第7話 温室
聖月さんとのお茶会は噂の張本人、アロイス様が迎えに来たことによってお開きとなった。
「あのね、今度はかりんとうを作ってもらうから、また一緒にお喋りしようね!」
「もちろんです」
同郷ゆえか、恐れ多くも聖女様のお友達というポジションで月に一度、聖月さんの私室で余人を交えず一緒にお茶をすることを許されている。
これも学院を卒業して庶民になればなくなる習慣だと思うので、あとちょっとだけ、聖月さんの言葉に甘えて全力で楽しもうと思う。
「絶対だよニコちゃん! 絶対だからね!」
私より少しだけ背の低い聖月さんがうるうる潤んだ瞳で見上げてくる。とてもかわいい。
日本人の髪色としては明るいふわふわの前髪と、その髪の影でちょっとだけ濃い栗色の瞳は柔らかく、優しい。こちらの世界に来たばかりの頃は私のほうが背が低かったのに、いつの間にか追い越していたのだと、いつも別れ際にそう思う。
包み込まれるようにぎゅっと握られた両手は、聖月さんの体温のおかげで温かった。
「話し合うんだよー」という聖月さんの声を背に、アロイス様にエスコートされながら王城の廊下を歩く。
いつもなら今日の学院のことや、お互いの身の周りで起こったたわいのないことを話すのだけれど、今日はアロイス様の雰囲気が違っていて天気の話がループしている。
「話があるんだ」
「……私もあります」
やや硬い表情で言うアロイス様にエスコートされて寄った先は、一般にも開放されている植物園ではなく、王城勤めの貴族でも申請しなくては入場できない特別な植物園のほうだった。
植物の美しさを見せるための植物園ではなく、その植物を寄る辺としている昆虫を保護するために作られた温室だ。
今は聖月さんのおかげで大地はだいぶ力を取り戻したが、その前までは結界の綻びから邪気が入りこんで、この国の動植物の生態系はかなり危なかったらしい。魔物による被害も甚大だったようだ。
そうしたことから少しでも本来の環境を保護しよういうのが、この温室の目的である。
ここだけでなく王都のいくつかの場所に同じような保護目的の動植物園があるのは、一ヶ所に集めて何か問題が発生した時に全滅しないための措置だという。とはいえやはり、この王城の温室が一番広くて動植物の種類も多い。
かなりの広さがあるガラスのドームの中は暖かく、日本であればご神木として崇められていそうなほど大きい木が中央にそびえ、その奥にはなんと人工の滝が流れている。
夕暮れ時のオレンジの光を通した温室内はまだ明るいけれど、魔力で動くフットライトがぽつぽつと点灯し始めた。
途中で休憩できるように設置されたベンチを、昆虫の生活を脅かさないくらいの控えめな外灯が静かに照らし始める。
アロイス様はそのベンチへと私を座らせ、自分も隣に座った。
「ここは部外者の立ち入りは禁止だとうかがいましたが……」
「ニコが一度見てみたいって言ってたから、王太子殿下に許可をもらった」
「まあ……ありがとうございます」
植物も昆虫も、私は好きだ。
生態系という世界を作る仕組みの中に、確固たる居場所を作っているのだから羨ましい。
雑草一本にも生えているのには意味がある。
植物を利用する虫と、その虫をまた利用する植物の強かさといじらしさには、日本にいた時から尊敬の念すら抱いていた。
今はそうした植物や昆虫から、人を助けるための薬ができないかという点に興味がある。
学院で学んで得た知識と私の水魔法が何かの役に立てるとしたら、製薬が一番可能性があるのではないかと思うのだ。
生き物が寝床に帰っていく日が落ちる直前の慌ただしさは、温室の外も中も変わらない。
ふわふわと漂うように飛んでいた蝶たちが、一頭、また一頭と、今日を終えるためにどこかの葉っぱの裏へと帰っていく。
「ニコ、卒業パーティーのことで確認したいことがあるんだが」
「はい」
隣のアロイス様の堅い声に、なんだろうかと少し緊張してしまう。
「マヌエル・フォン・バッヘムと恋仲で、彼とパーティーに出席したいというのは本当か?」
「え? いいえ? どこから出たお話ですかそれは」
反射的に否定してから、フランス人形の呪い顔がドドーンと脳内によみがえった。
うん。どう考えても彼女か、そのお姉さんのマリアンネ嬢か……とにかくバッヘム伯爵家から出た話だろう。
「違うのか?」
「違いますよ」
眉を寄せて聞き返すアロイス様に、同じような渋い顔をして答える。
「恋仲どころか、お話をしたことも、お顔を拝見したことすらありません。お名前すら今日初めて知ったのです」
「今日初めて?」
「私の話というのも実はそのことで……」
私は今日ダンスの授業であったことを、怪訝な顔になったアロイス様に話した。
「……ということで、私はむしろアロイス様がマリアンネ嬢と恋人同士で、私の存在がローデンヴァルト家やアロイス様のお荷物になっているのなら申し訳ないと思っているのですが」
「ない」
バッヘムめ!
めずらしく地を這うようなひび割れた声で吐き捨てると、アロイス様は銀色の髪をわしわしと乱暴に掻き回して大きな溜め息をついた。
それを見て私は、「聖月さんから殿下とマリアンネ嬢のことを聞きました」と、その情報があまり正しくはない可能性はわかっていたことを伝える。
「殿下とは全く恋仲ではないのに、そう言い張っていたと……。ですからアロイス様とのお話も、マリアンネ嬢の一方的な主張ではないかとは思っていました。それでも秘める愛ならば、みんなに知られていないというのも納得できることなので……」
アロイス様は銀髪が乱れるのもかまわず、盛大に首を振った。
「いやそれは絶対ない。納得なんかしないでくれ」
「……」
「ニコにだけは勘違いされたくない」
ドームを通して差し込んでいたオレンジ色の光が、ぷつっと途絶えた。
濃い紫色を残して暗くなり、上からの外灯の光が薄く引き伸ばしたようにベンチに座る私たちを白く照らす。
大地を模した箱庭の中で、夜に切り替わる一瞬。
温室の中に風は吹かず、その一瞬だけは虫の声も太陽の気配と一緒にぷつんと途切れる。
昼の明るさから夜の暗闇へと温室の中の世界が一変したように、二人のうちどちらかが今、言葉を発したら、私たちの何かもが変わってしまうかもしれない。
入り口からベンチまで私たちが歩いてきた石畳をフットライトが光の道のように輝かせるのを見ながら、そんな雰囲気が怖くて私は黙った。
昼間の生き物が息をひそめ、夜の生き物が動き出す。
そのひと時の緊張感と静けさに、私たちは無言だった。