第3話(1)発言がすでに手を染めたことのある奴のソレ
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首なしの死体が山奥の川岸で見つかったのは、青年が狸の元に転がり込んでから、二週間ほどたった頃だった。
急峻な崖下を流れる清流。そのゴツゴツと岩が転がるわずかばかりの狭い岸辺に、半ば川の水流に晒されながら、遺体は転がっていた。
崖上からその無残な姿を見下ろす、二対の瞳。そのうち、金色の冷めた垂れ目が、隣のまろやかなモフリとした、茶色の耳持つ青年を振り返った。
「お前、ついに……」
遠目に見ても、遺体は体躯のいい大柄な男のものだ。年のほどは頭がないので分からないが、衣服だけで判断すれば、年若い青年のようである。
「届け出なしで死穢をばらまくのは御法度だぞ。もみ消してやるから今夜は逃げるなよ」
「最低の提案を微塵の憚りもなく提示してくんなよ。あと、どう考えても絶っっ対、違うでしょうが! だったらこの足元にいる、これはなんなんだよ!」
「ワァオ! 猟奇殺人事件だよ! 生で見ちゃったの初めてだヨ!」
「……化けて出た、という可能性がある」
「足があるんだよ、こいつ」
ちょうど二人の足元に、どでんと腹ばいになって、興味津々に下草の間から顔を覗かせ、崖下を見やる赤髪の青年の足を、狸はげしげしと蹴とばした。
「イタイ、イタイ、痛いヨゥ! あと、ボクの国はユーレイにも足があるヨ?」
「だ、そうだ。いいぞ、人間。話を合わせろ。それなりの相伴に預からせてやる」
「あれはボク! そしていま、化けて出てるヨ!」
「せめて雑な打ち合わせなりに声を潜めろ! あとどうせ嘘だとしても、こっちの国で化けて出るなら、こっちの常識に合わせて来い! 自国のルールが絶対だと思うなよ!」
「ちっ……やはり無理があったか。次は足ぐらい切り落とす気概を見せろ」
「人のハードルばっかり上げないで欲しいヨ~、陰険狐~」
使えない奴だと肩を落として言い捨てる狐に、青年は唇を尖らせた。
「でも届け出、届け出って、なんでそんなに厳しいんダイ? 殺しても、埋めたりしちゃえばバレないヨ!」
「発言がすでに手を染めたことのある奴のソレ」
「破壊と殺戮が十八番の種族様は言うことの格が違うな、恐れいる」
曇りなき眼で溌溂といいきる青年を、狸と狐はじとりと白い目で口々に罵った。
「獣チームの結託ズルいよ~。人間も大枠では動物なんだから仲間に入れてほしいヨ~」
うるっと緑色の瞳が器用に潤んだ。
「人間、ちょっと斜め右上もう少し向いて俺の方見上げて。違う! もっと斜度〇・五度右だよ、馬鹿! あ、それ! それがいい!」
「ん~……どんな時でも欲望に忠実だよネ」
「〇・五度の差にどんな意味がある?」
「垂れ目のきらめきが違う」
大真面目な熱のこもった狸の答えに、狐と青年は白けた様で首を傾げた。このこだわりは、たぶん一生、理解できない。
「まあ、ともかく、だ。届け出によって、死の穢れを管理しないと、こちらの世界の空気が汚れるんだ。妖力が低下するし、下等な魑魅魍魎レベルでは在・不在にまで影響する。よって、管理している」
一応、遅ればせながらも、丁寧に青年の疑問へ答えてやって、狐が言った。
「お前たちの世界にもあるだろ。フロン排出規制法だの、二酸化炭素排出抑制対策だの。あれと似たようなものだ」
「ワァ、急にファンタジーから生活に密着した感じ~」
手を叩いて納得し、青年はむくりと腹ばいになっていた身体を起こすと、崖下を指さした。
「じゃあ、あれは不法投棄ってコト?」
「こちらの世界ではそうなるが、お前たちの世界でも死体遺棄は犯罪だろう」
「迷惑なんだよな~。人が来ないからって勝手に俺たちの山に捨てられるの。こっちは律儀に処分の順番待ちしてるってのに、また遅くなるじゃん」
「ずっと、一緒に、イヨ?」
「君のその素敵な垂れ目の頭部だけなら、いくらでもそばに置いといてあげるよ。胴体は捨てておいで」
