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柔の道は鬼ばかり  作者: MIROKU
張孔堂異聞
7/29

決意


   **


 幕閣の懸念、それは浪人達が団結する事だ。

 もしも強大な統率者が現れて浪人を率いた時、今の幕閣には対抗する力がないかもしれない。

 戦うのは七郎と江戸城御庭番、國松と風魔の忍びだが、彼らが万の軍勢に勝てるわけではない。

 島原の乱も最初は小さな騒動から生じ、やがては日本全国を震撼させたのだ。

 家光は自ら出向いて鎮圧しようとしたらしい。そのために知恵伊豆と呼ばれた松平伊豆守信綱が出陣して、島原の乱を鎮圧した。

 七郎の先師、上泉信綱と同じ名を持つ松平公は武の道にも秀でていた。

 話を戻せば――

 七郎は浪人達を束ねる統率者が現れる事を予見していた。

 兵法修行で右目を失った七郎は視力に不安がある。

 が、失った右目にはるか勝るものを得ている。

 それを上手く言い現す言葉はないのだが、あえて言うならば武徳の祖神の導きだ。

 己を捨て、心を捨て、全てを捨てた無心の一手は、七郎に勝利を与えてきた。

 その神秘の力が囁くのだ。

 やがて正雪が浪人達の強大なる統率者になるだろう、と。

 幕閣ですら容易に手が出せぬ存在になるだろうと。

 由比正雪の張孔堂は、ゆくゆくは江戸においては幕府に比肩する巨大な組織となるだろう。



 七郎はまたもや馴染みの茶屋にいた。

 店主のおまつが淹れてくれたお茶を飲み、看板娘のおりんが団子を運んでくるのを待つ。

 茶屋の店先の床几に腰かけ、青空を見上げてのんきに茶を飲む七郎は、とても将軍家光の御書院番(いわゆる親衛隊)の筆頭には思われない。

「どうしたのさ」

 おまつは憂い顔の七郎に声をかけた。

「最近は…… 正雪は店に来るか?」

「張孔堂さんかい? 最近は来ないねえ」

「そうか……」

 七郎は青空を見上げた。やはり正雪は変わってしまったのだ。

 一時の迷い、いわば風邪を引いたようなものではない。

 七郎は目を閉じた。そのまま意識が遠のいた。



 ふくよかな肢体に穏やかな笑顔。

 七郎の張り詰めた気を和ませてくれたのは、河童の雌であった。

 彼女は一糸まとわず、背には甲羅を背負っている。

 そんな河童の雌は小さな赤児を抱いていた。彼女の背にも小さな子がぶら下がり、足元には小さな河童が隠れていて、七郎を恐る恐る見上げていた。

「はは、なんだおい。可愛いもんじゃないか」

 七郎は微笑した。河童の母子に、彼の疲れた魂は癒やされたのだ。

 江戸の治安を守るために七郎は日々命を懸けていた。退くつもりはなかった。島原で出会った四郎とウルスラ、彼らの死に報いるためにも、七郎は簡単には死ねぬ。

「守ってくださいね」

 河童の雌は七郎に向かって微笑んだ。

「な、何を?」

「この江戸の人々を……」

 河童の雌は微笑したまま言った。

 七郎は硬直した。その言葉の意味、そして重みを理解したのだ。

 七郎にはわかる。痛いほどわかる。

 身の回りの人々くらいなら守れるかもしれぬ。せめて、おまつとおりんくらいならば守れるかもしれぬ。七郎が命を捨てて守るに値する。

 が、江戸の人々となると、その数はおよそ八十万人ほどだろうか。

 半分は町民、半分は武士階級。だが武士であっても刀の使い方を知らぬ者も増えた。

 だからこそ七郎や國松が必要なのだ。

 毒を以て毒を制す。

 鬼を斬るのは修羅である。

 闘争の化身たる修羅も、時に仏敵を降伏するからこそ仏法の守護者なのだ。

 逆に言えば、江戸を守るために戦わぬというのなら、七郎は人を喰らう悪鬼羅刹と何ら変わる事はない。

「え、江戸に生きる人々、全ての平和と安らぎを守れと……?」

 七郎は引きつった笑みを浮かべた。河童の雌と、その子達の笑顔が痛い。

 七郎ならばやってくれると信じている、そんな笑顔だ。

「よ、よーし、やってやろう!」

 七郎は笑顔で威勢よく答えた。

 無邪気な子ども達が見ている前だ、できるかどうかはわからないが、せめてやると答える。

 いや、やらねばならぬ。

 七郎がやらねば誰がやる? 

 やらねば女や子どもまでもが皆殺しにされるかもしれぬ。今の江戸は暴力の都だ。

 ――それでこそ天道なり。

 はるか彼方から何者かの声が響いた。

 河童の子ども達の笑顔が、七郎には尊かった。



「おまたせー」

 おりんの声に七郎は我に返った。ほんの数秒、彼は意識が遠のいていた。

 その間に七郎は幻視の世界へ旅立ったのだろうか。

 あるいは超越の世界へ魂が導かれたのか。

「どうしたのよ?」

「あ、い、いつも可愛いな」

「な、何を言ってんのよ!」

 おりんは顔を赤くして、七郎の脳天を手にした盆で強打した。半ば失神した七郎が床几から転げ落ちる。

 おりんは店の奥に引っこみ、おまつは茶屋の客へ茶と団子を運んでいる。

 大地に寝転んだまま七郎は考えた。

 正雪に会えぬのなら、会いに行けばよいのだ。

 隠密活動は七郎にはお手のものだ。

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