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第7話 よく分かってるくせに、意地悪ね



 落ちゆく夕陽が西の空を朱色に照らし、漂う雲を鴇色に染め上げる。辺りはまだ昼の名残りに明るいが、もう時計は六時を回っていた。

 洒落た、しかしどことなく妖艶な雰囲気の扉をスーツ姿の男がくぐり抜ける。その姿に、扉のうちにいた女性が華やかに笑いかけた。


狐山こやまさん! お久しぶりじゃないですか~!」

「失礼。すっかり間が開いてしまいましたね」


 歩み寄る華美なドレス姿の女性に、スーツの男は微笑みながら眼鏡を押さえ込んだ。短い黒髪はすっきりと撫で上げたオールバック。淡白な顔のパーツの中、目を引くつりがちな細目がキツネのようだ。


「今日は、いつものみな様にご紹介したい者がいて連れてきてみたのですが……いらっしゃるとしても、さすがにまだ時間が早かったですかね」

「あ~……それがいま、あちら、ちょっと色々あるみたいでねぇ」

 赤い唇は悩ましげに艶っぽく吐息をついたあと、狐山のうしろに控える人影へ顔を向けた。


「それで、紹介したいのってあちらの方々?」

「ああ、紹介したいのは、彼の方だけです」

「ドーモ! こんにちは! 初めまして!」


 陽気な調子で片手をかかげるのは、赤毛の大柄の男。鍛えているのか体格が良く、室内でなおかけたままのサングラスが、どうにも怪しげで威圧感がある。ご機嫌なアロハシャツも、その雰囲気に拍車をかけていた。それでいてにこにこと笑う口元だけ見れば、人好きのする友好的な空気がある。

 だが、どれだけ笑顔が素敵だろうと、カタギの人間には思えない。その証拠とでもいうように、たくましい腕が抱き寄せる華奢な肩は、不本意そうにそっぽを向いていた。


 綺麗な《《女性》》だった。金にゆらめくような薄い蜜色の長い髪。切れ長の凛とした目元は、憂い帯びて伏せられている。視線を囚われるほど鮮やかなのに、そのかんばせは、楚々と儚げな美しさをたたえていた。しなやかな体躯を際立たせる煽情的な服を着ているのに品がいい。

 思わず、同性ながら息を飲み見惚れる女性へ、狐山はにこやかに微笑んだまま告げた。


「彼女の方はちょっと訳ありでして、彼の連れなんですが、働きどころを探しているそうなんです。なので……ここで働かせてやってもらってもいいですか? 日雇い、即日と、伺いましたので」

「あら? そうなの? そんな風には見えないけど」

 じろじろと興味深そうな視線が、男の腕の中にいる彼女を眺めやった。


「その子、夜職の経験はあるの?」

「あるよネー?」

 狐山が答える代わりに、赤毛の青年がそう弾む声音で女性の顔を覗き込んだ。それに桜色の唇が、諦めたように小さく吐息を落とした――その次に。艶やかに微笑んだ。するりと滑った白い指先が、男の頬からしなやかに胸元まで這い、身をもたせかけて彼を見上げる。


「あるわよ。よく分かってるくせに、意地悪ね」

 耳朶に絡むような甘い声が、ぞわりと聞く者の背を快感でくすぐった。上手くやりますよ、と狐山の駄目押しを受けずとも、店の女性の返事は決まっていた。


 男が連れていた美女はそのままスタッフルームへ案内され、狐山は男とともに、せっかくだからと店の他の女性たちと酒を嗜んだ。

 狐山の穏やかな語り口と、赤毛の男の陽気な調子で彼らの席はずいぶんと華やいだが、他の客が訪れ出しても、目当ての常連の来店はなかった。そのため、連れてきた女性が客につきだしたのを見止めると、ふたりは「紹介はまたの機会に」と店を辞していった。


 残されたのは、訳ありらしい美女がひとり。ちらりと狐山たちを見送った女性が様子をうかがえば、すでに相好を崩しきった男たちを相手に愛らしく微笑んでいる。最初の印象はずいぶん愛想のないように思えたが、こちらの仕事の経験はなかなかにあるらしい。それに、狐山がわざわざ、あんな胡散臭い男とともに連れてきたのだ。相当の訳あり具合なのだろう。

 つまりはたぶん、別の仕事の方も頼める。そう女性が算段をし始めた。その時。


「か、火事だ!」

 怯えた男性客の叫び声が店内にこだました。例の彼女が相手をしていた客が、椅子を蹴倒す勢いで立ち上がり、逃げ出そうとしている。

 ざわめきが不審と戸惑いとともに店中に一気に広がった。が、煙もなければ、火の手も見えない。新手の踏み倒しかと、女性は眉をつり上げかけた。だが――ぱちぱちと、いやな音を彼女の耳もとらえた。


 また別の席から悲鳴が上がる。火事だ、炎だと、あちこちで叫び声が重なれば、まるでそれに煽られるように、いっきに黒い煙が充満し、赤い炎が床を走った。

 なだれをうって人々が出口へと殺到する。混迷の中、蛇の舌のように炎は店を舐めて這いまわり、誰もを混乱と恐怖に陥れた。


 だから、逃げ惑う客や店員の黒服、女性たちの中に、件の彼女の姿が見えないことなど――誰ひとりとして、気づきはしなかった。







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