きらきらと垂れた瞳を輝かせながら手を握ってきた青年へ、狸は細く美しいかんばせに柔らかに微笑みを湛え、最低の言葉を甘く囁いた。
ブーイングを垂れながら、青年が口を尖らせる。
「最近効き目が弱くなってきた気がするヨ!」
「だから言ったろ、瀬戸際の抵抗がしぶといと」
何年手を焼いていると思っている、と、同じく素敵な垂れ目の持ち主の狐が肩をすくめた。
もうすっかり、わざわざ見物に来た崖の下は、彼らの意識の外にいってしまっている。
その時だ。崖下から濁流のように、真っ黒な泥に似たものが幾筋も吹き上がってきた。巻き起こった生温い突風が、狸や狐の長い髪を煽り、青年の赤毛をかき乱す。
「ワァオ! エキセントリック竜巻だヨ!」
興奮して輝く緑の垂れ目と対照的に、金色の垂れ目は忌々しげにそれを睨んで舌打ちした。
「ずいぶん恨みを残して死んだらしい。辺りを穢すだけで飽き足らず、《ケガレ》まで現れ出たようだ」
「《ケガレ》? それってあのモンスターかい?」
青年が指さした先は、ちょうど遺体が横たわっていた場所。そこに、遺体に覆いかぶさるように、黒く蠢く泥の塊がうずくまっている。背から無数に伸びる触手のようなものがうねり、泥のうちに、ちかちかと赤く光る眼玉に似た器官が無数に埋まっていた。巨大な人型のようだが、手とも足ともつかない長いものがぞろぞろと、いくつも虫の脚のようについている。
「とってもグロテスクモンスター!」
「君らのモンスターっていう単語は広義すぎて、俺たちも括られてるみたいなのが不満なんだけど」
ひゅうっと吹き鳴らされた口笛に、眉をしかめて睨みつつ、狸は「まあ、仕方もないか」と肩を竦めた。
「人間にしてみれば、どっちにしろ異界のモノだ。雑に一括りにして区別できないのも道理だろうさ。ただ、あいつらは俺たちみたいな化生、妖怪――あとついでに、幽霊、そういった類のモノとは違って、恨みと死穢が合わさって生み出される。意思や個を持たないまま、ただ周囲を祟っていき、妖力を求めて化生や弱い神を襲う」
「オゥ……つまりあれ、キミたちを食べちゃうのかい?」
「そうだな。弱い奴らから殺して吸収し、放っておくと手が付けられなくなる」
狸の代わりに狐が答えて、彼は盛大に溜息をついた。
「――だから、私が来た」
言うが早いか、狐が地を蹴って崖下へと飛び降りた。真冬の月光のごとき銀色の髪を靡かせて、着物の裾と長い尾を遊ばせながら、風を切る。
狐を狙って鋭く空を滑りきた触手が、ぱちんと彼が指を弾いた瞬間、その周りに灯った青白い炎に飲まれ、一瞬で凍りつき、粉々に砕け散った。
そのまま軽やかに川岸に降り立った狐は、履物が雪駄だということも、足場の悪さも感じもさせぬ速度で駆けていく。触手をかわし、氷の炎で凍てつかせ、息ひとつ乱さぬまま、《ケガレ》の本体へと迫りゆく。
「ワァオ! 陰険狐、かっこいいヨ~! ニンジャー!」
「なんでも忍者で片付けないでよ。まあ、あいつがいれば、たいていの《ケガレ》は祓えるから、このあたりに住んでて、《ケガレ》に悩まされることはそうないんだよ。それだけは、いいことだよね」
狐の活躍に輝く緑の瞳を見守りながら、なにかにひどく満足げに頷きつつ、狸がいう。
「でも、狐がココに来たのは分かったけど、狸はなんで一緒に出かけて来たんだい? わざわざアニメ録画にまでして。狐がいれば《ケガレ》モンスターは退治出来るんだろ?」
「いや……戦闘中の垂れ目からしか得られない栄養分を摂取しに」
「オゥ……さすが。抜き身の欲望ギラギラだよォ」
もはやたった二週間で呆れた感嘆となった青年のコメントに、「いや、だって」と狸はどこか悔しげに言い募る。
「あいつ、性格はねじ曲がってるけど、垂れ目と顔だけは最高だから! 視界にだけは、はちゃめちゃにいいから!」
「特大ブーメランだよォ。垂れ目以外全部自分に返ってくるヤツだヨ~」
「君もな、顔と垂れ目だけ人間」
やれやれと大きな肩を竦める青年をひと睨みし、「とはいえ」と、狸は悩ましげに腕を組んだ。
