外される。

 怒鳴られ続けて萎縮した子どもたちは、たぶん、事なかれ主義で諦めただけ。そして我慢して身体に出てきてしまった子がたくさん出てきたのかもしれない。


 それって恐怖政治だ。


 特定の先生だけの話であれば、娘の学年だけの話だろうが、全学年、どのクラスにも学校に通えない生徒がいるということは、生徒一人一人に色んな理由があるにしろ、そういう先生が学校内に結構いるということではないだろうか。


 まじでこの学校ヤバいんじゃ……。


 だって、娘は中学に入って割とすぐに言っていた。

 学校に行きたくない、怖いと。


 娘が学校に行かなくなって二ヶ月が経ったところで、私の意識が『どうにか娘を学校に行けるようにしたい』から、『そんな学校なんてどうでもいいから、辛い体調が治りますように』にはじめて変化した。


 そして、娘のSOSを軽く考えて向き合わなかった私自身が、娘の不調の一因だと自覚した。


 今日も起きれない?


 たぶん、毎日のように私から言われていたこの一言は、とても娘を追い詰めた。

 学校に行かないのは悪いこと。

 私の意識の根っこにこびりついている価値観が、這ってでも学校に行けと言っている。気を引き締めないとこれからもぽろっと出てしまいそうで怖いけど、もう言わない。


 絶対言わない。


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