「今回も楽々いけそうだな。俺としてはもうちょっと、こう、苦戦したりとか、流血してくれた方が好みっていうか、滾るっていうか……少し、邪魔しとくか」
「ワァオ! 最低ダヨ! 好き!」
己が欲望のために、一応は味方の背中を躊躇いなく狙いに出た狸へ、赤毛の青年は興奮した拳を握りしめて叫んだ。
狸が指を弾いたとたん、狐が触手のひと振りを飛びのき避けて着地した足元が揺れた。と、同時にそこから岩だらけの地面を突き破り、鋭い切っ先を携えた木の枝が狐を貫かんと天へ伸びる。ともに躍り出た蔓が宙をしなり、自由を奪おうと、狐の手足を狙って襲いかかった。
すんでのところで、木々の奇襲を避けたものの、かすか一枝。その切っ先が、狐の頬を掠める。白い肌に血がつたい、その手足を、伸びきた蔓が容赦なく絡めて締め上げた。
ぎりぎりと骨まで食い込みかねない蔓の力に、金色の垂れ目が苦しげに顰められる。
「それ! それが見たかった!」
「割とガチめの妨害だよ! 下手すると大けがダヨ! 最低! 最低、すごいヨ!」
崖上から狸が勢いよく身を乗り出し、その隣で青年が手を叩いて大騒ぎする。そんな厄介な傍観者たちに、狐は冷めた視線を流して、ふっと凄絶に微笑んだ。
「いい度胸だ、お前ら……」
彼の周りで無数の狐火が揺れた。
とたんに狐を絡めとった蔓草が燃え上がり、凍りつき、粉々になって砕け散る。と同時に、狸と青年が立つ崖の先も一瞬で氷漬けとなり、勢いよく瓦解した。
「狐――っ!」
やりやがったな、とばかりに絶叫しながら、狸が氷漬けの崖の残骸と、なぜかジェットコースターのノリで騒ぎ散らかしている青年とともに落下していく。
もうもうと、落下先から砂煙が立ち昇った。その中から、ばっと黒い影が飛び出して、狐の前に降り立つ。
「環境破壊!」
「ただの崖崩れだ、よくある」
自分のことを棚に上げて噛みつく狸にしれっと言い捨て、狐は長い指先で頬をつたう血を拭った。
「あと下手すると死ぬとこだった! こいつが! そうなると保護監督者の過失致死になってあとが厄介だろ! 俺が!」
「狸、かっこよかったヨ~! 葉っぱがたくさん出てきて、大きな岩の塊ババババって切って、でっかい蔦とかの上、ぴょ~んってして、なんか気づいたら助かってたヨ~!」
「うっかりこんな巨体、姫抱きして頑張っちゃったじゃないか」
ぺっと、両腕に抱き上げたままになっていた青年の筋肉質な巨躯を、狸は川岸へと打ち捨てた。「イタイヨ!」とごつごつした川岸の石に身体を打ち付けられ、青年が涙目になる。それを、思わず凝視しかけて、首を振り振り、狸は狐へと視線を戻した。
「ちょっとのピンチぐらいいいだろ、どうせ楽勝するんだし、減るもんじゃなし。ボロボロになって苦戦する様をもっと俺に堪能させろよ」
「だから、お前の要望に応えてやるのはやぶさかではないが、それなりの見返りを提供したのちにしろと言ってるだろうが。対価を寄越せ。話はそれからだ」
「君の先払い方式、絶対なんか不穏だからヤダ!」
「どっちもどっちで要求が底辺での殴り合いだヨ~。あと、あの《ケガレ》モンスター、結局どうするんダイ?」
困ったね、と肩を大仰に竦めながら、青年が言い合う二人の間から、その向こうを指さした。
同時に、三人の上に色濃い影が覆いかぶさる。触手を揺らめかせながら、歩み寄ってきた《ケガレ》が、三人を圧し潰さんとばかりに、その巨大な手を振りかざしていた。
が、それを冷ややかな二対の瞳が、一瞥した。瞬間――
頭上に迫っていた腕と触手が、吹き荒れた風に舞う木の葉の刃で、千々に切り裂かれた。それとともに、《ケガレ》の身体が青い炎に飲まれて凍りつく。
「砕け散れ」
低く狐が言い捨てれば、周囲の空気さえ凍てつかせ震わせる冷気とともに、《ケガレ》の身体がひび割れ、粉々の氷の破片となって霧散した。
あとにはもう、変わらず川岸に横たわる、首なし死体が残るばかりだ。――あと、内輪もめで瓦解した崖の無残な姿も残されてはいたが。